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2000/10/22 産経新聞朝刊
【正論】大阪大学名誉教授 加地伸行 「家族基本法」を提案する
 
◆教育基本法に欠ける点
 少年犯罪の問題化から、少年法改正が浮上している。私は、改正に基本的には賛成であるが、少年法の改正だけでは不十分であると考える。
 と言うのは、改正は少年犯罪に対する対症療法ではあっても、根本的治療ではないからである。少年が生きる場所である学校と家庭との問題にまで根本的にメスを入れなくては、少年法改正は、条文改正に終わってしまうだろう。
 とすれば、学校に関しては教育の問題、家庭に関しては家族の問題ということになる。
 いみじくも、森喜朗首相は教育の問題に着目し、具体的には教育基本法の見直しを試みようとした。もっとも、首相の諮問を受けた教育改革国民会議は見直しに踏みこまない方向のようであるが、それは誤っている。
 なぜなら、教育基本法には、欠けているものや問題点があるからである。たとえば、(1)日本固有の文化や伝統への敬意や尊重、その継承の精神がない。(2)道徳教育の条文がなく、その見解が見えない。(3)宗教教育の条文はあるが判然としない。
 と言うのは、憲法は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(第二○条)とするが、教育基本法は「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」(第九条)としており、憲法の「宗教教育…」と教育基本法の「特定の宗教のための宗教教育…」との関係が判然としない。
 
◆拠りどころ失った家族
 すなわち、(一)憲法は「すべての宗教教育」を意味するのかどうか。(二)教育基本法は、「特定の宗教のための宗教教育…」はしないと言うのであって、それは逆に、一般的宗教教育はするという意味になるのか。(三)「特定の宗教の…」と限定する、この「宗教教育」の条文は合憲なのか。といったことが、よく分からないのである。
 たとえば右のような点の見直しは、当然、なされるべきであろう。
 一方、家族の問題についての検討に、現在、政府にさしたる動きはない。
 とすると、少年法改正を支える教育と家族との両輪がともに回らないという状態になっており、これでは少年法改正に終わり、少年犯罪の根本的治療に至らないのではなかろうか。
 それをもどすには、教育に関しては教育基本法の見直しを推進すべきである。加えて、家族に関する積極的施策を提起すべきである。
 そこで私は、教育に教育基本法があるごとく、家族に家族基本法があることを提唱したい。つまり、家族基本法の制定をという提案である。
 現在、多くの日本人は家族の問題に自信を失っている。いや、拠りどころがないので右往左往していると言っていい。かつては教育勅語という拠りどころがあったが、それは廃せられ、それに匹敵するものがない。
 とすれば、家族の問題に対処できる拠りどころを提出すべきであろう。その際、だれしもが思うのは、道徳の提示であろう。
 しかし、家族が崩壊しかねない現況は、比喩的に言えば戦時である。戦時には道徳は無力である。戦時に力があるのは、法である。
 また、現代日本人は道徳には反撥するくせに、法には異様に従順である。法と道徳とは、その精神の中身は同じであるが、法には強制力があるという点において異なる。しかし現代日本人は、強制力の有無はあまり意識せず、また関心もなく、法にまことに忠実である。日本では、法は法律でありながら、ほとんど道徳律のようになっている。その典型は日本国憲法である。今や日本人にとって日本国憲法は、かつての教育勅語(これも法の一種)みたいな道徳律のようになっている。
 
◆浮かぶ伝統的家族像
 そのような現況に鑑み、家族基本法を制定すれば、それは法であると同時に、家族の道徳にも擬(ぎ)しうることであろう。ひいては、家族の拠りどころともなるであろう。
 では、家族基本法の中身とは、どのようなものであるのか。
 私は、実情・実態にそぐわない法律は制定の意味がないと思っている。そこで、憲法の下の諸法律の内、大法である民法・刑法の中に散在する、家族に関する条文を抜き出してみた。そしてそれを並べてみると、驚くなかれ、伝統的家族像が浮かびあがってきたのである。
 すなわち、祖先祭祀(そせんさいし)(日本仏教における先祖供養)を重んじ、祖先以来の生命の連続の実現者としての家族であり、それが子孫へとさらに連続してゆく−そこには、私が主張し続けてきている儒教文化的家族主義の実態がある。憲法の言う「両性の合意のみに基づく」契約に依る個人主義的家族という建前とは異なるものである。
 私は、民法・刑法という具体的な法律に基づき、そこに見える家族関連の条文を集約した家族基本法の指針を作り、雑誌『正論』十月号に詳しく論述した。
 それは、少年法改正を前にして少年法を支える両輪の一つとしての意味を持つと思っている。それを生かすも殺すも、日本の政治家の見識と力量を俟(ま)つほかはない。『書経』に曰く、「時なるかな、失(しっ)すべからず」と。(かじ のぶゆき)
◇加地伸行(かじ のぶゆき)
1936年生まれ。
京都大学文学部卒業。
名古屋大学助教授、大阪大学教授。現在、大阪大学名誉教授。


 
 
 
 
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