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2001/09/27 産経新聞朝刊
【第二部 学力低下は誰のせい】いま学校は(11)「民主的」な職場
 
◆“平等”徹底で新人指導なく
 「先生方には何度もチェックするようお願いしていた。残念です」
 大阪府では今年七月、府立高校や工業高専の今春入試で得点集計作業にミスが相次ぎ、三校で計六人もの受験生が誤って不合格になっていたことが発覚した。ある校長は記者会見でこう謝罪したが、府教委幹部はその発言に憤った。
 「校長は教職員を監督・指導すべき立場にあるのに、『お願い』とは何だ。そんなことだからミスが出る。公式の場で、内部の事情を説明する際の言葉遣いとしても非常識だ」
 だが「先生方にお願い」と口にするのは、この校長だけではない。
 
 勤評闘争(昭和三十二−三十四年)と主任制闘争(五十年以降)。いずれも日教組が「職場に差別と分断を持ち込む」として、全国各地で激しい反対を繰り広げた闘争だ。「主任」とは、教務主任や学年主任、中学校の生徒指導・進路指導主事ら、校長や教頭に次ぐ「中間管理職」ともいえる存在である。
 「文部省や教育委員会が言うことに、『強制だ』『押し付けだ』と何でも反対する組合員が多かった時代。教職員はすべて平等という論理で動く組合の前では、校長ら管理職も組合の“敵”で、主任制も新しい縦の関係を持ち込むものとして反対された」。激しい主任制闘争が行われた大阪府豊中市の元市立小学校長はこう話す。
 学校内では、豊中市教職員組合の組合員が校長を糾弾する声が響き、職員室には横断幕が掲げられた。組合員が校長とまったく話をしない“無言闘争”も行われた。組織率がほぼ100%の組合の前に孤立無援となり、ノイローゼになったり、定年を待たずに退職したりする校長もいた。
 「闘争の結果、校長の権限がはく奪された。学校によって温度差はあるが、教条主義的な組合員の多いところでは、校長は正常な管理ができなくなる。校長が授業中に廊下を歩いただけで『監視するのか』とまでいわれるようになった」
 こんな学校は豊中市だけではなかった。数年前に退職した大阪市立小学校の元校長は、授業中に教室に入ると「子供たちが動揺するから」と児童の目の前で言われ、追い出されることもたびたびだった。
 「アドバイスしようとしても『あなたから指導されるいわれはない』と反論される。職員会議では組合員の教師らから指をさされ、『個人攻撃だ』とつるし上げにあったこともある」
 先輩・後輩の関係も“平等”の前に影を潜めるようになる。
 「かつては先輩から、子供たちへの発問の仕方はもちろん、授業中のチョークの持ち方から歩き方まで指導された。だが“平等”意識の徹底につれ、そんな光景はなくなった」と豊中市立小学校の元校長。大阪市立小学校勤務二年目の女性教諭も「勤務経験に関係なく平等が徹底され、最初から一人前扱い。主任も任されて驚いた。こちらからたずねると親切に教えてくれる先輩もいるが、そうでない限り先輩から教わることはない。指導技術がその人止まりになっている面があるのでは」と話す。
 
 「教職員はみな平等」を表す用語が「教職員の自主性を尊重する民主的な職場」だ。
 豊中市で、市立小中学校の全教職員を対象にほぼ毎月一回、開かれている「豊中市立小中学校教育研究会(市教研)」。開催日には、小学校は午前中だけで授業を終了し、中学校も午後は一時限だけで児童・生徒を早帰りさせる。それにもかかわらず、参加率は長年約三割と低迷してきた。
 市教研には市の予算補助もなされているため、市議会で問題視する声が上がり、平成十年度から改善に取り組んだものの、十一年度も市教委の調べで参加率は43・4%にとどまった。その市教研のスローガンが「自主・民主・公開」だ。(教育問題取材班)


 
 
 
 
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