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2000/11/03 読売新聞朝刊
読売新聞社の教育緊急提言 新世紀の担い手育てるために
 
 読売新聞社が「新世紀の担い手育てるために」と題して行った教育緊急提言の詳細は次の通り。(本文記事1面)
 
◆「教育改革」を改革せよ
一、自由、個性を放縦と混同させるな
一、自然・社会体験でルール、道徳を教えよ
一、責任ある自由を柱に新教育基本法を
 
◆規範意識はぐくむ 分かるまで教える
 臨時教育審議会をはじめ、これまでの教育改革は「自由化」「個性化」を基本理念としてきた。その目標自体は正しいとして、現実には少年非行やいじめ、学級崩壊など、教育を取り巻く問題はかえって深刻化している。その一因は、「自由化」「個性化」のはき違えにある。
 親も地域も学校も、自由、個性の尊重という名のもとに、しつけや社会道徳を教え込むことを放棄してきたのではないか。その結果、社会規範に欠け、将来に希望も持てない子どもが育っているのではないか。
 少年犯罪が戦後第四のピークを迎えたと言われて久しい。目立つのは非行の低年齢化だ。年少少年(十四、十五歳)、中間少年(十六、十七歳)千人当たりの刑法犯人数は九六年から急上昇しており、一昨年はそれぞれ二二・〇人、二〇・三人と、年長少年(十八、十九歳)の九・〇人を大きく上回っている。
 一方、昨年度、公立小中高での校内暴力は初めて三万件の大台に乗った。学級崩壊も全国的傾向となり、文部省の委嘱調査によると、学級崩壊が起きている教室の三割は、指導力にたけた教師でも「運営困難」な事態だという。
 読売新聞社が今年四月に実施した世論調査では、教育改革で「道徳教育の充実」を望む人が半数近くを占め、家庭で心がけるべきこととして七割以上が「善悪の判断をしっかり教える」ことだとしている。
 自由も個性も社会の中で初めて実現される価値であり、社会の一員としての規範意識を身につけることが前提となる。してはいけないこと、マナー、奉仕の精神などを教える道徳教育に力を入れよう。その一環として、現実社会にも触れさせることが大切だ。都市化や核家族化が進み、自然や地域、社会との接触の機会が奪われている。サマースクールなど集団での自然体験や、職場見学といった多彩な社会体験活動の機会を与えたい。「ボランティア」については、他人から強制されるものではなく、豊かな人間性からおのずと生じてくる概念であること、社会生活をおくるうえで必要なものであることを教えるべきだ。これらの学習を小学校からの「必修」としたい。
 また、希望する大学生には二年間を限度とする社会体験等の活動のための休学を認めたい。年齢的に最も主体性のある活動が期待できるからだ。この「オフ」を、「国家資格をとりたい」「外国で学びながら働いてみたい」「地方で介護ボランティアを経験したい」といった規模の大きな活動に充ててほしい。この間の授業料は免除する。
 一方で、抜本的な教育改革を進めるために教育基本法を新たに作り直す必要もある。制定から五十三年が経過、「男女の共学は認められなければならない」といった条項のように、すでに定着して時代に合わなくなっている部分も目立ってきている。
 市民生活を営むうえで、社会という「公」のために個人が何をすべきかという社会性や倫理観を育成し、「責任ある自由」の理念を体得させることを明記すべきだ。さらに、家庭教育を尊重し、学校、地域との連携を明確にすることも大切だ。制定当時に全く欠けていた生涯教育の理念も盛り込むことが望ましい。国際化社会で日本人としてのアイデンティティーを見失わないため、日本の歴史、文化、伝統の尊重をうたうことも重要である。
 改正の是非をめぐる不毛な議論を離れて、新世紀の教育のあり方を探る視点から新しい基本法を検討したらどうか。単なる理念の羅列ではなく、中長期的な視野で教育改革を着実に進めるには、財政支出を担保する教育振興基本計画の策定義務を盛り込むことも効果的だ。
 「教育改革」にあたって大切なことは、教育の原点に戻って「子どもとは何か、育てるためには何が大切か」を考えることである。戦前の教育もすべて否定する必要はないだろう。教育制度やこれまでの諸改革を総点検し、良いものは今後に生かしていく姿勢も必要だろう。
 
◆基礎学力の向上を図れ
一、「ゆとり」を反復学習に生かせ
一、中学、高校で「学力試験」を実施せよ
一、英語を小学三年から必修に
一、良書に親しむ習慣をつけよう
 IEA(国際教育到達度評価学会)の調査によると、日本の中学生の数学、理科の平均正答率は、九五年と九九年でほとんど変化はないという。だが、国際比較では、数学の場合、八一年の一位が九五年には三位(一位・シンガポール)に、理科も八三年の二位が九五年には三位(一位・同)に落ちている。
 さらに昨年調査で、数学、理科が「(大)好き」と答えた中学生の割合は、それぞれ47%、54%に過ぎず、九五年調査よりさらに6ポイント、2ポイントずつ減っている。これは参加三十八か国中、最低レベルだ。
 意欲、興味の喪失は、基礎学力の大幅な低下につながりかねない。事実、文部省の最新の調査では、授業内容が「わかる」小学三年生は全体の71%、中学二年は44%、高校二年では37%にとどまっている。
 中学校の年間授業時間数(九八年調査)を見ても、日本(八百七十五時間)はトップのイタリアより二百三十時間、六位の米国より百五時間少ない。調査二十六地域の平均(九百二十三時間)をも下回っている。さらに二〇〇二年度からの新学習指導要領では、小中学校の学習内容が約三割削減される。
 専門家の間には、「基礎学力は低下していない」という指摘もあるが、こうしたデータを見るかぎりその将来に強い危機感を抱かざるをえない。
 「ゆとり教育」が叫ばれて久しい。八〇年代半ば、臨教審答申を受けて、文部省はそれまでの詰め込み型教育から「ゆとり重視」路線に転換した。「ゆとり」は本来、すべての子どもに基礎基本を徹底して身につけさせた上で、一人ひとりの可能性を伸ばすために活用されるべきものだ。
 だが、現実には、「ゆとり」は単に学習量を削減するだけのものと曲解され、子どもも「勉強しなくていい」という錯覚に陥っているのではないか。その結果、塾通いなどで独自に学習する子と、放任によって落ちこぼれていく子との二極分化も進んでいる。新指導要領で示されている教科内容は、子どもたちが身につけるべき最低限の基準だ。基礎の反復練習、繰り返し学習によって、分かるまで何度も教える必要がある。
 子どもたちが良書に親しむ機会も増やすべきだ。学校の読書の時間などで早い時期から優れた児童文学や世界の古典、名著に触れさせることで、考える力や幅広い教養、「人間観」を身につけさせなければならない。「よく学び、よく遊ぶ」子どもを「ゆとり教育」の理想像としたい。
 時代の要請にも応じる必要がある。国際共通語となった英語を小学三年から必修にしよう。母国語を身につけた上で外国語を学び始めるのに適した年齢だからだ。既に一部の小学校で行われている総合的な学習の時間での英会話学習は、「国際理解」が目的とされ、体系的な英語教育ではないため、中途半端なものに終わる恐れがある。
 一人の教員が常に四十人の子どもを教える従来型の一斉授業スタイルを見直すことも大切だ。少人数のグループ別指導や、小学校の教科担任制を進めることは、授業のレベルアップにもつながる。
 子どもたちの学習到達度を知ることも大切だ。日本では、教職員組合の反対などもあって、全国的な学力試験は行われなくなっている。イギリスなどでは八〇年代に学力低下が問題になり、その底上げのため全国的な学力試験が重視され始めた。中学二年終了時に主要科目の学力試験を行い、生徒全員が受験し、その後の指導に生かすべきだ。
 高校でも同様の試験を主に三年時に行う。複数回実施し、大学は入学者選抜の一助とする。進学しない高校生も学業の証(あかし)とできるようにし、大学入試センター試験は廃止する。こうした試験が、新たな学習の動機づけとなることも期待される。成績の公表は学校の序列化につながらないよう配慮することが必要だ。
 
◆多様な才能を「平等」でつぶすな
一、運動、芸術、技能の才能も伸ばそう
一、中高一貫など新形態の学校を増やせ
一、成績は一人ひとり絶対評価で
 
◆個性の違い大切に 真の高等教育再建
 いまの学校には、個性重視と言いながら、現実には他人との差異を認めることを「差別」とするような、誤った平等意識がはびこっている。運動会の徒競走で、あえて順位をつけず、全員が一緒にゴールできるよう「配慮」する学校もある。子どもの得意分野や能力を積極的に評価し、スポーツ、芸術、技能など、一人ひとりに合った「才能教育」を充実させることが求められる。
 その結果が個々の進路につながっていくことが望ましい。大学に進学することだけを目標とするのでなく、技能を身につけ、いち早く社会に出て働き、スペシャリストとして自分の才能を伸ばしていく生き方もある。
 そのために、小中学校から仕事について学び、職場体験などを通じて、働くことの大切さを学ばせよう。工業、商業、農業などの職業教育を専門とする高校を時代に合ったものに転換させ、「ものづくり」の大切さを評価する価値観を育てる必要がある。
 一人ひとりの違いを大切にすることは学習面でも当然求められる。習熟度別学習、選択教科を拡大し、個人の能力、関心に応じた教育を進めなければならない。公立の中高一貫校を増やし、指導要領の枠を超えた高度、専門的な授業も行えるようにしよう。
 親、住民、企業などが多様な教育目的を掲げて運営する公設民営型の学校(チャータースクールなど)の設立を認め、特色ある教育活動を促進しよう。これらの学校の教育効果は教育委員会が厳正に評価する。教科書の検定を大幅に緩和し、放送、インターネット教材など多様な学習材も活用しよう。
 そして、多様な才能をはぐくむためには、成績評価を、一人ひとりが学んだことをどこまで身につけているかを見る絶対評価にするべきだ。他の生徒との比較による相対評価では、せっかく努力しても全体がレベルアップしては成績が下がってしまうことにもなりかねず、子どもの学習意欲をそぐ恐れがある。
 塾講師のきめ細やかな指導で理解が深まり、勉強の面白さに目覚める子どももいる。学校教員も、時には学習塾などに指導方法などを学ぶ姿勢があっていい。
 さらに、親や地域の住民による職業体験を生かした授業、企業からの講師派遣などによって、子どもたちの学習に幅を持たせたい。
 
◆大学を学ぶ場に戻せ
一、生物わからぬ医学生は困る
一、基礎教養科目は必修とせよ
一、国際競争力ある大学、大学院を
 大学進学率(短大を含む)が五割近くに達し、大学も多様化、個性化の時代を迎えている。ただ、どんな大学であれ、そこが学ぶ場であることを忘れてはならない。京都大学の西村和雄教授らの調査によると、私立のトップ校でも分数など小学校レベルの計算ができない学生が約二割いるという。一方、高校で生物を学んでいない医学部生もいる。
 受験生確保のため、入試科目を極端に減らすなど安易な入試を行っている大学が少なくないことも大きな要因だ。文部省が国公私立五百九十六大学を対象に調査を行ったところ、高校で学んでこなかった科目などの補習授業が18%にあたる百五大学で行われていた(九八年度)。予備校講師に補習授業を頼んでいる大学すらある。各大学は教育目的に合った入試を行い、受験生の基礎学力を厳しく問わなければならない。
 教養科目の再構築も求められている。九一年に大学設置基準が大綱化(改正)され、各大学は自由に教育課程を編成できるようになった。その結果、専門重視の潮流が強まり、一、二年生の教養教育の場であった大学の教養部は大半が解体され、国立では東大教養学部、東京医科歯科大教養部を残すのみとなった。教養部を廃止した大学でも、京大のように新たな教養教育に力を入れるところもあるが、現実には多くの大学で教養教育は衰退してしまった。
 歴史、古典、哲学、自然科学などを中心に、あえて基礎教養科目の必修化を訴えたい。国際化社会の中で、自分の国の歴史や文化を外国人に説明できないというのは恥ずかしいことだ。日本は欧米に比べ専門の枠を超えた広い識見を持つリーダーが乏しいと言われるが、その意味でも教養教育の拡充は急務だ。その際、民間人ら幅広い人材を教員に登用し、活性化を図りたい。
 また近年、学生が、学費のためでなく、遊ぶ金のためにアルバイトに精を出し、授業をそっちのけにしている傾向が見られる。入学してしまえば苦労もせずに学位が与えられるという「甘え」も背景にあろう。学位の授与は国際水準を維持すべきだ。
 国際的な競争力を持つ大学・大学院の育成も急がなくてはならない。グローバル化が進む中、社会、経済の急速な変化に対応できる高度な知識が職業人には求められている。しかし、日本の文科系大学院は、研究者養成を主眼としたシステムであったため、企業の優秀な人材がアメリカの大学院に留学し、MBA(経営学修士)などの学位を取得するケースが相次いだ。
 高度な経営実務などの研究、教育を外国に頼っていたのでは、日本の高等教育の国際競争力は衰退していく。ビジネススクール、ロースクール、メディカルスクールなどの専門大学院を、世界水準まで拡充していくことが必要だ。また、IT(情報技術)、医療、生命科学なども著しい進歩を遂げており、この分野の大学院教育も立ち遅れは許されない。
 研究、教育を活性化させるため、留学生交換や教授の国際的人事交流を促進し、海外に合わせた秋期入学の拡大などが求められる。国境を超えたインターネット教育も普及してきており、日本でもネットで単位を取得できる制度を整備すべきだ。
  
◆先端的研究を伸ばす投資を
一、優れた研究をフェアに評価せよ
一、産学連携に無用な制約をなくせ
 
◆公正な研究風土を
 ノーベル化学賞の受賞が決まった白川英樹博士は、科学研究の日本国内の評価方法について、客観性や厳しさに欠けると指摘したうえで、「アメリカの学会誌に論文を提出すると、きわめて的確な、厳しい批評が戻ってきて、研究者の評価力の高さに驚く」と語っている。日本の場合、研究評価の面では肩書や学会の派閥などの論理が優先されやすく、米国のように「科学者が対等に批評する」という自由な評価に欠ける部分も見られる。
 資源小国のわが国は、豊かな知的資産に支えられた科学技術立国を目指すことが不可避であり、そのためには、何よりも、優れた研究を公正に評価する風土と体制をつくらねばならない。
 わが国の研究費は約十六兆円(科学技術庁調べ)だが、横並び、平等、細分化の傾向が強く、有効に配分されているとは言い難い。研究費が、先端的研究や優れた研究に傾斜配分されるような方式に改善しなければならない。その際の研究評価には、専門のスタッフを投入、幅広い視点で客観的に評価しなければならない。
 欧米では研究者が自ら応募し、審査を経て獲得する国の競争的研究資金の割合が研究費の30%から40%を占めるが、日本はまだ10%未満である。優秀な若手研究者が意欲的な研究を進められるよう、競争的資金を拡大すべきだ。
 研究者と同時に、大学へも研究費が入るような支給制度(オーバーヘッド方式)も効果的に活用すべきだ。特に国際競争の激しい分野では、事務手続きを早めて研究費を支給し、事後に成果を厳正チェックする方式を採用した方がよい。
 また大学・大学院と産業界が緊密な協力体制をとることも不可欠だ。国公立大研究者らの兼業を制約している公務員法を改正し、企業との人事交流を進めて産学連携のダイナミックな研究を拡大する必要がある。
 これまでは、国公立大研究者が企業との共同研究を進める過程で、癒着や贈収賄疑惑を指摘されることも少なくなかった。個人が不正な利得を図ることは論外で、大学での研究成果を円滑に民間移転するためには透明度の高いシステムを構築し、文部・通産省の承認を受けたTLO(技術移転機関)の内容、数も拡充する必要がある。
 研究分野には生態学、言語学など、産業界に直接関連しない地道な領域も多いが、こうした分野でも優れた研究を適切に評価し、投資することは、来世紀の高等教育の活性化につながるだろう。
   
◆優れた教員を育てよ
一、「なんとなく教師に」を排せ
一、教員の評価に親、地域の声も
一、実践重視の教員養成大学院を作れ
 
◆教職を選ぶ使命感
 学校教育の主たる担い手は教員だ。成長過程にある子どもに知識と「生き方」を教える職業である以上、強い責任感と使命感が求められる。
 ところが現状を見ると、安定した収入や、遠方への転勤がないことなどにひかれ、さしたる教育理念もないまま教職の道を選ぶ大学生も少なからずいる。教員になっても、子どもとの摩擦を恐れ、常に仲のいい友達のような関係であろうとする傾向はないか。児童・生徒から親しまれること自体は悪いことではない。だが、子どもにこびていては、教える側と学ぶ側の適正な関係は築けない。
 いま、教師の「質」が厳しく問われている。文部省や教育委員会も「問題教師」に対する強い姿勢を打ち出しており、その結果、懲戒処分を受けた教職員の数は八九年度の五百三十二人から、九八年度には七百九十四人にまで増えている。指導に適格性を欠く教師を、教壇から降ろすことをためらうべきでない。
 優れた教員を育てるためには、採用、養成、評価など多角的な観点から検討する必要がある。現在、教員の平均年齢は小中高とも四十歳を超え、年齢構成の偏りが現場の硬直化、部活動の指導者不足などを呼んでいる。自治体は長期的視野に立った採用計画を立てるべきだ。大卒者の採用に当たり、知識力だけでなく、人間性や行動力を重視することは当然だ。学校を活性化させるため、企業で働く社会人などの積極登用も推進したい。
 教員の養成教育には、抜本的な改革が求められる。大学は教員を目指す学生に対し、専門教科の知識や指導法を教えるだけでなく、「いじめ」や学級崩壊など現場の諸問題に対応できる実践的な能力の育成も重視すべきだ。
 そのための専門大学院を創設する必要がある。すでにある教員養成大学・大学院の一部を「実践重視型」に転換させてもいい。そこで学生に臨床的な知識、指導力を身につけさせ、一方でいじめや学級崩壊などの対処法を研究・開発し、現場に反映させたい。指導教官には、学校現場から熟練教師も登用する。大学で教職課程を履修しなかった学生も受け入れるほか、教員の再教育の場としても活用する。
 さらに、地域や保護者代表による学校評議会の設置を義務づけ、教員の評価に参加させることも必要だ。ただし、親のエゴで教員を批判し、教育活動を委縮させるようなことがあってはならない。教科や部活動の指導などに優れた実績を上げた教員は、給与面などで優遇する制度をつくるべきだ。
 大学教員についても、研究成果に加え、学生への教育・指導能力が問われるべきだ。大学院在籍中にTA(授業助手)を務めることを義務づけ、授業法を学ばせる。授業評価の審査機関やシステムを大学の内外につくり、教育能力も昇進、昇給の条件とすべきだ。
 
■教育基本法
◆戦後教育の根本理念
 日本国憲法制定を受けて、一九四七年三月に施行。明治天皇名で発布され戦前の臣民教育の基本方針を示した教育勅語に代わって、戦後の民主主義教育の根本理念と方針を定めた。教育憲法的な性格を有し、すべての教育法令の基本となる。
 前文と十一の条文からなる。理念として、民主的で平和的な国家の建設、個人の尊厳を重んじることなどに力点が置かれた。反面、日本の歴史や伝統の尊重、社会奉仕などに関する記述は一切なく、生涯学習への取り組みなど近年生まれた新たな教育目標についても触れられていない。
 戦後のイデオロギー対立の影響もあって、見直しは長く「タブー」とされてきた。先の教育改革国民会議中間報告では、「必要に応じて改正されてしかるべきだとの意見が大勢を占めたが、どのように直すべきかでは意見の集約はみられていない」と総括している。
 
■チャータースクール
◆住民の手で「公立校」
 九二年にミネソタ州に第一号が誕生し、米国に急速に広がった新しいタイプの公立学校。既存の公立校に満足しない地域住民や教員、企業などが、教育委員会などからチャーター(特別認可)を受けることで、独自の理念にもとづいた学校を運営することができる。様々な法令や規則の適用が免除されるため、実験的な教育やきめ細かい指導が可能。運営資金には公費が支出されるが、一定期間内に、定められた教育目標が達成されない場合は、閉鎖に追い込まれる。
 住民に学校選択の機会を提供する取り組みとして注目を集めており、クリントン大統領も制度の導入を各州に呼びかけた。日本でも子ども一人ひとりの個性に応じた教育を行う観点から、自民党の議員や市民グループなどに同様の制度を模索する動きがある。
 
■IT時代の大学教育
◆ネットで学位を取得
 インターネットなどのIT(情報技術)は、時間、距離、国境など様々な制約を取り払い、多くの人に開かれた大学・大学院教育を実現する手段となる可能性がある。
 米国では、インターネットによる通信教育で単位取得ができる大学が多数存在し、インターネット学習だけでMBA(経営学修士)などの学位取得が可能な大学もある。
 日本の大学・大学院は、インターネットによる通信教育を前提にしておらず、こうした動きに対応できない。このため文部省は、大学設置基準の改正作業に着手。国内の大学に在籍しながら外国の大学などの単位をインターネットで取得した場合、六十単位を上限に在籍大学の単位として振り替えることなどを、来春から可能にする方針だ。
 だれもが、いつでも比較的安価に学ぶ機会を提供することにつながり、社会人の生涯学習にも役立つと期待される。
 
 今回の提言は、勝方信一(編集委員)、楢崎憲二(論説委員)、村岡彰敏、河野修三、日高徹生(政治部)、丸山伸一、古沢由紀子、小松夏樹、高田浩之(社会部)、天日隆彦、保井隆之(文化部)、浜本良一、若山樹一郎(国際部)、小出重幸、保坂直紀(科学部)、堀井宏悦(地方部)、徳永文一、鈴木章功(生活情報部)、井上憲司、知野恵子、河合敦(解説部)、田々井源吾(NIE事務局)が担当しました。
 
《主要各国の科目別年間授業時間比較》
  全体 国語 数学 社会 理科 外国語
イタリア 1105 254 111 155 111 122
米国 980 167 157 118 137 69
フランス 928 170 140 130 120 110
ドイツ 901 133 123 104 104 199
日本 875 123 105 105 96 114
韓国 867 131 112 103 112 112
 
  技術家庭 美術音楽 体育 その他
イタリア 99 144 77 33
米国 29 69 118 118
フランス 70 80 110 0
ドイツ 0 85 85 66
日本 70 96 88 79
韓国 47 93 84 75
(日本総合研究所調べ)

 
 
 
 
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