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1993/01/06 読売新聞朝刊
[社説]「脱偏差値」は時代の流れだ
 
 教育界は、いわゆる偏差値問題を抱えたまま、新年を迎えた。
 埼玉県教委による問題提起が、あっという間に全国区的な課題となったのは、子供の能力を、しかもそのごく一部を、数値で測ることの異常性、あるいは非人間的な側面に、改めて気づいたためだろう。
 首都圏の私立高校の「事前相談」は、一部に戸惑いが見られたものの、大きな混乱なく終わったようだ。だが、問題は、これからどうするか、にある。
 偏差値を実質的な合否の判定資料として提供するのは、早急に廃止すべきだし、中学での進路指導についても、使わないようにする方向を模索しなければならない。
 偏差値問題への対応がいかに急務であるか。それは、昨年の教育の流れを振り返って見ても明白なことと言える。
 昨年四月に全面実施された学習指導要領は、個性重視とともに「新しい学力観」を掲げている。暗記の量を競うのではなく、自分で考え、判断できる力を培う教育への転換を狙ったものだ。
 これを受けて指導要録でも、相対評価が主役からわき役に回り、一人ひとりの優れた点や長所を積極的に認め、伸ばしていく方向へと考え方を変えている。
 学校五日制がスタートしたのも昨年である。子供にゆとりと自由を与えることで、生きる知恵や豊かな人間性を身につけてほしいとの趣旨が込められている。新設の生活科も含め、数値では測りにくいものを大切にする時代に入ったと言っていい。
 学校不適応問題(登校拒否と高校中退)についても文部省の専門家会議が注目すべき方向を打ち出した。一時的な回り道や、やり直しのきく仕組みを求めた提言には、偏差値が心理的抑圧や不本意入学を生む一因だとの認識も含まれている。
 これら一連の動きに共通するのは、児童・生徒の個性を、多面的にとらえようとする姿勢だろう。こうした状況の下で偏差値論議が巻き起こったのは、絶妙のタイミングだったと言えなくもない。
 今後の指針は、文部省の高校教育改革推進会議が検討中だ。決定打は見つかりにくいが、少なくとも、偏差値を使わないことを目標に据えなければなるまい。
 そのうえで、考え得るあらゆる手立てを講じていく必要がある。
 進路指導と入学者選抜は、まず効率や便利さに寄りかかることから抜け出す発想が求められる。生徒の選択を中心に据え、学校が手間ひまかけて助言に当たる。一点刻みの点数主義ではなく、幅のある目安で十分可能、という姿勢に転じたい。
 そのためには、高校を個性や特色あるものにし、偏差値になじみにくいものにしていかなければならない。
 高校入試についても、多様な窓口と物差しを用意することで、生徒が自分に適したものを選べるようにしたい。再挑戦できるよう受験機会の複数化も必要だろう。
 意識の変革も含め、あちこちに揺さぶりをかけ、変化の流れを大きくしていく。そうした息の長い取り組みが欠かせない。

 
 
 
 
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