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1987/12/20 読売新聞朝刊
[社説]ほしいのは個性豊かな教師だ
 
 教育論をつき詰めていくと、最後は必ず教師論になってしまう。それほど、教師のよしあしは、学校教育を左右する。だからこそ、いつの世も教師は期待され、その裏返しの批判と注文が寄せられる。
 文部省の教育職員養成審議会が、教員の資質能力の向上方策について最終答申をまとめた。免許制度の見直しを軸に、養成から、採用、現職研修に至るまで数多くのメニューを盛り込んだ提言は、この世間の期待と注文にこたえるものになっているだろうか。
 答申は、幅広い人材の確保をうたってはいる。そのために、社会人教師を特別免許や非常勤講師として登用する道を開いている。このことは大いに評価されていい。
 あるいは、教育実習の前後とか、初任者研修、現職研修の中で、福祉施設など学校外での体験の勧めを打ち出しているのも悪くない。ともすれば視野の狭くなりがちな職業だから大いに進めてほしいと願う。
 問題は、数の上で圧倒的多数を占める一般教師の養成と免許のありようである。
 答申は、十月の中間まとめの基本部分を引き継ぐ形で、三種類免許制を提言している。現在の一級、二級に代えて、大学学部卒を標準、短大卒を初級とし、大学院修士課程修了者に専修免許を新設するというものだ。
 そして、標準免許で教師になった者も、できるかぎり専修免許状を取得するように努力することがのぞまれる、としている。
 教師が専門的知識を豊富に持つことは望ましいことには違いない。だが、四年間では不足だ、大学院でなければ困る、という理由づけが、答申からはっきり伝わってこない。それに、大学院を出ているからといって、いい先生になるという保証はどこにもない。
 特に、小中学校で言えば、できない子や答えを出すのが遅い子の心を理解し得ない教師が増えるようでは困る。
 免許基準の引き上げにも問題がある。
 小学校標準免許で二三%増えるのをはじめ、どの種類の免許を取る場合でも大学で学ぶべき単位数が引き上げられる。しかも増えた中身のほぼすべてが、教科専門科目か教職専門科目である。それはそれで大切だが、全体としてみれば「教えることの専門性」に重きを置きすぎてはいないか。
 情報化と価値観の多元化の時代という変化の中で、教師が子どもたちに伝えるものも大きく変わろうとしている。それは、ありあまる情報をどう選択し判断するかの能力と、異質のものを認め合う態度を培うことだと言える。それがいま、教師の資質として最も求められているのではないか。
 その意味で、養成段階の大学では、もっと自由度の高い教育を用意し、子どもたちに対して幅の広い態度、考え方で接することのできるようにするのが大切のように思える。教員養成系の大学を出る者の半数近くが教職以外の職業についているという実態から見ても、なおのこと柔軟で風通しのよい中身にする必要があるのではないか。
 教育改革の柱は、「個性化、自由化、多様化」であったはずである。それは、そのまま教師の世界にも求められていることだ。
 免許法の改正は次の国会に提案される。もう一度、最善のものは何かを、国民的論議の中で考える必要があろう。

 
 
 
 
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