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1987/02/28 読売新聞朝刊
臨教審 かすんで来た「個性重視」 生煮えのままの自由化論(解説)
 
 臨時教育審議会は、四月初めの第三次答申に向けて大詰めの段階に入った。が、改革の大前提である「個性重視の原則」がかすんでしまってきている。なぜか。
(解説部 永井 順国)
 
 総会が毎週一回、それに、木曜日以外は、四つの部会のうちどこかが会合を持っている。むろん、二つ以上の部会がダブッて開催することもある。会議の頻度に関する限り、臨教審の審議はかなり濃密である。
 論議されているもののうち、大きなテーマとなっているのは、教科書制度、大学の設置形態、九月入学制への移行である。いずれも、さる一月に公表された「審議経過の概要」で、意見の折り合いがつかず両論併記になったものだ。
 「教科書検定を緩めて、例えば『認定』制にしたらどうか。将来的には自由発行・自由採択が望ましい」「いや、基本的枠組みは現状維持のままでいい」
 「国立大学は、行政の手から離して、各大学が自由にさまざまな試みができるようにしなければ」「いや、当面その必要性は認められない」
 九月入学を含め、どれも重要な課題である。が、それぞれの論議が大げさでなく、他人事のように聞こえてくるのはなぜだろう。
 結論から言えば、今回の教育改革の基本理念に挙げられている「個性重視の原則」がかすんでしまったためである。昨年四月、二次答申は「画一よりも多様を、硬直よりも柔軟を、集権よりも分権を、統制よりも自由・自律を」とうたった。この姿勢がどの提言に現れてきているのかも見えてこない。
 個性重視の原則は、「教育の人間化」と言い換えることもできる。いま、世間の大人や親たちが真剣に望んでいるのは、小学生について言えば、もっと一人ひとりの違いに目を向けた教育であり、楽しく過ごせる学校である。
 中学、高校生やその親たちからは、非人間的かつ瑣末(さまつ)な管理主義教育の横行に対する疑問の声が聞こえてくる。そして、何よりも、知的好奇心を抱いたり、それを持続すれば、いまの社会では「敗者」となってしまう学校システムに危機感を抱いている。要約すれば、生涯教育体系の移行とかインテリジェント・スクールと言われてもピンと来ない、目の前の小学校や中学、高校での現状を何とかしてほしい、という声と言える。
 この不透明さの原因は何か。一つには、「個性重視」という言葉の引き金となった「教育自由化」論が生煮えのままになっていることが挙げられる。そして、改革主張派と現状維持もしくは現状改善派との間で、この二年、妥協や微調整方式の駆け引きを繰り返してきたことが、一層見えにくい状況を作り出していると言える。
 何とか合意にこぎつけてまとまったものにしなければ答申になり得ない、という論理も成立する。だが、論議の対象になっているのは教育であり、行き詰まり状況の中にいる子どもや若者たちに、大人は何をしてやれるか――である。
 微調整方式や、足して二で割って折り合いをつけるパターンではなく、改革の原点に立ち返った審議と、一般国民の目に見えやすく、かつ、ふに落ちる答申作りが望まれる。

 
 
 
 
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