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2000/12/23 毎日新聞朝刊
[特集]教育改革国民会議報告 教育を変える17の提案(その1)
 
 22日に提出された教育改革国民会議報告―教育を変える17の提案―は次のとおり。
(「はじめに」と「おわりに」は略)
 
1、私たちの目指す教育改革
(教育は人間社会の存立基盤)
 人間が人間である最大の特徴は、広い意味での教育を通じて成長することである。教育を通じ、先人が築いてきた知恵や文化を身につけるとともに、新しい考え方や行動を編み出してゆく。また、教育によってそれぞれの才能を開花させ、一人の人間として自立するとともに、家族や社会の一員として、さらに国民、地球市民として、他の人を尊重し、誇りと責任を持って生きていくことを学ぶのである。教育の問題は、教育を受ける一人ひとりの人間が社会的自立を果たし、よりよき存在になるために重要であるにとどまらず、社会や国の将来を左右するものであり、教育こそ人間社会の存立基盤である。
 
(危機に瀕<ひん>する日本の教育)
 日本人や日本社会は、これまで、その時代の中で教育の営みを大切にし、その充実に力を注いできた。明治政府発足時、第二次世界大戦の終戦時など、幾度かの大きな教育改革が行われてきた。そして、日本の教育は、経済発展の原動力となるなど、時代の要請に応えるそれなりの成果を上げてきた。
 しかし、いまや21世紀の入り口に立つ私たちの現実を見るなら、日本の教育の荒廃は見過ごせないものがある。いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の続発など教育をめぐる現状は深刻であり、このままでは社会が立ちゆかなくなる危機に瀕している。
 日本人は、世界でも有数の、長期の平和と物質的豊かさを享受することができるようになった。その一方で、豊かな時代における教育の在り方が問われている。子どもはひ弱で欲望を抑えられず、子どもを育てるべき大人自身が、しっかりと地に足をつけて人生を見ることなく、利己的な価値観や単純な正義感に陥り、時には虚構と現実を区別できなくなっている。また、自分自身で考え創造する力、自分から率先する自発性と勇気、苦しみに耐える力、他人への思いやり、必要に応じて自制心を発揮する意思を失っている。
 また、人間社会に希望を持ちつつ、社会や人間には良い面と悪い面が同居するという事実を踏まえて、それぞれが状況を判断し適切に行動するというバランス感覚を失っている。
 
(大きく変化する社会の中での教育システム)
 21世紀は、ITや生命科学など、科学技術がかつてない速度で進化し、世界の人々が直接つながり、情報が瞬時に共有され、経済のグローバル化が進展する時代である。世界規模で社会の構成と様相が大きく変化し、既存の組織や秩序体制では対応できない複雑さが出現している。個々の人間の持つ可能性が増大するとともに、人の弱さや利己心が増大され、人間社会の脆弱(ぜいじゃく)性もまた増幅されようとしている。従来の教育システムは、このような時代の流れに取り残されつつある。
 校長や教職員、教育行政機関の職員など関係者の意識の中で、戦前の中央集権的な教育行政の伝統が払拭(ふっしょく)されていない面がある。関係者間のもたれ合いと責任逃れの体質が残存する。また、これまで、教育の世界にイデオロギーの対立が持ち込まれ、教育者としての誇りを自らおとしめる言動がみられた。力を合わせて教育に取り組むべき教育行政機関と教員との間の不幸な対立が長らく続き、そのことで教育に対する国民の信頼を大きく損なってきた。教育関係者は、それぞれの立場で自らの在り方を厳しく問うことが必要である。
 
(これからの教育を考える視点)
 私たちは、このような現状を改革し、日本と世界の未来を担う次世代の教育をよりよきものにするために、次の三つの視点が重要であると考える。
 第一は、子どもの社会性を育(はぐく)み、自立を促し、人間性豊かな日本人を育成する教育を実現するという視点である。
 自分自身を律し、他人を思いやり、自然を愛し、個人の力を超えたものに対する畏敬の念を持ち、伝統文化や社会規範を尊重し、郷土や国を愛する心や態度を育てるとともに、社会生活に必要な基本的な知識や教養を身につける教育は、あらゆる教育の基礎に位置付けられなければならない。このような当たり前の教育の基本をおろそかにしてきたことが、今日の日本の教育の危機の根底にある。家庭や学校はもとより、社会全体がこの教育の基本の実現に向けて共通理解を図り、取り組む必要がある。
 子どもの行動や意識の形成に最も大きな責任を負うのは親である。家庭は、命を大切にすること、単純な善悪をわきまえること、我慢すること、挨拶ができること、団体行動に従えることなど、基礎的訓練を行う場である。また、成長に応じて子ども自身の責任も重くなる。
 しかし、子どもや親が孤立していたのでは、教育は十分に効力を発揮し得ない。親自身の教育が問題という場合も少なくない。また、核家族化、都市化などにより家庭の様相が大きく変貌している。このため、親だけには任せず、社会の英知を集め、家庭と教育機関と地域社会がそれぞれの使命、役割を認識し、連携して支援をすべきである。なぜなら子どもは、それぞれの家庭の子どもであると同時に、人類共通の希望だからである。
 第二は、一人ひとりの持って生まれた才能を伸ばすとともに、それぞれの分野で創造性に富んだリーダーを育てる教育システムを実現するという視点である。
 教育の大切な役割は、一人ひとりの持って生まれた才能を引き出し、それを最大限に発揮させることにある。人は皆、他人と違って生まれてくる。植物には、湿度の高い場所を好むもの、酸性土壌を好むもの、肥沃な土壌でないと育たないもの、直射日光を嫌うものなど実に様々なものがある。そうした特性に応じた育て方が必要である。このことは私たち人間も同様である。
 戦後教育は、「他人と違うこと」「突出すること」を良しとしなかった。戦後の教育で大事にされた平等主義は、たえず一律主義、画一主義に陥る危険性をはらんでいた。同時に、他人と同じことを良しとする風潮は、新しい価値を創造し、社会を牽引するリーダーの輩出を妨げる傾向すら生んできた。時代が大きく変わりつつある今日、日本の教育の場を、一人ひとりの資質や才能を引き出し、独創性、創造性に富んだ人間を育てることができるようなシステムに変えていくことが必要である。
 初等教育から高等教育を通じて、必ずしも早く進学し卒業することを良しとする訳ではなく、一人ひとりがそれぞれのやり方、生き方に合った教育を選択でき、かつやり直しがきく教育システムの構築が必要である。また、社会が求めるリーダーを育てるとともに、リーダーを認め、支える社会を実現しなければならない。
 第三は、新しい時代にふさわしい学校づくりと、そのための支援体制を実現するという視点である。
 これからの学校は、子どもの社会的自立の準備の場、一人ひとりの多様な力と才能を引き出し伸ばす場として再生されなければならない。
 教える側の論理が中心となった閉鎖的、独善的な運営から、教育を受ける側である親や子どもの求める質の高い教育の提供へと転換しなければならない。それぞれの学校が不断に良くなる努力をし、成果が上がっているものが相応に評価されるようにしなければならない。
 教育委員会や文部省など教育行政機関も、管理・監督ばかりを重んじるのではなく、多様化が進む新しい社会における学校の自主性、自律性確立への支援という考え方を持たねばならない。教育行政や学校の情報を開示し、適切な評価を行うことで健全な競い合いを促進することが、教育システムの変革にとって不可欠である。
 親は我が子が安心して通える学校であって欲しいと願っている。そのためには、学校が孤立して存在するのではなく、親や地域とともにある存在にならねばならない。良い学校になるかどうかはコミュニティー次第である。コミュニティーが学校をつくり、学校がコミュニティーをつくるという視点が必要である。
 
(教育改革への基本的考え方)
 言うまでもなく、教育は社会の営みと無関係に行われる活動ではない。今日の教育荒廃の原因は究極的には社会全体にあると言える。しかし、社会全体が悪い、国民の意識を変えろ、と言うだけでは、責任の所在があいまいになり、結局、誰も何もしないという無責任状態になってしまう。
 私たち教育改革国民会議は、今後の教育を改革し改善するために、誰が何をなすべきかを具体的に示した改革案を提示する。改革案を検討するに当たって、私たちは次の二つのことを基本として考えた。
 一つは、基本に立ち返るということである。教育において、社会性や人間性が重要であることは言うまでもない。しかし、急速な社会状況の変化と豊かさの進展の中で、そのことを改めて考えることが重要である。伝統や文化の認識や家庭教育の必要性の強調は決して、偏狭な国家主義の復活を意図するものではない。このことは、グローバル化の進展の中で日本人としてのアイデンティティーを持って人類に貢献することができる人間を育成するという観点から、基本的な事項であると考える。また、画一性の打破や個々の才能の重視、学校教育や教育行政の在り方についても、これまで、様々なことが言われてきた中で、今一度、基本に立ち返った改革・改善の提案をした。
 一つは、改革の具体的な動きをつくっていくということである。
 時代にふさわしい改革と改善を実施し、具体的な動きをつくっていくことが必要である。近年でも、臨教審をはじめ改革案は幾度も出され、改革への努力が行われてきた。しかし、実際の教育の場でそれが実現されるスピードが遅い、改革がなかなか進まないという不満が広く存在する。改革、改革と言っても、結局何も変わらないのでは、国民が感じている不満、閉塞感が深まるばかりである。
 今求められているのは、何よりも実行である。それぞれの立場で、できることは直ちに実行し、やる気のある者はどんどん活躍できるようにしていくことが重要である。私たちは、失敗を恐れず、必要な改革を勇気をもって実行しなくてはならない。また、実行の結果を見守り、評価し、さらなる改革につなげなければならない。
 私たちはこの二つの基本的な考え方に立って、教育を変える17の提案を行う。道は厳しい。しかし、厳しくなかった道はどこにもなかった。私たちは、国民の皆さんとともに教育の未来を希望し続ける。
 
2、人間性豊かな日本人を育成する
◎教育の原点は家庭であることを自覚する
 教育という川の流れの、最初の水源の清冽(せいれつ)な一滴となり得るのは、家庭教育である。子どものしつけは親の責任と楽しみであり、小学校入学までの幼児期に、必要な生活の基礎訓練を終えて社会に出すのが家庭の任務である。家庭は厳しいしつけの場であり、同時に、会話と笑いのある「心の庭」である。あらゆる教育は「模倣」から始まる。親の言動を子どもは善悪の区別なく無意識的に模倣することを忘れてはならない。親が人生最初の教師であることを自覚すべきである。
提言
(1)親が信念を持って家庭ごとに、例えば「しつけ3原則」と呼べるものをつくる。
 親は、できるだけ子どもと一緒に過ごす時間を増やす。
(2)親は、PTAや学校、地域の教育活動に積極的に参加する。企業も、年次有給休暇とは別に、教育休暇制度を導入する。
(3)国及び地方公共団体は、家庭教育手帳、家庭教育ノートなどの改善と活用を図るとともに、すべての親に対する子育ての講座やカウンセリングの機会を積極的に設けるなど、家庭教育支援のための機能を充実する。
(4)家庭が多様化している現状を踏まえ、教育だけでなく、福祉などの視点もあわせた支援策を講じる。
(5)地域の教育力を高めるため、公民館活動など自主的な社会教育活動への積極的な支援を行う。「教育の日」を設けるなど、地域における教育への関心と支援を高めるための取組を進める。
 
◎学校は道徳を教えることをためらわない
 学校は、子どもの社会的自立を促す場であり、社会性の育成を重視し、自由と規律のバランスの回復を図ることが重要である。また、善悪をわきまえる感覚が、常に知育に優先して存在することを忘れてはならない。人間は先人から学びつつ、自らの多様な体験からも学ぶことが必要である。少子化、核家族時代における自我形成、社会性の育成のために、体験活動を通じた教育が必要である。
提言
(1)小学校に「道徳」、中学校に「人間科」、高校に「人生科」などの教科を設け、専門の教師や人生経験豊かな社会人が教えられるようにする。そこでは、死とは何か、生とは何かを含め、人間として生きていく上での基本の型を教え、自らの人生を切り拓く高い精神と志を持たせる。
(2)人間性をより豊かにするために、読み、書き、話すなど言葉の教育を大切する。特に幼児期においては、言葉の教育を重視する。
(3)学校教育においては、伝統や文化を尊重するとともに、古典、哲学、歴史などの学習を重視する。また、音楽、美術、演劇などの芸術・文化活動、体育活動を教育の大きな柱に位置付ける。
(4)子どもの自然体験、職場体験、芸術・文化体験などの体験学習を充実する。また、「通学合宿」などの異年齢交流や地域の社会教育活動への参加を促進する。
 
◎奉仕活動を全員が行うようにする
 今までの教育は要求することに主力を置いたものであった。しかしこれからは、与えられ、与えることの双方が、個人と社会の中で温かい潮流をつくることが望まれる。個人の自立と発見は、自然に自分の周囲にいる他者への献身や奉仕を可能にし、さらにはまだ会ったことのないもっと大勢の人の幸福を願う公的な視野にまで広がる方向性を持つ。思いやりの心を育てるためにも奉仕学習を進めることが必要である。
提言 
(1)小・中学校では2週間、高校では1カ月間、共同生活などによる奉仕活動を行う。その具体的な内容や実施方法については、子どもの成長段階などに応じて各学校の工夫によるものとする。
(2)奉仕活動の指導には、社会各分野の経験者、青少年活動指導者などの参加を求める。親や教師をはじめとする大人も様々な機会に奉仕活動の参加に努める。
(3)将来的には、満18歳後の青年が一定期間、環境の保全や農作業、高齢者介護など様々な分野において奉仕活動を行うことを検討する。学校、大学、企業、地域団体などが協力してその実現のために、速やかに社会的な仕組みをつくる。
 
◎問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしない
 一人の子どものために、他の子どもたちの多くが学校生活に危機を感じたり、厳しい嫌悪感を抱いたりすることのないようにする。不登校や引きこもりなどの子どもに配慮することはもちろん、問題を起こす子どもへの対応をあいまいにしない。その一方で、問題児とされている子どもの中には、特別な才能や繊細な感受性を持った子どもがいる可能性があることにも十分配慮する。
提言
(1)問題を起こす子どもによって、そうでない子どもたちの教育が乱されないようにする。
(2)教育委員会や学校は、問題を起こす子どもに対して出席停止など適切な措置をとるとともに、それらの子どもの教育について十分な方策を講じる。
(3)これら困難な問題に立ち向かうため、教師が生徒や親に信頼されるよう、不断の努力をすべきことは当然である。しかし、これは学校のみで解決できる問題ではなく、広く社会や国がそれぞれ真剣に取り組むべき問題である。
 
◎有害情報等から子どもを守る
 IT社会の進展に伴って、子どもたちが大量の情報にさらされるようになった。そのことは、学習の機会を提供する一方で、弊害ももたらす。「言論の自由」と同時に「子どもを健やかに育むこと」の大切さは、あらゆる情報産業関係者に自覚されるべきである。ポルノや暴力、いやがらせや犯罪行為を意図的に助長する情報や子どもの教育に有害な営利活動から子どもたちを守る仕組みが必要である。
提言
(1)保護者団体や非営利活動団体(NPO)、研究グループなど複数の民間団体が、自主的に有害情報等とは何かを検討し、有害情報等をチェックする。その情報を提供することなどにより、子どもに有害情報等を見せない仕組みをつくる。この場合、その方針を公開する。
(2)民間団体などが、有害情報等を含む番組などのスポンサーとなっている企業へ働きかける。
(3)国は、子どもを有害情報等から守るためのこうした取組を支援するとともに、そのための法整備を進める。
 
3、一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する
◎一律主義を改め、個性を伸ばす教育システムを導入する
 一人ひとりの資質や才能を生かすためには、これまでの一律的な教育を改める必要がある。基礎的な知識を確実に身につけさせるとともに、それぞれが持って生まれた才能を発見し伸ばし、考える力を養う学習を可能にすべきである。
 なお、子どもの成長には大きな差があることを踏まえ、子どもの成長に応じ、親と学校の判断によって、5歳から7歳までの幅の中で、小学校に入学できるように義務教育開始年齢を弾力化するという議論も出されたが、この点については、今後さらに検討する必要がある。
提言 
(1)小・中・高校の各段階において基礎学力の定着を図るために、少人数教育を実施する。習熟度別学習を推進し、学年の枠を越えて特定の教科を学べるシステムの導入を図る。
(2)高校での学力向上を目的として、学習の成果を測る学習達成度試験を実施する。この学習達成度試験は、年複数回行い、学年を問わず何度でも受験できるようにする。
(3)18歳までに二度もある受験の弊害を減らし、中高生時代に基礎的な知識を学び、体験学習を通じて創造性、独創性、職業観を育むため、中高一貫教育をより一層推進する。子どもの選択肢を広げる観点からも、中高一貫教育校が全体の半分ぐらいになるよう、思い切った支援策を講ずる。
(4)特に優秀な子どもでその大学の教育目標に合う者は飛び入学ができるよう、現在原則18歳となっている大学入学年齢制限を撤廃する。また、高校生が大学の授業を受けたり、単位を取得できる制度の活用をさらに推進する。
 
◎記憶力偏重を改め、大学入試を多様化する
 小学生は生き生きしているにもかかわらず、中学校、高校、大学と進むにつれて日本の子どもはくすんでくるという指摘がある。その背景には、中学時代から大学受験を意識しすぎて、少数の受験科目、しかも記憶力中心の勉強しかしないこともあろう。大学入試は、記憶力のみを測る一面的なものであってはならない。
提言
(1)大学入学試験は、問題を発見する力、問題の解決方法を見出す力、あるいは推理力や論理的に考える力など多様な資質を適切に評価するものでなければならない。このような観点から、各大学がその理念、目標に基づき、高校での学習達成度試験、面接、小論文、推薦、あるいはこれらを総合的に行うアドミッション・オフィス入試などを採用し、大学入試を多様化する。
(2)国際化を促進し、高校卒業後の学生に社会体験などの時間を与える観点から、大学の9月入学を多くの大学が実施するよう積極的に推進する。
(3)大学入学時の入学定員の規制を弾力化し、合格ラインに近接する一定の割合の受験生を暫定的に入学させ、1年間の勉学の成果によって改めて合否を判定し、定員まで学生数を減らす方式をとるなど、学生に挑戦の機会を与える暫定入学制度を大学の選択で実施できるようにする。


 
 
 
 
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