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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1997/05/09 毎日新聞朝刊
[記者の目]教育「自由化」と「規制緩和」 新しい平等観、育てながら
 
◇画一化への不信、根強く――私教育での競争激化も
 3年ぶりに教育の取材現場に戻って驚いた。文部省が登校拒否の子供に中学校卒業程度認定試験(中検)受験を認めたり、大学への「飛び入学」を検討するなど、少し前には考えられなかった改革を次々に打ち出し、一方で国立大学の民営化や国が負担する小中学校の教職員の人件費を減らそうという議論まで出ている。キーワードは「規制緩和」と「自由化」。しかし、戦後民主教育のもう一つの原点である「平等」という言葉はどこへいったのだろうか。
 中央教育審議会は現在、特にすぐれた才能を持つ高校生の大学への「飛び入学」、中学、高校の6年間をつなげた公立中高一貫校の設置などを検討している。知識偏重の画一的な教育を改革し、個性あふれる独創的な人間を育てるという教育改革の一環で、子供や父母の選択の幅を広げる「自由化」でもある。
 一方、国立大学の民営化や義務教育費の国庫負担の見直しは、行財政改革の観点からの議論だが、国の規制を緩和し、自治体や学校の裁量を拡大する流れは同じだ。
 中高一貫教育などは1980年代の臨時教育審議会のころから課題とされながら、「教育の根幹にかかわる」として文部省が手を触れようとしなかったテーマだ。それが今、画一的な教育への不信を背景に、一気に動き出そうとしている感がある。
 これまで改革が進まなかったのは、教育の世界に差別、選別を持ち込むことに強い警戒感があったからだと思う。「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と教育の機会均等を定めた憲法の理念は、学校では「どの子も伸びる力がある」という言葉に置き換えられ、子供の能力は平等であるはずだという前提に立った教育が民主的と信じられてきた。
 小、中学校段階での能力別の学級編成は「子供に差別感を与える」として排除され、全員オール3の通知票を書く先生もいた。子供を評価する時も、差別しないように全員同じ基準で評価し、入試も不公平のないように分かりやすい客観的尺度による選抜が採用された。
 しかし、同じ基準で一律に子供を評価すれば、序列化は避けられない。入学者の選抜も、採点者の主観が入らないよう、正否の分かっている問題で、知識の量を客観的に測ることが重んじられるようになった。「やればできる」という努力の強制が子供に重荷となり、お仕着せの知識を蓄積するだけの勉強は、学ぶ喜びを奪った。
 「平等」を求める心がこうした画一的な教育をつくったともいえる。このため新時代の教育は、自ら課題を発見して解決できる、創造的な人間の育成を目指し、カリキュラムを弾力化、個人の自由を重視することになった。
 94年に新設された高校の総合学科では、選択科目を大幅に拡大し、生徒が自分で時間表をつくる。小中学校の通学区域の自由化を求める声も強まっている。できる子もできない子もみんなが同じ教室で、同じ内容を学ぶ日本の学校の伝統的光景は、改革論議の中では「あしき平等主義」として退けられる勢いだ。
 人々の意識が「公」中心から「私」尊重へと変わり、生きる意味や価値を、私的な生活空間に求める傾向が強まるにつれ、集団的に勉強や活動を強制する学校の器に合わない子供たちが増えた。個性化、自由化は、こうした子供や親の要求に合わせて学校を変える試みでもある。
 しかし、自分らしさを重視する価値観は、社会や集団とのかかわりを弱める。好きなものだけを学んでいては、偏った領域にしか関心を持たない子供ばかりにならないだろうか。個人の興味、関心がタコツボ化すれば、互いのコミュニケーションも困難になり、国民としての共通の基盤も揺らぐかもしれない。
 東大生の親の職業は、学者、高級官僚、企業経営者などが多いことはよく知られている。出身高校も一部の中高一貫校に偏っており、公平に見える現在の入試でさえ、結果として大都市部の一部の家庭に有利に働いていると指摘されている。
 大学入試では、大学入試センター試験の受験者が年々増加している。大学によって科目選択の自由があるとはいえ、全国一斉の序列試験で多面的な学力を評価できるはずがない。
 こうした中で学校が安易に「平等の教育」を縮小すれば、その分の教育を地域や家庭が引き受けることになる。今まで以上に塾などの私教育の分野での競争が激化し、家庭の資力や文化などの違いが学力の差となってはっきりした形で表れる恐れもある。
 全員に同じ内容を教える学校は、教育の不平等を最小限に抑えてきた。教育の自由化は、「あいつはあいつ、オレはオレ」と違いを認め合う、新しい平等観の広がりを見極めながら、慎重に進めなければならないと思う。
 <梁瀬誠一・社会部>


 
 
 
 
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