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1996/09/28 毎日新聞朝刊
[教育21世紀へ]「学校名不問採用」は根付くか 開きはじめた企業の門戸
 
◇個性的な人材求め
 「採用の仕事をしていると、若い母親から電話がかかってくる。うちの子をお宅の会社に入れたいのですが、どこの大学に行かせたらいいですか、というのです」。ソニー採用研修部の千種康裕マネジャー(38)が採用の舞台裏を複雑な表情で話した。
 笑うに笑えない話だ。
    ◆    ◆
 「いい企業」へ入るために「いい大学」へ入るための受験勉強――。つまるところ、ここにメスを入れなければ教育改革は成り立たない。分かりきっていて、しかも強固な難問だ。だが、わずかながら変化の兆しはある。ソニー、トヨタ自動車、アサヒビールなどが学生に大学名を聞かない「学校名不問」の採用法を導入し始めたのだ。
 草分けは5年前から実施しているソニー。若手社員がリクルーターとして大学の後輩の採用にかかわる方式では個性的な人材が採れないという危機感があった。新方式はだれでも応募を受け付け、1次は「何をやってきたか、会社で何をやりたいか」を学生に記入させたうえ、書類選考。2次以降は面接と一般教養試験を課すが最後まで大学名は聞かない。
 「大学名を知ると偏見が入るから」と千種マネジャー。新方式では採用実績がなかった大学の卒業生が毎年何人か含まれるようになったという。「採るには学校名は不要という考えが浸透した。今はだれも戸惑わない」と言い切る。
 大学名という“担保”がなくなると、採用担当者も真剣勝負を迫られる。実力を見極めるため、筆記と面接だけだった入社試験も多様化する。
 トヨタは昨年「風が吹けばおけ屋がもうかる」式に「野茂投手が最優秀投手になれば……自動車市場が多様化する」というテーマを課した。学生は「……」の部分を考え、1人2分間で発表した。「発想力を試したい」という狙いからだ。アサヒビールも「日本の学生は勉強しないと言われるが、あなたはどう考えるか」をテーマに学生に自由に議論させた。「学生の価値観や経験談を聞きたかった」と人事部の小路明善次長(44)は言う。
 経団連(豊田章一郎会長)が昨年10月に会員501社から得たアンケートでは、校名不問採用の導入企業は7・5%、検討中は27・9%で、3社に1社は学校名不問に前向きという結果が出た。ひとつの流れになりつつあるとみてよいだろう。
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 企業が採用法を見直し始めた背景には現在の受験中心教育に対する不信感がある。若手社員の創造力のなさを目の当たりにして、危機感を募らせた。そして、経済界は相次いで提言をし始めた。
 経団連は今年3月、教育制度の抜本的な改革を求める提言をまとめ政府に提出した。「有名大から一流企業へのコースに乗るのが幸せにつながるという考えが根強い。こうした中での受験戦争の激化が創造的な人材育成を阻害する最大の要因」と指摘。具体策として「学校名不問」採用を挙げた。
 日経連(根本二郎会長)は昨春、職種別や中途採用など多様な採用法活用に言及。経済同友会(牛尾治朗代表幹事)も一昨年春、「指定校制度撤廃はもちろん、出身大学名を聴取しないことや年間採用実績を公表するなど、学校歴ではなく学習歴を重視することを目に見える形として示す」と提言した。
 しかし、千葉商科大の加藤寛学長(70)は「経済界の役員たちが、いじめられる孫を見て『これでは日本の教育はいけない』と思い始めた。さらに、経済低成長が続く中、リクルーター制で同質な人間ばかり集めていては乗り切れないことに、やっと気がついた」と解説する。
 経済界も反省している。「企業の採用が『有名大から一流企業へ』というシステムを助長してきたことは否めない」と経団連。経済同友会も「序列の高い大学への入学を競う偏差値競争が教育の病理を生んだ。産業界の責任も大きい」と認めた。
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 自ら正そうと経団連は今夏の大卒・大学院修了職員採用試験で初めて校名不問採用をし、応募者60人から3人を内定した。出身校はどうだったか。ふたを開けてみると、一橋大大学院生男子2人、一橋大卒で米国・コロンビア大大学院修了の女子1人。面接官を務めた和田龍幸常務理事(58)は「専門知識の豊富な人を選んだら、たまたま有名大卒になった」と話す。
 今年8月4日号のサンデー毎日は今春の企業の大学別就職者数を各大学事務局の集計などを基にまとめた。それによると、ソニー(1)早稲田大25(2)東京工業大14(3)東京理科大13▽トヨタ(1)早稲田大8(1)東京工業大8(3)慶応大5(3)立命館大5▽アサヒビール(1)慶応大9(2)早稲田大8(3)立命館大4。不況で採用数が減少していることや技術系の学校推薦を考慮しても以前の採用校と劇的に変わってはいない。
 だが、人気企業の中からも校名を問わずに人物本位で採用試験を行うところが出てきた点は評価できるのではないか。ある採用担当者は「校名不問の導入を社内で認めさせるのは大変だった」と語る。
 企業の門戸がいま少しずつ指定校以外の学生にも開こうとしている。だが、指定校制度を撤廃し人物本位の選考を行ったうえで、一部の特定校に偏るならば、それ以外の大学の教育の質を問われかねない。各大学が個性的な学生を送り出せるか。成否のカギはそこが握っている。【福沢光一、遠山和彦】


 
 
 
 
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