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1991/04/05 毎日新聞朝刊
[教育どこへ]先生の現実 断絶と交流/3 「意欲」教える登校拒否者の塾
 
◇レール変え再挑戦
 受験戦争のシンボル、塾。東大を頂点とする有名大学への競争を市場に、巨大塾は北海道から九州までの全国制覇をほぼ果たした。彼らなしには、日本の教育体系は成立しない、といっていいほどだ。
 そんな中で登校拒否など公教育からドロップアウトした高校生や中学卒業者らを対象にした塾と専修学校が昨年、金沢市内にできた。経営者はともに、受験戦争にもまれた団塊の世代である。
 金沢市寺町一丁目の塾「金沢アメニティスクール」では昨年九月から、男女十六人が寮生活を始めた。北陸や西日本各地の高校を休学、中退した登校拒否者ばかり。今年九月にはカナダ・バンクーバーの私立高校「インターナショナル・アカデミー・オブ・ブリティッシュ・コロンビア」へ留学する。自由な校風の下で子供たちに自信とやる気を取り戻させようというわけだ。
 塾を経営する西村修さん(42)は、三年前、知人の娘さんが登校拒否になり、相談を受けた。西村さんは米・フロリダ州の大学に留学経験があり、そのときの体験から、生徒の自主性を尊ぶ米国ならと、短期留学させたところ、娘さんの登校拒否は治った。
 二年前のカナダ旅行で偶然、バンクーバーの高校長にめぐりあい、豊富な指導ノウハウ、他国からの留学生受け入れ実績に魅せられた。
 いま十六人はカナダから招いた女性語学教諭らから英会話、カナダ文化、一般教養などを学び、留学前研修に励んでいる。毎週土曜日には奉仕活動もする。
 二月二十二日から三週間、全員がバンクーバーに行き、同高校での授業やホームステイを体験してきた。
 その時の話。ある男子生徒は初めのうち、繰り返し胃痛を訴えた。異国での緊張感からの新たな登校拒否だった。西村さんは半年間の事前研修の成果を信じて、取り合わなかった。自分との戦いに身もだえしていた彼は、自力で危機を乗り切った。西村さんは「九月の本留学からこの学校で学びたいという意欲の勝利」と分析する。
 別の男子は逆に、開放感からホームステイ先に帰らず、家族と気まずくなった。だが、帰国直前のサヨナラパーティーでホームステイ先のお母さんに「九月には必ず私の家に来てね」と抱き締められた。西村さんは成功を確信している。
 高校の中途退学者らにもう一度、大学受験のチャンスをつかませようと昨年春に開校したのが金沢市米泉町の西南高等専修学校。
 理事長の島田勉さん(43)は、小学校教諭を一年で辞め、予備校を経営してきた。
 専修学校は普通、中卒者を対象に和洋裁、簿記などの実学を教える。しかし、一九八六(昭和六十一)年度から国、数、英、社、理の五科目を含む定められた単位を三年間で取れば、大学受験資格が得られるようになった。島田さんはこれに目をつけ、中途退学者らを集めた。一期生は北陸、関東、中部、近畿、四国の二十人。自らが担任になり、徹底した対話重視の授業。とりあえず登校させることから指導を始めた。
 今年三月の進級試験前には、深夜に島田さんを訪ねて質問攻めにして勉強する生徒が目立った。十九人は進級、残る一人も再試験に挑んでいる。
 突っ張りタイプの男子生徒の退学騒ぎもあった。一月に帰郷したが、二月には復学を願い出てきた。原稿用紙十枚に、もう一度勉強したいという意欲をつづっていた。復学直後の進級試験の成績は、この生徒の気持ちがなまはんかなものでなかったことを裏付けた。この十一日には、二期生二十人近くが入学する。
=つづく


 
 
 
 
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