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1999/05/01 産経新聞東京朝刊
【三浦朱門の憲法講座】(中)変遷する国情・・・安全な憲法はない
三浦朱門(作家)
 
(一)
 アメリカ憲法は同盟諸国がより結束を固める外交文書から出発した、と前に書いたが、以後、面倒だからアメリカ連邦などと書かずに、合衆国、と書いてゆくことにするが、憲法の原文は、合衆国政府の構成や州との関係などについて述べているが、国民の権利についてはほとんど触れていない。それで憲法制定後、修正条項の形で、国民の権利などが書きこまれた。
 それでも州は名目上は自立した共和国である。知事を長とする行政機関、立法機関としての議会、軍隊、最高裁を含む司法機関をもっている。私はオレゴン州からカリフォルニア州に車で入る時、簡単な試問ではあったが、動植物検疫を受けて驚いた経験がある。
 従って、州は合衆国憲法を最大限に広く解釈して、民主的手続きによって、非民主的な制度を維持することも可能なのであった。因(ちな)みに最近問題になる銃器の携帯は、州防衛の義勇軍の必要性の修正条項に関連して認められている。これら修正条項は、建国以来二百余年の間に、二十六条に及んでいる。
 憲法が最初に国情を正しく認識しなかった、というよりも、憲法の制定によってアメリカ合衆国というものの性格も徐々に変わり、また時代の変遷とともに、かつては強力な対外的軍備を必要としなかった米国が、今や世界の警官として、強大な軍備を持つ必要ができてきた。そういう変化に伴って、盲腸的存在になった条文も残っている。
 連邦政府の強化を恐れてか、州の負担の増加を防ぐためか、連邦政府に軍を創立し編成・維持する権限を認めながら、その歳出は二年を超えてはならないという規定もある。
 
(二)
 日本の帝国憲法は、明治維新の第二世代の人たちによって、自分たちの体制維持を目的として作られた、といってよかろう。
 たとえば山県有朋や、伊藤博文は、維新当時はまだ若輩であり、出自も旧幕時代では、主君の前に正式に出られないような身分だった。そういう人たちが明治体制を担うについては、旧公卿(くぎょう)、大名は華族という身分を作って、棚上げしてしまう。さらに政府を宮中と府中に別け、天皇の側近という「高級」な宮中の仕事を公卿におしつけ、自分たちは「下等」な府中の内閣制度で行政を行う。また煙たい維新当時の先輩を、枢密院という隠居部屋に押しこめる。
 こういう改革を行う権威の名目は天皇であり、改革の口実は日増しにうるさくなる世論という敵である。彼らは国会と天皇を道具と考え、その枠づくりとして憲法を制定した。
 
(三)
 帝国憲法には行政についての規定は大臣と枢密院の名が出てくるが、大臣の副署がないと、法律は正式なものにならないと述べて、枢密院は天皇の諮詢(しじゅん)に応(こた)え重要な国務を審議す、とあるだけである。行政の中心である内閣総理大臣の、任命の手続きも権限も書かれていない。
 そもそも枢密院や枢密顧問官、大臣が如何(いか)なる官職かに一言の言及もない。あとは天皇の大権と法律の定めるところにしたがっての国民の基本的人権が書かれている。それでも近代国家風に国会という立法機関、天皇の名に於(お)いて行うという、司法権の独立や国家財政や憲法改正の手続きが述べられている。
 天皇の大権なるものは、現実には大臣の副署がなければ実施されないので、行政は事実上は憲法制定前に成立していた内閣が持っていることになるが、これは憲法の規定外の、言ってみればアプリオリの規定なのである。天皇の大権の本質と行政についての曖昧(あいまい)さが憲法制定後、四十年ほどたってから、軍の暴力的独裁を許す結果になった。
 元老が死に絶えた段階、大正の半ばで、帝国憲法は改正すべきであった。その間に極東の小国であった日本も中国とロシアの戦いに勝ち、今の国連の前身にあたる国際連盟の常任理事国になっていた。近代国家に脱皮すべき機会だった。後に大正デモクラシーと言われた時代に、せめてアメリカのように修正条項という形でも、憲法を修正、改正しておけば、日本は徐々にではあっても民主国家になれた可能性がある。
 中村隆英氏は、戦前の経済に関してではあるが、戦争が起きなければ、戦後型の経済成長に、なだらかに移行する条件が整えられつつあったと述べている。一九二〇年代の後半の日本は大きなチャンスを逃したのかもしれない。
 
◇三浦 朱門(みうら しゅもん)
1926年生まれ。
東京大学卒業。
小説家、元文化庁長官。


 
 
 
 
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