1999/05/02 産経新聞東京朝刊
【三浦朱門の憲法講座】(下)平和憲法は現状に即応しうるか
三浦朱門(作家)
(一)
アメリカ憲法の成立した時代の状況と、それを改正せねばならなかった事情、そして帝国憲法が成立した事情の私見と、それを改正しそこねたことについて、前に述べた。それなら今の日本国憲法の成立の事情とその後の日本の状況に変化がないのであろうか。
第二次大戦当時の末期に急死したルーズベルト大統領は、ヤルタ会談などで、戦後世界の設計図に、大きな影響を与え、その死の直後に成文化された国連憲章には、彼の思想も反映されていたと見てよかろう。彼は日本に対する強い偏見を持っていた。前にも引用したことがあるが、産経新聞の高山正之編集委員の文章によると、当時の駐米英国公使、キャンベルが本国外務省に送った手紙によると、米大統領は白人とアジア人を交配させる計画を持っていたと言われる。
「その交配によって新しいアジア民族を産み出し、立派な文明と社会をアジアに建設するのがルーズベルト大統領の考えだった」
ただ「大統領は(白人より二千年も遅れた頭蓋骨(ずがいこつ)をもつ)日本人はこの対象から除外し、もとの四つの島に隔離して次第に衰えさせようと考えていた」
これは今日、ユーゴで行われている民族浄化の思想に通ずるものであろう。また日本人を四つの島に隔離して衰退させる、というのも四つの島を収容所列島にするということで、ナチのユダヤ絶滅思想と似た発想である。またルーズベルトの死後、大統領になったトルーマンは、日本の降伏条件ともいうべきポツダム宣言を、スターリン、チャーチル、蒋介石とともに作った。目的は日本の非軍事化と民主化である。
(二)
しかしこれは日本を平和で民主的な国家にしてやろうという「善意」溢(あふ)れた優しい配慮に基づくものではありえなかった。それは前のルーズベルトの思想にも現れているが、敗戦前後から今日に至るソ連やロシアの態度、日本の皇室が渡英される度に示される一部英国の新聞論調、そして今日に至るまで変わらない中国人の対日感情を見ても、明らかである。
既に当時、国連の原型はできていて、国連憲章なるものが作られていた。この憲章そのものは世界に民主主義を行き渡らせようというのだから、日本も民主国にするのは当然にしても、この憲章によると第二次大戦の敵国に対し、国連原加盟国は必要があれば、安保理事会の許諾なく出兵できるのである。ポツダム宣言はそのような憲章の精神に則して作られたもので、占領軍が原文を作った日本国憲法もまた、かかる世界状況下の産物である。
(三)
しかしこの憎しみから生まれた憲法ではあるが、日本人は巧みにこれを運営してきたと思う。前文と第九条を素直に読めば、日本は一切の軍事力を持ちえないのである。しかし冷戦の到来とともに、アメリカは自国の打算から、米軍の補助的な役割をする自衛隊の設置を期待した。共産中国はそういう措置には反対だ。しかし東南アジアの一部には、中国の行動に覇権主義的傾向を認めて、その抑止力として、日本の軍備を認める動きもある。
西欧の近代国家は宗教の政治ヘの介在に苦しんだ。日本の明治国家は、世俗政治国家で宗教国家ではなかった。しかし戦時中の一時、神道が国家宗教的になった。米国憲法も宗教の自由を保障する反面、政教の分離を主張する。日本国憲法も、戦前的体制の破壊が目的だから、政教の分離がのべられていて、公共建築物などで神道的地鎮祭を行うと、必ず訴訟問題がおきる。しかしアメリカ大統領の就任式の宣誓には、キリスト教の聖書が使われる。
しかし宗教的組織に公金を出してはならない、という第八九条には、公に属さない教育、つまり私学に公金を出すことも禁じているが、私学への補助金について、だれも憲法違反だと訴える人はいない。
侵略戦争はしないが、国連の要請下の自衛隊の派遣は仕方がない。基本的人権は尊重する。国民主権で民主制を維持する。三権は分立する。日本国の連続と国民の統一を示す役割を天皇にお願いする。
このあたりが、大方の国民が日本の在り方として、納得する点であろう。この線で日本国憲法を見直す必要があろう。アメリカ憲法にも盲腸的条文があるが、それでも二十度以上も改革を重ねているのである。
◇三浦 朱門(みうら しゅもん)
1926年生まれ。
東京大学卒業。
小説家、元文化庁長官。
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