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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1996/11/03 毎日新聞朝刊
[特集]憲法公布50年 社説再録/1 現状追随を自戒し・・・平和理念、守る信念
 
◇国民の希求、変わらず
 憲法公布50年。この50年間に毎日新聞は、さまざまな憲法論議を展開してきた。揺れたときもあれば、かたくなに守り通したものもある。憲法の何を、どう主張してきたか。主な社説(日付は掲載日)を再録した。 論説副委員長・鈴木健二
 「歌は世に連れ」というが、新聞も世に連れてつくられる。古い新聞を読み返してみれば、すぐ分かる。果たしてそれでよいのかどうか。なぜなら、得てして「世に連れ」るということは現実主義、別の言葉でいえば現状追随に陥りがちだからである。
 しかし新聞は、また国民のナマの生活を離れては存在し得ない。その怒り、悲しみ、喜びのさまざまな興奮を活字化することで対価を得ている。
 それでは新聞は、その時々で移ろう根無し草かといえば、そうでもない。国民の深いところのどこかにしぶとく根を張っていて、呼吸している。それが新聞の、いわば命綱でもある。
 憲法にかかわる新聞報道も、この二つの面を持つ。「世に連れ」て変化している面と、国民の切なる希求を吸い上げて、微動だにしない部分と、である。
 憲法は国民生活全般を覆っているから憲法関連の社説も多岐にわたる。目立つのは生活権・社会権にかかわるもの、信教の自由を問うもの、知る権利・表現の自由の追求、などなどであろう。
 しかしなんといっても圧倒的に多いのは国の安保・防衛に関するものである。いうまでもなく第9条の戦争放棄関連である。そしてこのテーマほど社説が微妙に揺れ動いたものはなく、それでいて確固とした部分を持つものもなかった。
 ここでは主に第9条関連の社説を再録し、なにが変わり、なにが変わらなかったかを追ってみよう。
 「敗戦後の悲惨極まりなき日本にとってわずかに降伏後1年余にして……いち早く新憲法を持ち得たことは何といっても身に余る幸福であり、光栄である」。憲法公布の1946年11月3日、毎日新聞はこう書いた。そして新憲法がいかに「民主的」「進歩的」「革新的」であるかを強調した。
 当時の新聞人は本心からそう書いていたと思う。彼らの多くは学識者とともに故丸山真男氏のいう“悔恨共同体”を構成していた。戦争を防げなかったばかりか、煽(あお)って国民を戦場に駆り立てたことを、深く反省していたからである。
 しかし、その決意もすぐに揺らぐ。東西対立が激化し、一衣帯水の朝鮮半島で戦争が始まると、憲法の理念と現実の間で苦しんだ。54年5月3日の憲法記念日に、毎日新聞は「今にして思えば憲法を作ることがあまりにも早すぎた」と、7年前とは逆の弱音を吐かなければならなかった。現実から厳しい選択を迫られていたからである。
 政府はなし崩し的に再軍備をどんどん進めていた。それに異を唱えると「それでは憲法改正を」との声が返ってきた。独立直後(51年9月)の毎日新聞世論調査で、再軍備支持が4人に3人を占めていたことも影響した。挟み撃ちにあった新聞人の悩みは相当深かったようで、社説にもかなりのブレが見られる。
 ところが55年2月の総選挙で、改憲反対の左右社会党両派が3分の1以上を獲得すると、改憲ムードは急速に冷え込む。57年の10回目の憲法記念日に、毎日新聞は「憲法は戦後の日本に民主主義と、平和主義の土台を築いた。・・・この二大精神は、今後どんなことがあっても、我々が守り通していかなければならない」と書いた。そしてこのトーンは、その後一貫して貫かれる。
 例えば20回目の憲法記念日の社説は「かつて保守陣営に強かった憲法を改正しようという動きも、いまは下火になった」とし、30回目の同じ日には「(憲法は)その規範的意味を変化させたり、その理念や原理を屈曲させたりしながら、この30年の間に国民の間に定着してきた」と記述。40回目は「憲法は、しっかり国民の中に定着した」だった。
 改憲論議が再び起こるのは、90年の湾岸危機のときである。世論調査でも改憲支持派が大きく伸びた。が、決定的な国論にはならなかった。与党となった社会党があっさり反安保・反自衛隊の看板を下ろしてしまったからでもある。
 つまり新聞は憲法について、必ずしも“潔癖”だったわけではない。揺れていたことは事実である。ただ、少なくとも確固として動かない部分があった。すなわち憲法の平和理念だけは死守しようとの信念である。
 現在の状況が憲法の平和理念に完全に沿っているのかどうか、疑問を持つ向きもあろう。30回目の憲法記念日の社説が憲法の「規範的意味を変化させたり、その理念や原理を屈曲させたりしながら・・・定着してきた」と書いたのは正しい。
 しかし新聞は理念と現実の板挟みに苦しみながらも、平和主義を掲げる憲法そのものは守り抜こうと、自分に言い聞かせてきたといえる。「冷戦が終われば憲法は蘇生(そせい)する」と信じたからである。国民が深層心理において平和を希求していることを確信していたからでもある。
 冷戦の終わったいま、新聞の役目は、今度は現実を理念に近づける番である。現実を見据えて、一歩一歩憲法の理念に向かって環境を整えていくことである。現実の空気を吸いながらも状況に流されずに、国民との命綱を手繰り寄せていかなければならない。


 
 
 
 
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