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1995/05/02 毎日新聞朝刊
対談 戦後50年・護憲はどこへ(その2) 改正の緊急性はない
 
<京極純一・東大名誉教授/斎藤明・毎日新聞主筆>
◇「閉じこもり型」の社党−−京極氏
◇単なる平和主義はエゴ−−主筆
 主筆:憲法の前文は、他国、さらには他人の善を信じることが前提になっている。
 最近の地下鉄サリン事件を例にとると、一昔前は毒ガス部隊が何で必要か、が国会の論戦になっていたが、その当時も、実際に生物化学兵器が国内でバラまかれるという事態は想定していなかった。人がいいというのか、国民みんなが、そんなことは日本人はしないと信用していた。
 京極氏:防衛思想が希薄になっていたのは確かだ。米軍におんぶにだっこの状態だった。
 主筆:社会党の話に再び戻れば、平和主義と言いながら、反戦思想でもあったから、自分の命を犠牲にしても平和を守るということができなかった。
 京極氏:社会党の政策は何だったか。
 国連平和維持活動(PKO)にも抵抗がある。日米安保体制の中で何もしないでじっとしている一国閉じこもり型だった。人類全体の平和を作るのを日本も手伝うという政策があるだろう。
 主筆:非暴力という場合、自分を犠牲にしても暴力を避けるという思想がある。そういう意味の平和精神を社会党は作りだせなかった。
 京極氏:PKOだけでなく、開発途上国の開発援助についても、社会党が積極的でなかったという印象だ。
 主筆:PKOの論争にもかかわらない平和主義というのはエゴイズムのような気もするが。
 京極氏:だんな衆ケンカせず。そういう印象になってしまう。手を汚さない、財布から金も出さない。
 主筆:自衛隊が発足し、昨年の村山政権の社会党の大転換まで三十八年間と、日本の場合ずいぶん長い期間かかっている。
 京極氏:防衛体制が一応、完成するのは五七年。冷戦の中で日本も普通の国になった。内政上は米国側の政党とソ連側の政党に分かれていた。しかし、社会党は経済成長に相乗りして豊かな社会を作る手伝いをした。
 そして、相乗りの五五年体制のおかげで、五六年のハンガリー動乱や六八年のプラハの春に対するソ連侵攻のようなことが、日本では起きず、平和なうちに豊かな社会を実現した。
 
◇憲法は道徳律ではない−−京極氏
◇冷戦後、「原点」見直しも−−主筆
 主筆:最近の各種世論調査では、自衛隊が合憲という国民が多数を占めている。
 京極氏:それが常識だろう。村山富市首相の大功績だ。
 主筆:にもかかわらず、今も憲法改正論議がある。
 京極氏:地球上には百八十余りの国がある。一国閉じこもり型の議論をしてはいけない。日本が第二次大戦で、加害者として、さまざまな手荒なことをした後の清算として、憲法九条ができている。その点を忘れてはいけない。
 主筆:憲法九条は「日本はもう戦争はしませんよ」というメッセージを世界中に送っていた。それを変える必要があるかという時に、日本はそれだけ信用を得ていればいいが、まだまだ議論が残っているということもある。
 京極氏:メッセージを変えると別のを送ることになるから。
 主筆:日本は解釈と運用だけでやっていっても、困ることはないのではないか。
 京極氏:自衛隊の存在自体は国内でも海外でも承認されている。人様の神経を逆なでするようなことをする必要はない。
 主筆:冷戦が終わって、もう一回、あの終戦直後の憲法の原点に、見直してみようかという気分も一部、出ている。
 京極氏:外交政策として平和志向であることと、防衛力を維持することは両立する。アダム・スミスの昔から国家である以上、国防は基本業務だ。
 主筆:京極さんは一方で「憲法は不磨の大典でない、道徳律でない」とも。
 京極氏:憲法は建物の図面みたいなもので、道徳律でない、これは常識だと思う。日本では、ある物事を決めると、決めた瞬間から、それが永遠の過去からそう決まっていたかのごとく扱う超伝統主義という文化もある。そうすると不磨の大典になる。
 主筆:憲法を何が何でも変えてはならないということはないと思う。ただ状況的な意味で言った時、九条のメッセージ的な意味も踏まえ、国内で自衛隊合憲論が大勢となっている今、改正の緊急性はない。


 
 
 
 
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