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癒しを支えるスピリチュアル・ケア
日野原 重明
ライフ・プランニング・センター理事長
 
死は生きることの一部分
 私は昭和12年(1937年)から今日まで63年間、内科医として働いてきました。
 私は戦争のときは、終戦の半年ほど前に海軍軍医を志願して4週間の訓練を神奈川県戸塚の海軍基地で受けて海軍少尉に任官されたのですが、そのときにはもはや乗る軍艦もないような状態でしたので、結局はそのまま除隊となり、以後東京の聖路加国際病院で診療をしていました。5年前(1995年)にサリンの事件が起こりましたが、その日の朝は7時半から事件に遭遇した人たちが次々と聖路加国際病院に運びこまれ、520床の病床しかもたない病院に640人の患者さんが収容されました。チャペルにもラウンジにも患者さんを収容しましたが、ちょうど戦時中の東京大空襲のときに、当時のもっと広いチャペルのロビーに火傷の患者さんが満員になるほど収容され、薬もないので新聞紙を焼いてそれを粉にして振りかけるのが唯一の治療というような情けないことしかできなかったことを思い出しました。サリンの被害を受けた患者さんはいまだに身体的ばかりでなく、心理的な後遺症にも悩まされています。
 私は63年にも及ぶ診療経験から大勢の患者さんをみてきました。私の若い時分には結核で亡くなる患者さんが非常に多かったのです。学生や20代、30代のまだ若い人たちが次々に結核で亡くなっていく姿を目にしました。若い友人の死をみると、まるで若竹を裂くような思いに駆られ、残念な、そして悲しい気持ちに襲われたものでした。
 私は昭和12年に京都大学の医学部を卒業しましたが、クラスメートの中で私ほど多くの死亡診断書を書いた医師はいないのではないかと思います。
 ライフ・プランニング・センターは7年前にがんの末期で亡くなられる方たちのためのホスピス、ピースハウスを神奈川県につくりましたし、2年前には聖路加国際病院にも緩和ケア病棟をつくりました。みなさんもご存知のとおり、ホスピスや緩和ケア病棟では、残されたいのちを豊かに過ごすことに主眼をおいたケアを行うところですから、死が日常的に見られます。そしてそこで提供される医療は“ターミナル・ケア”といわれます。
 私はかねてより“ターミナル・ケア”に代わる何か適切な呼び名はないかと考えてきました。といいますのも、以前はターミナル・ホテルというのが大きな鉄道駅には必ずあったのですが、最近この名前のホテルがなくなってしまいました。それはターミナル・ケアという言葉の普及によって、ターミナルという言葉が敬遠されているせいではないかと思うからです。
 外国に行きますと、ターミナルという言葉はみなさんの理解しているものとは違っています。私はよく外国に出かけます。北欧に行ったときのことです。スウェーデンから帰るときでしたが、ストックホルムから日本への直行便がないのでロンドンで乗り換えました。ロンドンのヒースロー空港では、「日本へ行かれる方はターミナル2番へ行ってください。バスが用意されていますから」というアナウンスがありました。この場合、ターミナルというのは終着という意味ではなく、出発という意味です。言葉では、「もうそこで終わり」という意味で解されるのですが、空港などでは、出発であると同時に到着という2つの意味が含まれていますので、必ずしも日本人がこだわるような思いは抱かないのではないかと思います。
 厚生省のある方が、“終末医療”という言葉には悲しい雰囲気があるように思えるから何かもっと別の呼び方を考えてほしいと私に頼まれたことがあります。そのとき、私もいろいろ考えてふと“有終の美”という言葉を思い浮かべました。この言葉は文字通り「終わりある美しさ」という意味です。そこで“有終の医療”と呼ぶのはどうかと提言したのですが、残念ながら採用にはならなかったのですが、本日は“ターミナル・ケア”という言葉に、「有終の美」を連想するように理解していただきたいと思います。







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