日本財団 図書館


“スピリチュアル”の意味は?
 スピリチュアル・ペインの心理的な面についてですが、実は何度も自分に問い返しているのですが、スピリチュアルという言葉はあえて使わなくてもいいのではないかと思っています。私は精神病理についてはアメリカで教育を受けましたので、アメリカの精神疾患の診断基準である「精神疾患の診断マニュアル(DSMIV)」から引用します。以前には触れられてはいなかったのですが、第III版の改訂版には、スピリチュアルな問題も精神疾患の中に含まれるようになりました。それは、“宗教またはSpiritual Problem”となっています。これが日本語版ではどう訳しているかといいますと、「神の問題」となっています。ここでの精神疾患は、心理的・情緒的な問題ではなく、純粋に宗教とか、信仰的な問題に限られています。
 日本では、“スピリチュアル”を宗教的なものではないことと強調して使っていますが、そうであるならあえてスピリチュアルという言葉を使わなくともよいのではないかとも思うのです。むしろ、“実存的な苦しみ”とでもいうほうがいいのかもしれません。いま日本ではこのスピリチュアルという言葉をあえて宗教的な意味を除外して用いようとしているのですが、その流れに沿って、私もスピリチュアル・ペインを心理面から考えているわけです。
 
スピリチュアル・ペインのプロセス
 スピリチュアル・ペインが体験されていくプロセスは、人間の自己充足的なものが先ほどいいました危機に直面するところから始まります。もし、危機に直面してもその問題が解決されればスピリチュアル・ペインは体験されません。しかし、そのペインの原因が解決されないで長期化、あるいは慢性化すると、「なぜ私だけがこんな問題を抱えこまなければならないのか・・・」という疑問が生じます。「なぜ私だけが・・・」、「なぜあの人でなく私が・・・」という疑問を訴えかけるようになります。
 多くの場合、「なぜ私が・・・」ということをつきつめていってもなかなか答えは出ません。そうすると次に生じる疑問は、「何か私が悪いことをしたのではないか」ということです。しかし、自分の周りにいる人と比較しても、むしろ自分は真面目に生きてきたという思いが強い場合が多いのです。そうなると、当然、「自分は悪いことはしていないのに」という思いも出てきます。ある場合には「では私の先祖が悪いことをしたのだろうか」と思う方々もいます。
 次には、「そうであるとするならば自分には生きる意味があるのだろうか」ということで、自らの命を断とうとする人さえいます。実際に実行しなくとも頭で考えたりします。あるいは、「こんな状態で自分は生きる目的があるのだろうか」と考え始めます。
 このような疑問を抱くようになるときに、まさにスピリチュアル・ペインを体験しはじめます。
 以上、スピリチュアル・ペインがどのように体験されるかということをお話ししました。自己充足の破綻、そしてそれから生じるさまざまな問題とか危機に直面するのですが、必死でそれを解決しようとします。ある場合には解決できるでしょう。ある場合には解決できないこともあります。解決できなくて、それが長期化して慢性化すると、先ほどお話ししたような疑問が内側から湧き出てきます。そしてスピリチュアル・ペインを体験しはじめます。
 それでは、スピリチュアル・ペインを体験している方々にはどのように対応していったらよいのでしょうか。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION