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看護学雑誌
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report レポート
アートがつむぐ「ケアの文化」
アメリカからの実践レポート
森下静香
芸術とヘルスケア協会/(財)たんぽぽの家
 
 高齢社会を迎え、医療や福祉などのヘルスケアの現場における「健康」という概念が大きく変わりつつある。このようななか、身体的に病気をしていない状態だけではなく、精神的にも充実し、自分で自分の人生をデザインし、豊かに生きていくことがテーマとなるとともに、介護やこころの問題から「ケア」の問題が注目されている。
 今回、アメリカのフロリダ大学で行なわれたアーツ・イン・ヘルスケア学会の年次大会とその大会の一環として行なわれた、ケアにかかわる専門家を対象とする「ケアする人のケア」会議に参加し、さらに大学病院やコミュニティにおいて「アートを用いたケア」を実践しているNPOを訪問し、視察する機会を得た。
 ここでは、アメリカにおいて実践されている「アートを用いたケア」のあり方や「ケアする人のケア」のプログラムを取り上げながら、「ケア」を文化としてとらえ、高めていく視点を提供したい。
 
もりしたしずか●芸術とヘルスケア協会
〒630−8044 奈良市六条西3−25−4 (財)たんぽぽの家内
 
ケアする人の孤独と孤立
 アーツ・イン・ヘルスケア学会は、1991年に設立された学会で、医師や看護師、心理学者、アートセラピスト、アーティスト、建築家、デザイナー、行政関係者など分野を超えてさまざまな人たちが参加している。今年の年次大会も、全米だけでなく、イギリス、カナダ、オーストラリアなど各国からヘルスケアとアートのかかわりについて考え、実践している人たちが集まった。
 3日間を通し、“Arts in medicine”をテーマに実践報告、研究報告、ワークショップなど、多彩なプログラムが行なわれた。これまでは病院などのヘルスケアの施設にアートをどのように取り入れていくかというテーマが多かったが、今年は地域の保健活動に対してアートがどのように貢献できるかといった、よりコミュニティに根ざした報告も多くみられた。
 アーツ・イン・ヘルスケア学会の取り組みは、治療としてのアート・セラピーも包含し、広い意味での人間のこころとからだに与えるアートの力、癒しのプロセスを高めていくアートの可能性について提案している。そして、ケアを受ける人だけでなく、家族や職業としてケアに携わる人など、ケアの現場にかかわるすべての人にとってアートは有効である、という考えのもとさまざまなプログラムが全米各地で展開されている。
 大会に先立って行なわれた「ケアする人のケア」の会議では、アートを用いたケアする人へのプログラムや日米のケアする人をめぐる状況について報告が行なわれたが、共通する問題としてあげられたのは、アイソレーション、つまり孤立・孤独の問題であった。かつての社会と人とのつながりが崩壊し、人間関係が希薄になっていることがしばしば指摘されるが、それはケアの現場も例外ではない。社会との断絶のなかで、ケアする人の苦悩は孤立している。そのケアする人の苦悩を支えていくための方法について、アイデアや情報を日米で交換し、新しい提案につなげていこうということがこの会議の趣旨であった。
 会議のなかで印象的だったのは、ケアの仕事を志す学生のためのケアの報告であった。アメリカの大学医学部では今、将来的に人の死や病い、喪失に向き合わなければならない、ケアを職業とする学生に対し、アートや人文科学を学ぶカリキュラムを積極的に取り入れつつある。それによって癒しとは何かを考え、死生観などを身につけ、患者に対して全人的に向き合うことができるということであった。
 科学技術の進歩とともに、医療やケアの現場も進歩を続けている。しかし、技術の進歩やシステム化のなかで、患者も医療者も孤独を感じている。さまざまなもののつながりが絶たれ、私たちは大事な何かを喪失したとも感じている。人と人のつながりをどう取り戻していくか、また、全人的な存在としての自分や他者をどのように取り戻していくかということは、現代に生きる私たちのテーマである。
 
アートによって1人ひとりの魂を癒し、病院を変革する
 「ケアする人」には孤立感に加え、無力感という問題もある。たとえば、アメリカの大学病院は巨大で、何千人という人が働き、管理的にならざるをえない。そのような組織では、スタッフ1人ひとりがどのような役割をもっているか、自分の役割にどういう意味があるかを実感しにくくなっている。
 また、ケアの仕事に携わっている人は、医師や看護師といった自分の役職からなかなか離れることができず、固定的な価値観のなかで、患者や他のスタッフとのコミュニケーションがうまくとれず、ますます孤立に陥いることがある。
 これらの無力感や孤立感に対して、アートはどのような役剤を果たすことができるだろうか。
 アーツ・イン・ヘルスケア学会の大会後に訪れたノースカロライナ州にあるデューク大学メディカルセンターは、アメリカでの最先端の高度医療を提供する総合病院であるが、ここでは患者だけではなく、その家族、病院のスタッフなど病院を訪れるすべての人に対してビジュアル・アーツ、パフォーミング・アーツ、建築デザインや庭を含めた環境芸術、文学などさまざまなプログラムが提供されている。
 正面玄関を入ったロビーでは、木の緑や自然光、美術作品をうまく取り入れることによって、患者やスタッフを和ませるような空間づくりが行なわれている。病院で働く人は忙しいので、ここを通り過ぎるときに、少しでもやすらいだ気持ちになれるようにと、優しい音楽がかけられる。院内の数か所に展示スペースがあり、地元のアーティストの作品や病院のスタッフの作品が展示される。環境芸術として癒しの庭などもつくられており、スタッフも患者もゆっくりと過ごすことのできる空間が多い。
 スタッフや地域の人が集まり、文学や詩について話をしたり、自分で書いたものを披露したりする文学のプログラムや医師や看護師、事務員などスタッフが上演するミュージカル・レビューなど、アートに触れるさまざまな機会が設けられている。これらのプログラムは、立場を超えてスタッフ同士の絆を強くすることが意図されている。ケアする人という役割を離れたスタッフ個々の人間性に触れる機会となっている。
 しばしばつらい痛みを伴う病院のような場所において、アートを通して癒しの環境を整えていくことは、ケアの現場でもっとも必要とされている心の安らぎと元気をもたらすことにつながるだろう。それは、患者にとってもケアする人にとっても必要なことである。それは、1人ひとりの魂を癒していくこと、また病院というコミュニティ全体を癒していくことにもつながっているといえる。
デューク大学メディカルセンターでのスタッフによるミュージカル・レビュー、チケットの売上は病院内の慈善事業に使われる。
 
生命を超えたつながりの回復
 デューク大学メディカルセンターでの興味深い取り組みの1つに、ビリーブメント・セラピー(死別に対するセラピー)としてのキルトのワークショップがあった。これは、亡くなった患者の家族が、患者の思い出の服や布を持ち寄り、アーティストとともに、大きなキルトをつくるというプログラムである。子どもからお年寄りまで約200人が参加し、亡くなった人の思い出を語りながら、同じ思いを抱く人たちとともに、キルトを制作した。キルトにはその下で人が生まれ、眠り、人を守り、そして死んでいくという、人間の生と死を包むという意味がある、ワシントンD.C.のジョージタウン・メディカルセンターのロンバーディがんセンターにおいても、亡くなった人との思い出の作品が展示してあった。これは、アーティストが、がんを患った女性とともに、彼女が愛用していた日用品、スプーンやペンダント、リボンなどを用いてつくったメモリアル・アートであった。その女性が亡くなったとき、夫は大変なショックを受けたが、アーティストとともに作品を完成させることで、立ち直ることができた。また、このメモリアル・アートはこの病院だけでなく、全米各地で展示され、好評だったという。死に直面している女性がつくった作品が、多くの人に受け入れられたのは、そこにこめられた人と人とのつながり、また生や愛に対しての力強いメッセージが伝わったからではないだろうか。
 がんセンターでは、多くの患者が亡くなっていく。そのようななかで働いているスタッフ、また患者をケアし続けてきた家族は、生きていく力を失うこともある。しかし、生き死にを超えたつながりを感じることができたとき、その悲しみは少しずつ癒されていく。そして、死を受け入れることは、生きることにつながっていく。
 日本では、グリーフ・ワーク(悲しみを癒す作業)やビリーブメント・セラピー(死別に対するセラピー)は、まだまだ社会化されていない。しかし、大切な家族を亡くした人たちが、またかかわったスタッフが再び生きる力を取り戻していくために、悲しみを個人のなかでとどめるのではなく、アートなどの表現活動を通し、共有化、社会化していくことがこれから重要になってくると感じた。
キルトは病院の廊下に展示されている。
コミュニティ・ケアにおけるアートの役割
 アメリカでは、国民皆保険でないこともあり、がんや重い病気を持っている人も長期入院はせず、外来で治療することも多い。そのようななか、病いをもつ人や障害のある人、高齢の人や、その人たちをケアする人がコミュニティのなかで孤立せず、情報を得ながら豊かな生を生きていくためには、支えあうコミュニティが重要であり、セルフ・ヘルプ・グループやサポート・グループなど地域でのNPOの役割がますます大きくなっている。
 ワシントンD.C.にある障害のある人たちの芸術文化活動を支援しているNPOべリー・スペシャル・アーツでは、看護協会と協力し、ホームケア、ホスピスケアを受けている難病の子どもたちの家庭にアーティストを派遣する“ART is the heART”というプログラムを行なっている。アーティストが訪ねていくことによって、介護をしている親は子どものケアからいったん離れ、子どもを離れてみることができ、子どもも家族も一緒に楽しく創造的な時間を共有することができる。
 また、ワシントンにあるスミスファーム・センターは、がんとともに生きる人たちに対するやすらぎを与えるプログラム、医者やその他のヘルスケア従事者に対する専門的な発展プログラム、「癒しの力としてのアート」プログラムなどを行なうNPOである。患者が自分自身の創造性に気づくことによって、内なる癒す力がその人の回復を導くとともに、家族やスタッフもまた創造性によってセルフケアが促されていくという。
 スミスファーム・センターが行なっているプログラムのなかに「コモン・ウィル」がある。これは、がんに携わる専門家とがん患者が大自然のなかであらゆるケアを受けながらグループ・カウンセリングや箱庭療法などを行なう数日間のプログラムである。これは治療を目的にしているのではなく、互いに癒しあい、生きる力を与え合うためのプログラムである。
 アートや自分の思いを語ることを通して、病と向き合う日々を送るだけでなく、自分の創造性や可能性を発見していくとともに、同じ思いを持った人とのゆるやかなつながりの場となっている。







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