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「ケアの文化」の構築に向けて
 日本では、家族や地域社会もケアを担う時代になり、ケアは特定のところで行なわれる特別な営みではなくなってきている。多くの人にとってケアは身近なテーマとなり、ケアを担う人たちの負担に目が向けられるようになってきた。
 しかし、介護保険の導入によるケアの制度化やビジネスとしてのケア、すなわちケアの企業化のなかで、サービスばかりに目が向けられがちになってしまい、本来、人と人とのかかわりであるケアの本質がみえなくなっている。人間の苦しみや悲しみなどの内面的なケアは時として、こぼれ落ちてしまう。
 アメリカでは、アートを用いたケアのプログラムによって、ケアする人・ケアを受ける人を区別せず、すべての人が「ケア」を介して互いに成長していく環境ができつつある。ケアやアートなど、さまざまな分野の専門家が立場を超えて協力しあいながらシステムとして確立していることから学ぶことは多い。「ケア」を、互いを育み合う相互的な営みとして捉えなおすことによって、医療・介護の現場だけでなく、社会全体を変革していくことにつながるように思う。
 この秋、日本において、アメリカの実践者たちとともに「ケアする人のケア」をテーマに日本各地でフォーラムを開催する。アメリカで取り組まれているプログラムの背景にある理念を学ぶとともに、私たちもまた自分たちの文化や社会状況のなかでつながりを回復していく方法について考え、提案していきたい。
 
インフォメーション
 本稿でご紹介したアメリカで「アートを用いたケアする人のケアのプログラム」を行なっている実践者たちを招いて、フォーラムを11月に全国8都市で開催します。関心のある方には詳細をお送りしますので下記までご連絡ください。
スミスファーム・センターで使われている箱庭は8角形の特別なものだった。自分で選んだ人形や小物を砂の上に置いたあとは、なぜそのフィギュアを選んだのかなどを語り合い、聞き合う。
 
「たんぽぽの家」とは
 財団法人「たんぽぽの家」は、障害のある人たちの芸術文化活動の支援を中心に、人が人として生きるために必要なもの、時代が必要としているものに取り組みながら、1人ひとりが誇りを持っていきいきと生きることができる社会のあり方、文化のあり方を提案し、さまざまな活動を展開しています。
 2000年には、これまでの活動に加えて、新しい時代における健康とは何か、生命の質、生活の質、人生の質を高めるということは何か、さらには、1人ひとりが自己実現を図りながら幸福になっていく社会とは何かを考え、推進していくために「芸術とヘルスケア協会」を設立しました。協会では、フォーラムの開催やネットワークづくり、調査研究などを行なっています、「芸術とヘルスケア協会」ならびに「たんぽぽの家」の活動の詳細については、下記までお問い合わせください。
問合せ:財団法人たんぽぽの家
〒630−8044 奈良市六条西3−25−4
TEL(0742)43−7055
E-mail:art-care@popo.or.jp
 
長崎ふくし 2003年3月
ケアする人のケア
 「高齢者のケア」「心のケア」など、「ケア」という書葉は頻繁に使われています。特集では、ケアの技術などシステムが語られることの多いこの言葉を取り上げ、「ケアする人のケア」について考えます。
※この記事には「ケアする人のケア・サポートシステム研究委員会(以下、研究委員会という。詳細は文末をご覧ください)」のご協力をいただきました。
 
ケアする人は強い人?
 「ケアする人」とは、介護を担う人、ケアを仕事とする人、ボランティアでケアにかかわる人をはじめ、誰かのことを気にかけ、心を向けている人です。
 このような人たちは精神的に「強くて当たり前」とされる観がありますが、誰しも人と関わるときには、新しい発見や小さな感動、そして疑問、戸惑いと出会い、その中で自分を失ってしまうことが多いと訴える人も少なくないようです。
 痴呆の高齢者を介護する家族が、誰にも悩みを闘いてもらうことができず、うつ状態に陥っていく。ボランティアが、相手のために尽くそうと努力するあまりバーンアウト(燃え尽き)してしまう。このようなケアする人の問題はケアの質の低下をもたらします。ケアの質を高めるために「ケア」する人が癒され支持され、力を発揮していけることが必要であると考えられています。
 
ケアの文化を考える
 一方で、「介護することで私がケアされている」「障害のある子どもを育てることで私が成長させてもらった」という声を聞くこともあります。
 私たちは目に見えるかたちの身体的な世話だけではなく、精神的な世話も含めて、自らの存在を誰かによって認められることで生きています。ここに「ケアする人のケア」を考えるうえで大切な意味があります。
 研究委員会では、介護を「生と死について深い知識を得て、人間性や人間の生き方について考えること」ととらえ、「ケアの文化」を構築していくことが大事である、と考えています。
 「ケアの文化」とは、あらゆる生命を慈しむ文化であり、そこでは互いの存在を肯定し尊重して支え合うことが大事になります。そのような、ケアをみんなで共有し、コミュニティーの中に根付かせていく共同作業が必要です。
 
「セルフケアのケア」とは
 研究委員会では「ケアする人は、どのようなケア・サポートを必要としているのか」という問題意識のもと、さまざまな調査を行っています。そこで着目されたのが「セルフケアのケア」です。
 ケアに関わる人は、ケアの必要な人と接することで、自分自身の価値観や生き方を揺さぶられる経験をします。相手(対象者)に誠実に向かい合おうとすればするほど、その人の喜びや苦悩で大きく揺さぶられることになります。その疲れきった心身を誰かに頼って回復することは根本的な解決にはならず、かえって自分の力で生きていくことを不安にさせることになります。
 「セルフケア」とは、気分転換や休息だけでなく、そのなかで自分を見つめ直し、認め、自分自身を好きになること、つまり自尊の感情を高めていくことと深く関係しているといえます。
 しかし、ケアで失敗したり傷ついたりするなかでは、どのようにして自分を好きでいつづけられるのでしょうか?
 研究委員会のアンケート調査でケアする人から共通して語られたことは、誰かが傍らにいてくれることの必要性でした。これは自分の生き方を他者の判断にゆだねることではなく、ケアする人が自分で考え、自分を高めていくには、それを見ていてくれる存在が必要だということでしょう。
 また、失敗や挫折が自らの成長につながるための環境が必要であるともいえるでしょう。
 
家族のケアをする人
 高齢者や障害者を介護する家族は、そのたいへんさが誰にも理解されにくいという孤立感と、家族が介護すべきだという義務感から精神的に追い込まれていくケースが少なくありません。もちろん介護保険のサービスや障害者福祉サービスはその負担を軽減させるものではありますが、それだけでは解決できない問題です。
 家族の介護によるストレスを和らげるため、家族の会や精神科医による介護カウンセリングなど、さまざまな試みがなされています。
 例えば「呆け老人を抱える家族の会長崎県支部」の会員は「会員同士で集まっても呆けが治るわけではない。なぜ来るかというと、ホッとするから。家で毎日二十四時間つきっきりで介護している中、精神的に救われる」と言います。
 痴呆の家族を介護する中で深い悩みの一つは、家族の理解をも得にくいこと。家族の中で一人だけが介護を背負ってしまい、想像を絶する介護の現場を他が理解してくれない孤立感があります。そんな中で、会の例会に来るたび、思いを分かち合い、気持ちを新たにして介護の日々に戻っていきます。そして、まだ家庭のなかで自分たちと同じように苦しんでいる多くの人たちを救えるように、講演などで一般の人にも理解を求めながら、お互いに支え合う場があることを知らせていく活動を行っています。
 初めて介護を体験することになった方からの相談には、「自分が通ってきた道だから」といとも簡単に適切なアドバイスをする常連の会員。
 傍から見ると「ただでさえ毎日の介護で大変なのに、活動もだなんて・・・」とも思えますが、これは、本人にとっては自分を客観的に見るため、自分を見つめ直すためにも、大切なことなのかもしれません。
 また、別の家族団体では、介護で家を空けられないメンバーとは電話で連絡を取り合っています。介護に追われて閉じこもりがちになる家族を孤立させないことが会のねらいです。
 「介護で忙しそうだから遠慮する」ではなく、訪問してもらったり電話してもらって愚痴を聞いてもらえると介護家族は癒されます。そんな気持ちを地域の人たちに知ってもらい、みなで考えることがケアの文化を育てることになるのではないでしょうか。
 
元気が出るケア
 元気が出るケアのためのポイントはケアされる人から元気をもらうこと。実際にケアすることで人生観が変わったり生きる勇気を得た人は少なくありません。ケアされる人と真摯に向き合うことで、自分の弱さと自然に向き合えたり、自分の存在を見出したりできるようです。
 また、ケアされる人の“力”を信じることも大切です。ケアされる人が持つ力を充分に発揮してもらうことが、ケアの役割であり、そうすることで、ケアする側の心にも余裕ができます。その関係の中では、互いの尊厳や人生を確保できるのではないでしょうか。
 そして、ケアの輪を広げることも欠かせません。そのための方法の一つは、さまざまな情報や知恵を共有したり、互いに励まし合えるような、同じ境遇の人たちとのネットワークを作ること。もう一つは、互いに助けたり助けられたりする、親密な人間関係を作ることです。
 悩みを持つ人が孤立化しているのが、残念ながら現在の状況です。実際にケアに関わる人だけではなく、すべての人がケアの意味を考え、介護者一人ひとりの人生を大切にする視点を持ち、介護の重圧から解放されて、「生きたい人生」を選んで生きていける環境づくりは、そのまま「誰もが生きやすい」環境づくりにつながるように思います。
 
仕事でケアをする人
 強い使命感や責任感をもって、人並み以上に仕事に取り組んでいた人が、ある日を境に、張り詰めていた糸が切れるように、急に意欲を低下させ投げやりになったりするバーンアウト。
 これは心の問題やその人の性格の問題だけが原因ではありません。バーンアウトになりやすい「真面目さ」や「熱心さ」「傷つきやすさ」は、他者の気持ちをくみ取ったり共感する力が高いということでもあります。
 また、福祉の職場環境やそれを支える施策制度の不備、仕事環境の急激な変化なども無視できません。質の高いケアをめざすには、こうした傷つきやすさを孕むケアする人の心身を支えることが必要ですが、忙しさを理由にそのような人のケアは後回しにされているのが現状です。
 研究委員会の播磨氏が、挫折と試行錯誤の連続であるケアを体験してきたケア上手の人たちの知恵を集約しています。これは、家族のケアをする人、仕事でケアをする人、ボランティアでケアをする人すべてにあてはまるものです。
(1)自分にできることとできないことを見極めて、過剰な責任を引き受けない
(2)自分の力で変えられるものと変えられないものの見分けをつける
(3)物事の優先順位をつける
(4)仕事と私生活との区切りをつける
(5)十分な休養や、遊ぶ時間を確保する
(6)自分の健康と幸福に責任を持つ
(7)自分の価値は、周囲の評価や賞賛、あるいは仕事の能力によって決まるのではなく、ありのままの自分に価値があると思うこと
 このケアの知恵を、不真面目では?と感じる人も多いかもしれません。また、向上心や責任感が強い人ほど自分のことを不真面目だと感じたり、できなかったことに対して自責の念を持ちがちでもあるようです。しかし、ケアする人が癒されることはケアの質を高めることにつながる、ということを思い出してください。がんばりすぎないことは実は難しかったりしますが、がんばりすぎることは自分だけでなく周りやケアする相手にも悪影響が出ることもあるのですから。
 そうはいっても、失意のどん底、絶望のなかでさまようこともあります。そのような時の「セルフケア」はどうすればいいのでしょうか。
 播磨氏が例としてあげたのが、「ひとり旅」です。実際の旅をすることもありますが、心の旅路という場合もあります。
 たとえば、物語や本などを読みながら、自分が孤独のなかにより深く沈んでいくように感じます。そして、自分の一番深いところを旅していくなかで、自分というものがいつしか消えてしまうような経験をします。そしてまたよみがえってくる、リニューアルしていくことができるのです。
 研究委員会の調査のなかで、看護の仕事に就いている人が次のように語っています。
 
 仕事をしているときは、利用者との関わりのなかで、『ケアしなければ、何とかしなければ』と常にdoing(すること)の状態で、自分のことは後回しになっている。なかなかうまくいかないケースワーク、利用者との関係上での失敗、苦手な業務に対ずる苦痛などによつて、毎日疲れます。
 自分のために、利用者のためにただそこに居ること、being(あること)がなぜできないのか?
 自分がいきいきすることは何か?わくわくすることは何か?もっと自分を知ろう。自分を見つめよう。
 
 介護という行動や行為そのものは「する」という営みの総体といえます。ケアの現場では、あらゆる「する」営みを要求され、あるいは自ら求めて実際に行っています。そのなかで、ケアする人は、自分自身を見つめることによって「そこにある」「そこにいる」ことを深く意識し、「する」営みに奥行きをもたらすことができるのではないでしょうか。
 つまり、他者との関わりのなかで「ここにいる私」を実感できることこそ、ケアする人に自分を好きになることや、生きることの深い喜びをもたらしていると考えられます。
 そのために必要なのが、愚痴を言う相手であったり、自分に対して「それでいい」と言ってくれる人、そういう他者の存在です。
 ケアする人が、自分で考え、自分に対する信頼を高めていくこと、そのためには、そのことを見ていてくれる人の存在が必要だということができます。
 
ボランティアのケア
 「人を支えたい。」自ら望んでケアに従事するボランティアたちの間でもバーンアウトは心配されています。
 ボランティアに関わる動機はさまざまですが、「自分探し」や「癒し」を求める人々もいて、人と人との関わりのなかで人間性を恢復させるという新たな可能性を持ち始めています。
 しかし、人(他者)との係わり合いの中での活動であるゆえに、他者の苦しみを引き受けてボランティア自身が傷つく、ということがあります。また、大変な現実を見ると、心身ともに疲れていても放っておけずに無理をしてしまい、自分を失ってしまうということも少なくないでしょう。
 このようなボランティアが背負う苦悩やストレスは、ほとんどの場合個人の問題として考えられたり、自発的な行動であることからそのケアが後回しにされがちです。しかし、ケアの輪を広げるためにはその「自発的な行動」を後押しするようなセーフティネットが必要になると考えられます。
 研究委員会が、ボランティアと活動の受け皿となる組織に行ったアンケート調査をもとにした研究では、「ボランティアとは何か」ということについて、自分なりの意味や価値を考えつづけられる環境が必要と考えられています。
 それはボランティアを本来の主体的な活動として自分の中に位置付けるためには、ボランティア活動について楽しむ力や自分自身の生きる哲学を持つことが必要だからです。
 例えば、ボランティアを全国各地の活動先に派遣する「一年間ボランティア計画」を実施している日本青年奉仕協会では、二十四時間つながるホットライン(携帯電話)を用意しいつでもボランティアや活動先からのヘルプコールに対応できるようにしてボランティアのサポートやケアを行っています。また、一年間の活動の途中で中間研修をして、活動での経験やつまずきなどを、仲間と共有したり、振り返りの作業などを行っています。
 共有するなかでも、悩みをすべて語り尽くす人、逆にぎゅっと心に秘めて「負けるもんか」とポジティブに考える人、さまざまな人がいます。そこには自分自身を見つめ直そうとするセルフケア、そして、誰かが傍らにいる、というセルフケアのケアが存在しています。
 また、県内に目を移すと、県民ボランティア活動支援センター(長崎市大黒町TEL 095−827−487)が、ボランティア活動で生じるさまざまな悩みの相談に応じています。
 自主的な活動であるボラティア活動。これは、活動の範囲を自分で決めることを意味します。活動を相対的に見ることができるように発想を変えたり、視野を広げて自分のほかにも活動する人がいることを知る、「この人には私の助けがいる、私しかいない」のではないことを見つめ直すことも大切ではないでしょうか。
 
いのちの電話のとりくみ
 人間関係が希薄になった現代、身近に相談できる相手がなく、狐独のなかで不安な日々を過ごしている人がたくさんいます。昨年十二月一日から七日、通話料無料で設けられた「自殺予防いのちの電話」に寄せられた相談は一週間で三四二二件にも上りました。
 「いのちの電話」は、訓練を受けたボランティアが電話を通して悩みを聴き、苦しみを分かち合い、ともに考えることにより、その人の進むべき道を見いだせるように援助することを目的に設立された市民による奉仕活動です。
 いのちの電話相談ボランティアは、相談員になるための研修を受け、認定されたあとも定期的に継続研修を受けることが義務付けられています。今回取材をさせていただいた長崎いのちの電話では年間五回ほど、対応の仕方などについての継続研修を行っています。
 いのちの電話のみなさんがボランティアを始めたきっかけは、「教師をしていて、教育相談の技術をもっと深めようと養成講座を受けた」「医療の現場で心のケアの重要性を感じる事が多く、仕事と離れたところでも必要だと思った」「自分自身の心の状態に問題があった」「心の病に興味があった」などそれぞれで、「何かボランティアをしようと思って、いのちの電話のことはよく知らずに飛び込んだ」という方も。
 長崎いのちの電話の相談時間は年中無休で朝九時から夜の十時まで。二人ベアで行うのが原則ですが、相談ボランティアの減少で、一人で業務につく場合も少なくないそうです。
 もともと「聴く」こと自体が容易ではないことに加え、いのちの電話の「匿名の相談員、として、匿名の相談を(電話で間接的に)受ける」「守秘義務」といった特殊性から、相談員個人で相談者の苦しみをそのまま受け止めてしまうこともあり、そんな時に「一人」であることが、さらに相談員に疲労感を与えることがあります。“自主的に”始めた活動であるがゆえの葛藤もあります。
 そこで会の業務とは別に交流会を開いたり、相談員同士で他愛もない話や愚痴を言い合ったりすることで、そのようなストレスを発散させるようにしています。
 また、会では昨年から、相談員のケアのための「ケア委員」を二人設置しています。まだ手探りでケアの方向性を模索している段階だそうですが、研修のなかで相談員(または養成中のボランティア)と一緒にロールプレイングをしてアドバイスをしたり、会の活動のなかでは相談しにくい人のために、自宅で相談員からの電話相談に乗っています。「思っていることを口にするだけでも昇華されるんです」ということですが、同時に「ケア委員に相談できる人はまだケアしやすい」そうです。しかし、活動に来た相談員をじっくりと見つめていると、「髪型など身なりがいつもと違っていたりして何かサインを感じ」話しかけてみることで、悩みの糸口が見えてくることがあるそうです。
 会は昨年十一月に社会福祉法人格を取得し、今後は電話相談の二十四時間体制への移行を計画しています。そのためには相談ボランティアが少なくとも百六十名必要で今後も養成が続きますが、相談ボランティアが活動しやすい環境づくりも大事だと考えています。「疲労を感じた相談ボランティアがほっとくつろげる事務局環境も整備していきたいですね」そして現在二人のケア委員も少しでも増やして、より相談ボランティアが力を発揮できるよう組織づくりをしたいとのこと。
 ボランティアの充実感は、ケアする相手と関わることで自分を実感することだと考えられます。自分で考え、自分を見つめること、そして、その姿を見ていてくれる他者の存在は、やはりいのちの電話でも必要とされているようです。
 
●ケアする人のケア・サポートシステム研究委員会●
 1999年4月発足。さまざまな分野の研究者や、医療・福祉などケアの現場に関わる実践者たちと、ケアに関わる人々のニーズとサポートについて、また、人間の本質的な営みとしての「ケア」について研究。この特集記事作成にあたっては、同研究委員会の書籍「生命に寄りそう風景〜ケアする人のケア」「生きなおしの物語を紡ぐ〜ケアする人のセルフケア」(ともに頒価500円)「『ケアする人のケア』研究集会〜ケアを介した魂の交流」から引用をさせていただきました。
●同研究委員会のお問合せ先●
〒630−8044 奈良市六条西3−25−4 財団法人たんぽぽの家内
Tel 0742−43−7055 Fax 0742−49−5501
E-mail:carecare@popo.or.jp
 
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関連ホームページ:http://popo.or.jp/
 
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