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看護展望 2002年9月
ケアを学びあう 9
生きることの痛みを抱きしめて
播磨靖夫(はりまやすお)
財団法人たんぽぽの家・理事長
 新聞記者を経てフリージャーナリストに。障害のある人たちの自立生活の場として「たんぽぽの家」づくり、および、自己表現をしていける社会づくりを市民運動として展開。アートと社会の新しい関係づくりをする「ABLE ART MOVEMENT」を提唱。1999年に「ケアする人のケア・サポートシステム研究」を提案、有志とともに研究委員会をたちあげ現在に至る。芸術とヘルスケア協会代表理事、日本ボランティア学会副代表。
 
死にゆく人に寄りそうこと
 人の死はいつも哀しい。とりわけ、若い人の死は痛ましい。一緒に生活をしていたり、仕事をしていたりすればなおさらである。
 昨年末、「たんぽぽの家」で25年にわたって活動してきた女性スタッフKさんが、がんで亡くなった。人生これからという40歳だった。
 亡くなる前の数ヵ月間、一人暮らしをしていた彼女のケアを、一緒に働いてきた同僚や知人らが手伝った。Kさんは最期まで、したいことは何か、食べたいものは何か、不安に思っていることは何か、恐れていることは何かを、付き添う人たちに伝えつづけた。そして、付き添ってきた人たちは、彼女の一つひとつの要望や問いかけに、とまどい、悩みながらも向きあうという経験をした。
 その人と永遠に別れなければならないという埋めようのない寂しさの予感、その人が亡くなってしまったら自分はいったいどう生きていけばいいのかという悩み・・・。死にゆく人とともに居ることは、ケアする人にさまざまなとまどいと苦悩をもたらす。そして、相手の病の痛みや苦しみに自分は何ができるのか、どうしてあげれば一番よいケアといえるのかということを突き詰めて考えることになる。ふだん何気なく発している言葉や行動の一つひとつが、このような場面では慎重に選ばれ、吟味される。生命にかかわる事態に直面している人のまなざしの前に自分がさらけだされることになるのだ。
 しかし一方で、死にゆく人とともに過ごす時間は、それぞれの生が際立つ瞬間でもある。おたがいの存在の確かさを心に焼きつけ、一緒に過ごすことのできる限られた時間を大切に刻んでいく。鮮明に心に残っていくこのような時間は、先に逝かなければならなかった人からの、最大の贈り物だといえるのではないだろうか。
 私たちは日常生活において、生きている実感をどれほど感じて生活をしているだろうか。さらには、自分の存在のかけがえのなさを、どれほど確信できているだろうか。
 現代社会は、家族や学校、企業、地域社会のつながりが希薄になったといわれる。そして、私たちの日常生活はたいへん便利になった分、他人に頼ったり頼られたりすることなく、生活していくことが可能になっている。しかし、私たちはさまざまな次元での人とのつながりなくして、生きている自分の存在を確かめることは極めて難しい。
 「生きているということはどういうことか」という根源的な問いかけにたいして、誰も答えを出すことができないでいる。しかし、私たちは、その問いかけを自分の生と誰か他の人の生との間にある「ケア」のなかに、探し求めていくことができるのではないかと考えている。
「ケアする人」の声を聴く
 私たちが「ケアする人のケア」の研究をはじめたのは、1999年。高齢化がすすむなか、介護保険をはじめ、介護にサービスの概念がもちこまれるなど、福祉制度が大きく変わりはじめた時である。また、マスコミなどでは、高齢者の虐待やケア疲れによる無理心中が報道されるなど、ケアの担い手の問題が急浮上してきていた。
 このような状況から、ケアする人が心身ともに健康であって、はじめて質の高いケアができるのではないかと考え、たちあげたのが「ケアする人のケア・サポートシステム研究委員会」である。
 この研究委員会では、まず、ケアする人のおかれている状況やニーズを把握するための調査を行った。調査の対象は、ケアを担う家族やケアを仕事とする人、ケアにかかわるボランティアの人たちである。
 調査をとおして見えてきたのは、ケアする人の苦悩の孤立化という現代社会の大きな問題である。しかし、そればかりではなかった。「障害のある子どもをもったおかげで、人間にとって大切なことが何かを知った」と語る母親、「ケアしているというよりも、自分がケアされていることの方が大きい」と話すホームヘルパー。ケアをめぐる豊かな風景が見えてきたのだ。
 こうした調査で拾いあげた声から、「人間として人間の世話をする」というケア本来の価値に目を向け、ケアを介して人間が幸せになっていける「ケアの文化」を作っていくという新しい方向性が見えてきた。
 記述式アンケートには小さなスペースに細かい字で、具体的な悩みや体験、学びや喜びがぎっしりと綴られていた。インタビューに行くと、どんな思いで毎日介護をしているのか、どんな知恵やアイデアで介護を担っているのかということが、尽きることなく語られた。そして、調査に協力をしてもらったにもかかわらず、「聴いてくれてありがとう」と思いがけず感謝されることすらあった。
 その後も「ケアする人のケア」の事務局には、ケアする人から多くの声が寄せられている。これまで聴かれてこなかった多くの言葉が、こちらの問いかけや発信をきっかけにして、あふれ出してくるのだ。
 こうした声を寄せてくる人は、どのように介護すればいいのかという方法や情報が必要なのではない。なぜ私が介護をしなければならないのか、介護はこの私にとってどういう意味があるのか、そのことにどのような価値があるのか、こうしたことを確かめる必要があるのではないだろうか。それほど人と向きあいつづけることは、日々自分が試され、根底から揺さぶられるたいへん厳しい営みなのだ。
 ケアする人は、「ありがとう、その一言で一日の介護の苦労が報われる」という。しかし、感謝や労いの言葉をかけられるだけでは癒されない苦悩もある。誰か他の人が付与したケアの意味や価値ではなく、自分自身が納得して折りあいをつけていかなければならない現実があるのだ。
生きなおしとしてのセルフケア
 「ケアする人のケア」では、ケアする人の「セルフケア」に着目し、「生きなおしとしてのセルフケア」について考えてきた。
 「セルフケア」ができるためには、思い通りにいかないことや納得のいかないさまざまなことと折りあうために、一旦その場を離れ、どこかで自分をたてなおして、もう一度自分の生を引き受けなおすこと、すなわち「生きなおし」が必要だということである。
 生きなおしをするために、私たちが昔からしてきたのが旅である。一人旅をして心を癒したり、巡礼をして魂を慰めることがある。また、実際に旅をすることだけでなく、物語などを読んで心の旅路をたどる場合もあるだろう。たとえば、古典や小説を読んで主人公と同じ気持ちをたどることで、心の原郷に帰っていくこともある。
 昔から人に語り継がれてきた物語や、多くの人の心をうつ文学は、私たちの心の旅路に寄りそってくれるという意味で、セルフケアの助けになると考えられる。また、物語を読むことだけでなく、自分自身の言葉で語り表現していくことも、「生きなおし」をするために重要な方法のひとつである。
 「ケアする人のケア」のひとつの試みとして、2002年の2月に「ポエトリー・リーディング」のワークショップを行った。詩人で童話作家である寮美千子さんを招き、参加者がそれぞれ持ち寄った好きな詩を声に出して読み、その詩の魅力を語るという集まりである。
 好きな文学には、その人の人生観や世界観があらわれる。「自分の好きな作品を声に出して読み、その魅力を語り、それを人に伝えようとすると、人はあきれるほどまっすぐに、自分の心をさらけだしてしまう」と、ファシリテーターをつとめた寮さんは言う。
 自分の人生、自分の生きる世界を、声に出し、言葉にすることは勇気が要るが、そのことによって、それまで気づかなかった自分の一面に新たに気づきなおしていくことがある。何度も語ることで、何度も生きなおしをし、何度も新しい世界をつくりなおす。声に出したり、言葉にすることによって、自分の経験をより確かなものにし、学びや成長につなげていくことができるのだ。
人のつながりを結びなおす
 このワークショップを、社会福祉施設「たんぽぽの家」でケアの仕事に就く人たちを対象に行った。すると、ワークショップを体験する前までは、仕事の合間にあたりさわりのない世間話しかしなかった参加者たちが、自分の好きな本の話や、自分自身の生き方に触れる話を交わすようになってきた。
 自分の心をさらけだすことは親しい人にもなかなかできることではない。あまり顔を合わさない人や、初めて会った人どうしではなおさらである。しかし、詩に託して誰かが自分のことを語ることができたとき、聴く人も、語る人の声や心に耳を澄まし、その人の人間性に触れるという経験をすることができる。そこから仕事や役割を超えて、本来の人間的なつながりを結びなおしていくことができるのではないだろうか。
 詩のリーディングの試みは、アメリカの病院で、毎週医療スタッフが集まって詩や文学について語る円卓ミーティングを開いていると聞いて参考にした。アメリカでは、絵画や音楽などアートをヘルスケアの現場に持ちこむことが先駆的に実践されている。これら芸術や文学をもちいた取り組みは、病院や福祉施設の患者や利用者だけでなく、その家族や医療スタッフなど、あらゆる人に癒しをもたらし、おたがいのコミュニケーションを促すという考えで進められている。
 なかでもノースカロライナ州のデューク大学メディカルセンターでは、病院そのものをひとつのコミュニティとして、そこでの文化を創造することをめざしている。病院を治療のためだけの場ではなく、死にゆく人、すでに亡くなった人、親しい人を失って哀しみにくれる人、そして、これから生まれてくる人たちを包みこんだ祝祭のあるコミュニティにしていくという考えである。
 その具体的なプログラムのひとつに、病院で亡くなった遺族を対象としたプロジェクトがある。遺族が亡くなった人との思い出の布切れを持ち寄って、アーティストと一緒に協働でひとつの大きなキルトを制作するプロジェクトを実施し、作品は現在、病院の廊下に展示されている。亡くなった患者のことを思い出し、人と哀しみを分かちあうこのプロジェクトは、アートをとおして人と人のつながりを結びなおす試みといえる。
生き死にを超える魂の交流
 心を尽くしてできる限りのケアをしても、親しい人が亡くなったときには、多かれ少なかれ、その人をケアする立場にあった人は悔いを残すことがある。「あのときは何と言ってあげればよかったのだろうか」「もっときちんとケアしてあげるべきだったのではないか」・・・。死別の悲嘆は、単にその人が居なくなって寂しいということだけでなく、こうした後悔や自責の念によって、深い哀しみに落ちこむ。
 こうした哀しみに直面すると、「早く立ちなおらなければ」「いつまでもくよくよしていてはいけない」と、自他ともに思ってしまいがちである。しかし、哀しみを癒すのには時間がかかる。それはまた、その人が生きていたという証そのものである。一緒に過ごした時間を懐かしみ、愛おしむことは、自分が生きてきた時間を労うことであり、哀しんでいる現在の自分の存在を確かめる作業でもある。
 亡くなった親しい人を懐かしむとき、その人の声や姿、存在の気配がまざまざと蘇ってくることがある。また、何か偶然の出来事によって救われたときに、亡くなったその人が救ってくれたのだと感じることがある。そのようなとき、私たちは、亡くなった人とのつながりを確かに感じているといえる。
 この世ではその人とは二度と会うことはないが、自らのうちにその人が生きはじめるのを感じることで、亡き人とつながりつづけることができる。つまり、かけがえのないその人の存在そのもの、私たちにとってのそのかけがえのなさは消えることはない。それが魂の交流である。
 これまでは、このような一人ひとりの生きる哀しみや喜び、そして人間的な交流は、社会のなかで見えないところに押しやられてきた。近代社会の発展の陰で、押し殺されてきたたくさんの生きる痛みや心のうずきをどう受けとめていくか。こうした魂の営みに光をあて、一人ひとりの生を輝かせるのが「ケアの文化」といえるだろう。







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