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ホームケア・メディシン 2002年4月
Part 2 ケアする人に必要なケアとは
人は傷つきやすいかがもろくはない
セルフケアのサポートでケアする人の存在に向き合う
 介護保険制度の施行から2年。さまざまな問題をはらみながらも、より良いケアのための仕組みやサービスの在り方が模索されている。そうしたなか、ケアを支える人たちに対するケアへの取り組みが見られ始めている。ここでは、財団法人たんぽぽの家理事長で、ケアする人のケア・サポートシステム研究委員会の発起人である播磨靖夫氏に、ケアする人のためのケアの必要性について話を聞いてみた。
財団法人たんぽぽの家
理事長
播磨靖夫氏
 
今、問題となっている苦悩の孤独化
 介護保険制度の導入により、介護・介助をはじめとしたケアに対する社会の関心は、おおいに高まった。それに伴い、老老介護の問題や在宅においてケアを担う家族、あるいは訪問看護やホームヘルプなどのサービスを通してケアを担う人たちの負担に目が向けられるようになり、ケアする人に対するケアの必要性が認識され始めている。こうした状況について、播磨氏は次のように語る。
 「現在、ケアする人へのケアの必要性が高まっています。その背景には、介護にサービスという概念が持ち込まれ、制度化されつつあるという事情があります。介護保険に代表されるように、制度で人を支えるということは、サービス面にばかり目が向けられてしまい、時として人の苦しみや悲しみなどの内面的な部分のケアがこぼれ落ちてしまうことがあります。また、それまでボランティアだったグループがNPO法人などに組織化されることで、運営の問題や制度的なしばりが生じて、以前はきめ細かくやっていたことができなくなるといったジレンマに陥ることも少なくありません。ケアに当たる人は、制度を整えるだけでは解決できない苦しみを抱え込んでいます」
 さらに同氏は、ケアの現場にハイテク医療機器などのテクノロジーが導入されることで、本来、人と人とのかかわりであるケアの本質が見えにくくなっていることを指摘する。
 「かつての社会と人とのつながりが崩壊して、ケアをする人は“苦悩の孤独化”という状況に置かれて悩んでいます。そうした状況において『ケアとはどういうものなのか?』を問い直し、新しい“ケアの文化”を構築できないだろうか。こうした考えから、ケアする人のためのケアに取り組んでいます」
 
ケアの本質は相手の存在に真摯に向き合う姿勢
 播磨氏は“ケアの文化”を確立していくためには、ケアという行為を広い意味で捉えることが重要であると話す。介護や介助というイメージだけでケアを考えるのではなく、人の存在に根差したかかわりであるという視点が必要だという。
 「ケアの現場からは、より良いケアの技術やシステムを求めてさまざまな問題提起がされていますが、ケアの質を高めるためには、さらに大きな視野に立ってケアというものを考えていく必要があります。ケアの本質は、相手の存在に真摯に向き合う態度であると考えています。そこからケアする人とケアされる人とが、互いに支え合う関係が生まれる。こうしたケアの本質を捉えるところから、ケアする人のためのケアを考えなければならないのです」
 このような考えのもと、ケアする人のケア・サポートシステム研究委員会では、看護学や福祉はもちろん、ケアとは人の存在に根差したかかわりであるという観点から、社会学や倫理学、あるいは哲学的なアプローチでケアの問題を学際的に問い直し、その質を高めることを目指している。過去には、2回のフォーラムを開催して各方面の識者を招き、家族(当事者)、ボランティア、福祉職がともにケアの問題にアプローチする試みが行われた。
 「このようなケアの問い直しは、社会の質を変える可能性を持っていると考えています。本来、生と死の根本から生まれてくるケアは、病や老いに対する深い知識をもたらし、ケアするなかでの苦しみや悲しみを考えることは、その向こうにある未来の人間の可能性を考えることだからです」
 こう話したうえで同氏は、ケアに必要な要素として、感性、教養、技術の3つを挙げ、“ケアの3K”(表)と表現する。
 
表. ケアに必要な3つのK
1. 感性=直感的な能力
 言葉を超えて相手の痛みや苦しみ、悲しみを感じ取る力。それを磨くには、“生=命”に真摯に向き合う。そこから、どうすれば幸福になれるのかを深く考える。

2. 教養=心性
 単なる学力ではなく、人の心を育てるもの。古典や詩、絵画などに秘められたメンタリティーや死生感を学ぶことで心性を高め、ケアの在り方を変えていく。

3. 技術=寄り添う
 何かをしてあげる、ケアを提供するのではなく、苦しみや悲しみ、病苦を抱えている人たちの命、揺れ動いている“人”という存在に寄り添っていくこと。
 
 「“感性”とは、直感的な能力のことです。相手の痛みを感じ取ることのできる力といってもよいでしょう。“教養”とは、人の心がわかる心を育てることです。豊かな教養を身に付け、ケアを受ける人の心のありようをくみ取ることができれば、ケアは明らかに違ってきます。“技術”は生きる技法のことで、大切なのは、何かをしてあげるという気持ではなく、相手の痛みや苦しみ、悲しみを自分のものとして理解し、相手の命に寄り添っていくことです」
 
日々のケアでこわばった心と身体を解きほぐす
 播磨氏がケアの問題にかかわり始めたのは30年ほど前。ジャーナリストであった同氏は、取材を通してケアにかかわる社会的な問題を見据えるようになった。“ケアをする人のためのケア”という視点は、そこから生まれた。
 「これまでライフワークとしてケアというテーマに取り組んできましたが、日本の社会はようやくケアの時代を迎えたと感じています。そこで思うのは、ケアには“これが成功”ということはないということです。〈挫折〉・〈試行錯誤〉・〈挫折〉の連続で、多くの失敗が経験されます。人は非常に傷つきやすい存在ですから、そうしたときに落ち込んでいる人を力付けることが必要になるのです」
 それでは、ケアする人のためのケアはどのように行われるのだろうか。
 「重要なのは、ケアする人が日々のケアで負った心と身体のこわばりやこだわりを解きほぐすことです。それにはまず、その人の思いに耳を傾けることです」
 ケアをしているなかで、痛みや悲しみを感じている人の心身のこわばりを解きほぐすために、対話が重要であることを同氏は強調する。対話によって痛みや悲しみを共有してくれる人の存在を知り、自分がひとりではないという安心感で心身が癒される。
 「最も大切なのは本人によるセルフケアであり、そのサポートがケアする人のケアのメインとなります。芸術の力や対話によって、自己治癒能力を高めていくのです。人はとても傷つきやすい(vulnerable)存在ですが、もろく(fragile)はありません。ケアする人のケアとは、自分の力で再び立ち上がるきっかけをつくり、傷ついた人がもう一度“生き直す“ことをサポートすることです。ですから、ケアする人のケアは、癒しというよりも、互いに慈しむというサポートなのです」
 このような取り組みの一環として、同氏が理事長を務める(財)たんぽぽの家および芸術とヘルスケア協会では、2002年2月からアメリカ・アーツ・イン・ヘルスケア学会と“ケアする人のケア”日米共同プロジェクトを実施している。ここでは、両国のケアする人のケアの視察調査やフォーラムの開催、障害のあるダンサーの公演・ワークショップなどが行われる。
 「このようなプロジェクトをはじめ、今後はITを活用した対話の場づくり、人が持つ内発的な力を伸ばしていくコーチングの手法の普及などを通し、ケアする人のケアの理解をさらに広げていきたいと考えています」
 これまでは、介護や介助という意味ばかりが強調されてケアという言葉が使われてきた。しかし、同氏は「ケアとは深い広がりを持つ概念であり、人間本来の存在に向き合い、生の在り方を問い直すものです」と語る。







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