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武蔵と熊本城
武蔵の銅像
 
 熊本県には紹介したい観光資源が数多くありますが、来年の「NHK大河ドラマ」に決定している「宮本武蔵」を中心に進めます。
 武蔵が細川忠利の客分として熊本に来たのは57歳の時でありました。62歳で亡くなるまでの5年間を熊本で平穏に過ごしており、武蔵に関連する名所や遺品等も数多く残されております。特に武蔵の墓といわれているもので主なものが市内に3ヶ所あります。
 一つは武蔵塚公園にある「宮本武蔵の墓」で、死後も細川藩主を守りたいという遺言により、参勤交代の行列を見送る大津街道沿いのこの地に埋葬されたと伝えられており、公園には銅像も建立されております。
 二つめは「西の武蔵塚」と呼ばれているもので、武蔵の高弟でありました寺尾家の墓域(島崎町)にあります。死の直前に武蔵が寺尾求馬に「兵法35箇条」を、その兄孫之丞に「五輪書」を授けて一天一流を伝えたところから、愛弟子の墓域に葬られたという説が生まれたものです。
 三つめは細川家の菩提寺である泰勝寺の墓域(黒髪町)にあるもので、歴代の細川藩主やガラシャ夫人が葬られている廟の奥に、ひっそりと建てられている五輪塔で宮本武蔵の供養塔と呼ばれているものです。
 その他に八代城内(八代市)や岩戸観音(松尾町)等にも武蔵の墓と称されるものがあり、晩年の武蔵がいかに肥後の人々に慕われていたかその人徳が偲ばれます。
 市の西部にある金峰山の裏手には、武蔵が「五輪書」を書き上げたと言われる修練の地「霊岩洞」があります。
 五輪書は武蔵が60歳の時に書き綴ったものと言われており、地・水・火・風・空の5巻からなり、将の用兵の大道、剣の技法、合戦、他流の論評、自分の哲学など兵法二天一流の集大成であり、晩年には禅の境地に達したことが伺えます。また、武蔵は兵法の極意を極めたばかりでなく学術や、書画、工芸等にも優れた才能を発揮しております。武蔵が係わったと確認できる資料の9割は熊本にあるといわれており、関心のある方は来年10月から計画されている県立美術館、八代博物館、島田美術館の三館共同企画での「宮本武蔵展」を観て頂きたいと思います。
 この様な武蔵ゆかりの地を1日かけてゆっくり回り目を瞑って当時の武蔵を思い浮かべると、鳥肌の立つような凛とした思いがする場所もあり、個人的には観光地化して欲しくないような矛盾した気持ちになります。
 原作の宮本武蔵は巌流島の決闘で終わっており、今回のドラマで熊本がどのように描かれるのか、内容や人気次第ではありますが、熊本では大きな期待を持って放送開始を心待ちにしております。
 次に熊本のシンボル熊本城であります。ご存じの通り加藤清正が7年を費やして築城した天下の名城であり、加藤家から肥後54万石を引き継いだのが、武蔵を熊本に招いた細川家であります。
 残念ながら明治10年の西南の役で熊本城は炎上しましたが、宇土櫓や長塀は修理改築され熊本城全域が特別史跡に指定されており、従来からの建造物は国宝・重要文化財に指定されているところであります。
 熊本市においては、歴史と文化の象徴である熊本城を本格的に復元整備を進めておりますが、このための資金として目標15億円の募金「熊本城復元整備基金」を、国内外の個人・法人・団体に募っております。ユニークなのは1口城主として1万円以上寄付された方に「城主証」を発行し「城主芳名板」を天守閣に掲示しております。
 復元予定の建造物は戌亥櫓はじめ12の建造物で築城400年に当たる平成19年の完成を目指しております。質実にして剛健、難攻不落の天守閣、武者返しといわれる優美にして堅牢な石垣、築城時の城郭全体が往事の勇姿に蘇る日が楽しみであります。
 募金は現在5億円を超えており、9千名の城主が誕生しております。募金も平成19年3月まで受け付けているようです。
「ホー あたも早う城主になってはいよ」
 
九州運輸局 熊本運輸支局長
寺田 正昭
武蔵塚公園の墓







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