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長崎と海
 長崎の町づくりは、1571年ポルトガル貿易港としての開港によって始まり、それまで人口二千人足らずの漁村であった長崎は、以後海外との交易を通じて栄え、鎖国時代には唯一の海外貿易港として日本の近代化に大きな役割を果たしました。日本の西端にある天然の良港という自然条件によって、長崎の華やかな歴史が幕開けられた訳です。
 長崎の文化を「わからん文化」と比喩することがありますが、それは「和華蘭」、つまり和洋中が珍しい風に混ざり合い同化した独特の文化を意味します。確かに「街並み」、「お祭り」から「食」にいたるまで「ごちゃ混ぜ」だらけといえます。
 
 長崎は、鎖国の220年余の間、我が国唯一の独占的貿易港であり、幕府直轄の天領であった恩恵として、町民は労せずして「かまど銀」という貿易利金の配当を得るなど他国も羨む裕福な地域であったようです。従って、城下町などにある封建的、排他的な空気は感じられず穏和で、今も市民が内外問わずよそ者に対して大変親切で寛容であるといわれる由縁と思われます。開国後の長崎は独占貿易の特権を失いますが、その頃来航した英国人グラバー等の手によって、炭坑、造船、漁業といった産業が興され、その後の三菱の企業城下町としての繁栄に繋がっていきます。このように、長崎の歴史は、恵まれた環境、特権、外来部隊などの外的恩恵によって築かれたといえます。
 長崎県勢を全国比でみると、総面積1.2%、人口1.2%、GDP0.9%の弱小県ですが、島の数、海岸線の延長距離が全国一であるなど海と関わりの強い海洋県です。また、前述の歴史的背景から当地には全国有数の海事産業が育ち、長崎県の基幹産業は、(1)造船業(全国一位)(2)水産業(全国二位)(3)観光業となっています。しかし、長期不況下で水産業、地場中小造船業が不振にあえぐ中、長崎県は観光で地域経済の活性化を図る行動計画を策定して取り組んでいますが前途多難な状況です。
 長崎は、多面性があり面白い街ですが、今の観光形態が、見学型から「参加・体験型」に変化し「本物志向」になっているという観点から観察してみると、長崎の原点「海」に目を向ければ本物の観光資源が沢山あることに気づきます。 港内から眺める長崎の斜面市街美もさることながら、外海に出れば見られる海岸線や島々の自然美、澄んだ水などは感動ものです。また、例えば長崎港外には明治20年代から昭和40年代にかけて炭坑で栄えたいくつかの島があります。最も知られているのは端島(はしま)で、当初は洋上の一岩礁に過ぎなかったものが海底炭坑の採掘とともに島の周辺を埋め立て拡大形成されたもので、住宅群が遠目には軍艦のように映るため別名「軍艦島」と呼ばれています。日本初の鉄筋コンクリート団地としても有名で最盛期の昭和30年代には、居住者5300人以上で世界一の人口過密地域といわれ、昭和49年の閉山後は無人島になって高層団地群の廃墟が威容を誇るかのように林立し放置されています。長崎の海・島は知られざる海洋資源・史跡の宝庫といえます。
 
前九州運輸局 長崎海運支局長
小坂 光雄
長崎港







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