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計算された「突然」の退任?
 マハティールが、今回の党大会を退任発表の場に選んだ真の動機については知るよしもない。しかし、今回の突然の退任発表は結果的にマハティールが持つ強い求心力を党員と国民に再認識させることになった。マハティールは党幹部に後継問題で党内抗争を起こさないことを誓わせ、アブドゥラーを正統な後継者として認めさせることに成功した。さらに十六ヶ月間という長い準備期間を確保することができた。
 マハティールは当初、党大会での発表と同時に退任することを考えていたとされる。しかし、二十一年間もマレーシアを率いてきた有能なリーダーが、突然職務を投げ出すとは考えられない。マハティールが、一旦慰留を受け入れた上で十六ヶ月間の政権移譲スケジュールを設定することを念頭に、熟慮の上で「突然」の退任発表を行ったと考えるのは、あながちうがった見方であるとは言えないだろう。
 
継承される経済政策
 一九八一年の就任当時、原油や木材、ゴムやスズなどの一次産品の輸出に依存していたマレーシア経済を、世界でも有数の電子・電機産業の集積地に育て、目覚ましい経済発展に導いたマハティールの功績は大きい。マハティールの退任が、マレーシアの経済政策に影響を与えることを危惧する声もある。しかし、いくつかの理由から、マハティールの退任後に、マレーシアの政策が大きく変わることはないと考えられる。
 後継者に指名されたアブドゥラーはアンワール前副首相の解任に伴って副首相に抜擢された。それ以前は長く外相を務めており、マハティールの後継者候補とは目されていなかった。アブドゥラーは「ミスター・クリーン」と呼ばれる政治的な潔癖さと温厚な人柄で知られており、イスラームにも造詣が深い。一方で、その政治力は未知数で、UMNOおよび国民戦線を束ねるには現時点ではマハティールからの支持が不可欠である。
 アブドゥラー政権は、マハティール政権を否定するために成立するのではなく、その正統性はマハティール路線を継承することで担保されている。そうであるならば、マハティールの政策を根本的に覆すような政策が採用される可能性は当然低くなる。
 また、アブドゥラーは財務相や通産相など経済閣僚の経験がなく、経済政策に関して具体的な構想を持っている可能性は低い。したがって、就任後ただちに「アブドゥラー色」を打ち出した経済政策を実施するとは考えにくい。
 さらに、ユニークな発想で知られるマハティールも、政策の策定をすべて自身で行っている訳ではない。マレーシアの経済政策は、優秀な官僚やブレーンを含め、慎重に検討された上で策定されている。政策決定のシステムは当然継承され、マハティール政権のブレーンがアブドゥラー政権に引き継がれることは当然想定されるため、この点でも政策の劇的な変化は考えにくいだろう。
 
マレーシアの工業化を象徴する国民車プロトン・ウィラ
 
残された最大の課題
 マハティールは自ら退任を発表したものの、自身の仕事をすべてやり尽くしたという感覚はないだろう。退任発表後も、マハティールの言説は鋭くなる一方である。
 二〇〇二年七月二十九日、約三十年前に出版され、発禁となった自著「マレー・ジレンマ」になぞらえて、マハティールは「新しいマレー・ジレンマ」と題した講演を行った。その中で、マハティールは、マレーシアでは非常にデリケートな問題である「マレー人の特権」の見直しについて言及している。
 マレーシアでは、豊かな華人と貧しいマレー人の間の経済格差に政治的対立が加わり、一九六九年に多数の死傷者を出した暴動が発生している。以降、政府はブミプトラ政策(マレー人等に対する優遇政策)を進め、マレー人の経済的な地位の向上に努めてきた。これは所得格差の是正には大きな成果を収めたものの、マレー人を政府による援助に依存させ、自助努力を怠らせるという弊害をもたらしている。
 マハティールは上記の演説の中で、マレー人に対する政府の援助を「松葉杖」になぞらえた。松葉杖は使う者を必ず弱らせるため、自立しようと思えば、できるだけ早くそれを捨て去らねばならない。しかし、マレー人は「松葉杖」を自らの特別な地位の象徴として誇るようになっているという。マハティールはマレー人に欠けているのは勤勉さであり、それがあればブミプトラ政策の目標はとっくの昔に達成されているはずだと述べた。
 経済のグローバル化が進む中で、ブミプトラ政策をどのように扱ってゆくのかは、今後のマレーシア経済を左右する重要かつ難しい問題となっている。退任前後の演説における一段と厳しいマレー人への自己批判からは、マハティールが何の方向付けもしないまま、この問題を次期政権に引き継ぐとは思えない。
 
残る影響力
 マハティールは、退任後に上級相に就任したリー・クアン・ユー前シンガポール首相のような「院政」を敷くことを否定し、インタビューに対しても、「引退すると言えば、完全な引退を意味する」と答えている。しかし、一方では、引退後も特にUMNOのために力を尽くしたいとの意向を表明している。また、次回総選挙への出馬は不透明ながらも、首相退任後も国会議員の職にはとどまると発言している。
 このような発言からは、もし、党や政府から求められるのならば、協力することにはやぶさかでない、というマハティールの意向が読みとれる。もし、ポストが用意され、要請があれば、マハティールがそこに就任する可能性は残っていると言えるだろう。
 マハティールはこのままいけば、二〇〇三年末頃までには首相の座から退くことになる。しかし、しばらくは次期政権に対する影響力を保持するとみられ、本当の「マハティール後」が訪れるのはもう少し先になりそうである。マレーシアの政権移譲は、マハティール自身は否定しているものの、シンガポールに近いかたちになる可能性が高いと言える。







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