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II 「アメリカはイラクを攻撃するか」
佐々木良昭(東京財団 シニア・リサーチ・フェロー)
 おはようございます。お暑い中をお集まりくださいまして有難うございます。
 笹川理事長が東京財団で仕事をする機会をお与えくださいました。おかげさまで、中東の情勢を追いかけることができております。
 日下会長が、もうそろそろ、一度人様の前で話をしてみてはどうか、いいだろうということをおっしゃってくださいました。せっかくの機会をお与えいただきましたので、お話をさせていただくということになりました。よろしくお願いします。
 実は、七月十七日から二十九日まで、中東を回ってまいりました。最初に結論めいたことを申し上げますと、私のお会いしたすべてのアラブの友人たちは、アメリカは確実にイラクに対して攻撃をかけるというふうに言っていました。そして、中東に非常に長いこと駐在している日本人の方々の中で、はっきり言うと中東評論家よりもよほど詳しい人たちがたくさんいます。そういう人たちにも何人かお会いする機会を得ました。そして、お話を聞いてみると、彼らも同じように、アメリカはイラクに対して攻撃をかけるであろう。しかも、それは来年の一月とか二月ではなくて、もっと早い時期なのではないか。あるいは八月、九月に攻撃をすることも考えられるのではないかというふうな言い方をしていました。
 その中の一人は、通産の関連団体で「中東協力センター」というのがございますが、そこが毎年やっている「中東研修会」というのが、最後はウィーンで締めくくりをやるのですが、そこのパネラーの一人として出席される。「佐々木さん、そこで僕はイラク攻撃があるということを言うのだけれど、間に合いますかね。イラクに攻撃がかけられた後だと、私は講演のシナリオを全部書きかえないとならないんですよね」というふうに言われました。僕は、「いや大丈夫ですよ、ブッシュが僕のところにまだ電話してきていないので、その心配はないと思うから」と答えたら、彼は笑いながら「そうですか、それじゃ安心して今の原稿で講演をします」というふうに言っていました。
 私の結論を最初に申し上げさせていただきますと、案外、ない確率のほうが高いのではないか。今までの私ですと、戦争はありませんと断言をしたところから演説をスタートするのですが、今は所属団体の立場もございますので、ちょっとだけトーンダウンさせていただきますと、戦争はないのではないか。あるいは、言葉をもっとやわらげて言うのならば、非常に難しい状況に今あるのではないかと思います。
 先ほど申し上げました、アラブの人たちのほとんどは確実に戦争があるだろうと言う、その理由の最たるものは何だったのかというと、イラクの石油が目的だろうというふうに言っていました。
 私も、昨年の九月十一日にニューヨークのテロ事件が起こった後、確実にアフガンに対する攻撃をするであろう。これは既にオープンになっている情報がたくさんあります。ユノカル社というアメリカの石油関連の会社が、トルクメニスタンやカザフスタンの石油やガスをアフガン経由でパキスタンからインド洋に持ってくるという目的のために、実は一九九八年の段階から戦争を用意していたことは周知の事実です。今出ております『タイム』にも、その経緯がいろいろと書かれています。アラブの人たちにしてみれば、石油のためにアメリカはどんなことでもするのだという考え方が一般的だということです。
 
一 これまでの経緯
A 出ると負け戦争「サダトは和平のために戦争を決意」
 
 それでは、アラブの人たちが、どうしてそのような考え方をするようになったのかというのを、簡単にご説明申し上げておきます。
 一つは、まず中東のパレスチナの問題が、先ほど日下会長の口からも出ました。パレスチナ問題をどうするのか。あるいは、アラブとイスラエルとの関係をどうするのかということを、非常に真剣に、前向きに考えたのが、亡くなられたエジプトのサダト大統領だったのではないかと思います。彼は、不名誉な敗北を重ねてきたアラブ諸国が、イスラエルとの間に、対等の平和のための交渉をするためには、一度でもいいから五分五分の勝負をしなければならないと考えたのです。それで一九七三年十月に起こった戦争は、和平のための交渉を開くための戦争でした。実際に、サダト大統領は思い切ってエルサレムを訪問し、イスラエルとの間に平和な関係を構築しようと思いました。
 ところが、そのことが余りにも、その当時のアラブの人たちにとってみれば唐突な行為であったために、彼は凶弾によって倒されていくことになります。しかし、その後のアラブ世界の動きを見ておりますと、やはり彼が考えたような、イスラエルとのある種の共存、嫌いながらも一緒に生きていかなければならないという共生の考え方が広まりつつあったのではないかと思います。
 実際には、ユダヤ側、イスラエル側は、まだまだアラブ側に対する不信感が強かったということがあります。それからもう一つは、イスラエル側、ユダヤ人側にはマサダ・コンプレックスというものがあったのではないでしょうか。
 マサダ・コンプレックスというのは、紀元七三年ごろだったと思いますが、ローマ軍によって、シナイ半島のマサダの丘の上で、最終的には全員が自決をして終わるというユダヤの悲劇の物語です。その考え方が、今でもユダヤの多くの人たちの脳裏に刻み込まれている状況だと思います。まさにその権化のような人がシャロン、現在のイスラエル首相だと思います。
 もう一つの流れとしては、アラブとユダヤの不信感、つまりサダトが自分の生命を賭して行ったにもかかわらず、アラブとイスラエルの中ではいまだに敵対感情があるのだということです。







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