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神職講習
(財)関西交通経済研究センター 主任特別研究員
小村 和年
宮男へのあこがれ
 昨年八月、私は、国学院大学で、約一ヶ月間の神職(神主)養成講習を受けた。
 この講習を受けたいという発願は、約三十年前の学生時代に遡る。安保騒動の真只中、私は、何かに引かれるように早朝の明治神宮に参拝した。欝蒼たる樹々に包まれた境内は、騒然とした東京の中にあってまるで別世界であった。特に心を惹かれたのは、作務衣をまとった人の参道を掃き清める姿であった。大きな竹箒でゆったりと玉砂利を掃く姿は、誰よりも敬慶に神様に仕えているように思われた。寺男があるなら宮男というものもあってよいはず。私は、娑婆でやるだけやったら、お宮の庭掃きをしながら靜に余生を過ごしたいと思った。
 
白衣着装
 講習日初日、五時起床、私は、三十年間の思いを胸に大学に赴いた。
 受講生の大半は社家(神社を守っている家)の子弟で、その殆どは、私には息子のような年代の学生であった。皆好青年ではあるが、遊びたい盛りを親に言われて仕方なしに来ているのがよく分かる。
 一通りのオリエンテーションの後、白衣、白袴のつけ方の指導があった。講習期間中はずっとこの服装とのこと、神様に仕えるのであるから美しく着装せよとのことであるが、やってみるとこれがなかなか難しい。
 ようやくのことで皆が白衣姿となり、開講奉告祭(開講を神様に申上げる神事)のため神殿前に整列することとなった。社家の子も着たことがないのか皆貸し衣装屋から出てきたようにぎこちない。その中に、いかにもつまらなそうな顔をし、それにしても締りのない若者がいた。よく見ると白衣の上から襦袢を着ている。本人は勿論、誰も気がつかない。もしかしたらこの青年は、一か月間この格好を続けるのだろうか等と、厳粛な神事を前に、私は三十年間の肩の力が抜ける思いで見守った。
 手水を使い、いよいよ鳥居をくぐる直前、血相を変えた大学の職員がその若者に走り寄ってきた。何か言いながら物かげに連れて行く、しばらくして出て来たときには何の面白味もなくなっていた。私は、ほっとしたような、がっかりしたような気分で鳥居をくぐった。
 
筆者(さまになっているでしょう)
 
朝拝、夕拝
 毎日の日課は、朝の神拝行事から始まる。八時十分に太鼓が鳴り、神殿の前に整列する。神前は階位の上級者から並ぶので、私は、拝殿の遙か後方、炎天下の玉砂利の上となった。二百五十人が手水を使って整列するには相当の時間がかかる。早く入った者はその間、鎮魂(魂=心を鎮める行)を行う。これが結構きつかったが、私は、講義を聴くよりも行(ぎょう)のやり方を学びたかったので努めて早く入った。真夏の八時過ぎは既に日は強く、玉砂利は焼け、全員が整列する頃には、白衣の下は汗がたらたらと流れていた。整列はいつも斜め前の茶髪の青年が入ってくると完了した。
 朝の神拝行事は、指導者に従い、約三十分かけて祝詞(のりと)を四本奏上、明治天皇御製奉唱等を行う。私は、人前で演説することになるかもしれない将来に備え、目一杯の大声で祝詞を上げたので、朝拝が終わると、襦袢、白衣、袴まで汗でずぶ濡れになっていた。成程人間の身体は水分でできているものと実感した。
 
夕拝整列前(できるだけ後から入りたい)
 
 講義は冷房のきいた教室で行われるので、今度は濡れた衣装で身体が冷えてくる。私は休憩時間には、陽の当たるところへ出て、甲羅干しならぬ白衣干しをして身体を暖めた。
 講義が終わると(午後四時)夕拝である。夕拝とはいうものの陽はまだ高く、玉砂利は日中の強い陽射しを受けて、石焼芋ができるのではないかと思える程に熱くなっていた。鎮魂に入ったとたんに汗が吹き出してきて、茶髪の入ってくるまでの時間が長く感ぜられる。手順は朝と同じで、終わると再び白衣等はずぶ濡れになっていた。
 
祭式試験
 講義は、古事記、神典、祝詞作文等楽しいものばかりであったが、唯一苦しんだのは、神社祭式(神社において神事を行うための作法)の習得であった。祭式の講義は、神殿を模して作られた教室で、すべて正座で行われる(建前)。
 神前では、起居進退驚く程細かく作法が決められている。講習の主目的はこの習得にあり、他の学課はともかく、祭式の試験に合格しなければ修了証は出さないとのこと。(従って免状は貰えない)。先生方も特に熱心かつ厳しく、一つひとつの行事作法、神事の進行等細かく教えて下さるがなかなか覚えられない。
 我々は、十分な習得のできないまま試験日を迎えることになった。試験は、十人の班員が試験官の前でくじ引きをして役を決め、約一時間かかる神事を肅々と進めるという形式で行われる。宮司などの大役が当たると大変であるが、小役が当たるといくつもの役をこなさなければならず、出番のタイミングを間違えると神事を中断させてしまう。(神事の中断は大減点)
 この頃になると受験生に不思議な一体感が生まれ、試験中に他班の見学者が、マニュアルを見ながら、試験官に見つからないように、目配せ(めくばせ)、手まねで合図を送ってくれる。
 我班の神事は、入場、着座から修祓(しゅばつ)(お祓い(おはらい))、開扉(神殿の扉を開ける)、献餞(けんせん)(お供え)、宮司の祝詞奏上と予想外のスムーズさで進行した。うまくいくと皆が思った。
 ところが、献幣使(けんぺいし)(神社本庁からの使節)が祝詞を奏上するというクライマックスに、この大役が動こうとしない。私が目配せすると、この青年、顔が緊張で青ざめている。祝詞をよむジェスチャーをすると、あわてて起ち上がったが二、三歩よろけるとひっくり返ってしまった。「そのまま!」という試験官の大音声。大中断である。堅い板の間に、三十分間も真面目に正座していたため、出番がきたときには、頭は真白、足はしびれて感覚を失っていたらしい。五分間の中断の後再開された。大失態はあったが、宮司役を務めた九州の由緒ある神社の娘さんの活躍もあって我班は全員が合格した。
 一ヶ月後、神社本庁より、「直階を授与する」と言う免状が届いた。思いの外の感慨であった。現在、私は、地元の神社の氏子青年會に入れて頂き、将来の宮男に備えている。
 
九州の由緒ある神社の姉妹(我班は、この二人に救われる)
 
氏子青年会(結成の時は、皆青年でした)







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