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1997年11月号 『中央公論』
戦略的朝鮮半島論議のすすめ
重村智計(しげむら としみつ)
 
 日米安保条約に基づく防衛協力の指針(ガイドライン)の見直し論議に、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は激しく反発している。これに関連して、自民党の幹部を名指しで批判もした。ガイドラインについて北朝鮮では「日米韓の北への戦争の準備」との誤った判断が、説得力を持ちだしている。この結果、一時の米朝関係改善推進の熱が下がり、中国との関係強化が目立つようになっている。香港返還の実現と、ガイドラインをめぐる日米の駆け引きが、朝鮮半島の新たなパワーゲームを本格化させた。平壌と周辺諸国で何が起きているのか、明らかにしたい。
党総書記への就任
 九月末に、北朝鮮は金正日書記の党総書記推戴を内外に公にした。党代表者会議が開催される見通しだ。北朝鮮の労働党規約によると、党総書記の選出は党中央委総会で行なわれる。
 大々的に行なうのなら、党大会を開くこともできる。党代表者会議は、党大会と中央委総会の中間に位置する規模の大会である。党大会に準ずる規模で、総書記就任を祝いたいとの意向が読み取れる。本来なら、党大会を開きたいところだが、そのための準備には時間がかかる。また、新しい経済計画を発表しなければならない。党大会開催にはなお条件が整っていないため、党代表者会議での選出を決めたのであろう。
 党代表者会議が開催されれば、金正日書記が党総書記に選出されることになる。金正日書記が、公式に実権を握るわけだ。名実共に、後継者として登場することになるのである。
 実は、公式発表の約一ヵ月前に、党代表者会議の開催を北朝鮮で確認した外国人がいた。朝鮮戦争の際に行方不明になった米兵の捜索のため、北朝鮮の各地を回った米代表団の一行が、こうした事実を聞いていたのだった。彼らは、ほとんどがアメリカの軍人たちであった。彼ら自身は、自分たちが見聞きした情報の重大さに気がつかなかったが、米政府の担当者は彼らの報告に興奮した。彼らがもたらした写真が国務省当局者の注意を引いたのだ。
 国務省の専門家はその写真の中に、以前とはまったく違うものを見つけたのだった。ハングルで「金正日同志の周りに団結しよう」と書かれたスローガンをはじめ、金日成主席の肖像画を描いた看板が、新しく塗り変えられていた。しかも、「金正日同志」と書かれた同じ看板を以前の写真と比べると、驚くべき事実が明らかになった。以前は「金日成主席」と書かれていたものであった。看板が書き替えられたのは、明らかだった。
 三年前に金日成主席が死去して以来、スローガンや看板が一斉に書き替えられたのは初めてであった。ところが、平壌ではこうした様子はまったく見られなかった。地方での準備を進め、準備がすべて整ったところで平壌の看板やスローガンを書き替える計画が読み取れた。平壌には、外国人が多く出入りするため、こうした情報が漏れやすい。このため、平壌の準備は最後にしたと国務省の当局者は判断した。
 こればかりではなく、もっと興味を引く報告もあった。平壌市内の名所を見物した際に、記念碑の案内人が英語で「テン・テンには、将軍が党総書記に選出される」と、言ったのである。「テン・テン」とは何かと聞くと、隠すような様子も見せず「十月十日の労働党創建記念日だ」と答えた。そんなことをしゃべってもいいのか、とアメリカ人のほうが驚いた様子を見せると、平然と「皆知っていることですよ」と言うのだった。
米政府の無知と失敗
 この遺骨捜索団は、アメリカの軍人が中心になっていることもあって、北朝鮮の人民軍の軍人が同行し案内した。この際に彼らは、日米のガイドライン見直しを「戦争の準備」と激しく非難した。こうした発言から、軍部と北朝鮮外務省が、対米外交をめぐり激しい綱引きを繰り返している事実が読み取れたという。
 北朝鮮は、冷戦崩壊後アメリカとの関係改善と、日朝正常化促進を外交の目標にしてきた。中ソ両国が、北朝鮮を捨てて韓国と外交関係を樹立したためである。中国もロシアも信用できないという思いが、日米との関係改善に走らせた。北朝鮮には、アメリカとの関係が改善すれば、日本はあわててついてくるという判断があった。この北朝鮮の外交戦略に、変化が見られる。中国が、「金正日体制を崩壊させない政策」に本格的に乗り出したからだ。そして、しだいに北朝鮮への強硬策に向かうアメリカの対応が、結果として中朝を関係強化に向かわせている。
 北朝鮮の張承吉・駐エジプト大使が、八月末にアメリカに亡命した。アメリカの『ワシントン・ポスト』紙は、いち早く「CIA(米中央情報局)の数年前からの工作で、亡命を成功させた」と報じた。また、張大使が北朝鮮のミサイル輪出について、詳細な情報を持っているとも伝えた。しかし情報当局者によると、事実は工作というよりは、大使のほうからの受けいれ要請であったという。報道は、事実とはやや違うという。
 この『ワシントン・ポスト』紙の報道が、CIAのリークによるものであるのは、明らかであった。冷戦終了後、ワシントンでは情報機関の統合論や、CIA予算削減の声が高まり、CIAはその存在意義を誇示する必要があった。だから、「CIAの工作成功」と書かせたのである。
 『ワシントン・ポスト』紙がCIAの工作だと報じた直後に、米国務省の北朝鮮担当者の中には「まずいことになる」との声があがった。北朝鮮の外務省は、平壌で極めて弱い立場に立たされていたからである。軍部からは、アメリカに譲歩し過ぎると非難され、党の競合機関からは常に足を引っ張られていた。こうした事実を知る米外交官は、極めて限られた人々であった。
 そのためか、米国務省は事件直後に「アメリカヘの亡命」を公式に明らかにしたのだった。こうした対応をすれば、北朝鮮内部でどのような反応が起きるかを、まったく計算できなかったというしかないだろう。
 もし、亡命が単に張大使の希望と行動で行なわれたのなら、北朝鮮内部でも「しかたがない」と結論づけざるを得ない。内部的な責任と問題になるからだ。ところが、アメリカの情報機関の工作となると、事情が違ってくる。北朝鮮内部でアメリカへの批判と警戒の声が、説得力を持つ。その結果、アメリカとの交渉を推進する外務省と担当外交官の立場が極めて悪くなる。そればかりか、外務省とアメリカ担当の外交官は、CIAの手先ではないかとの疑いの目を向けられる。
「工作成功」の代償
 CIAのリークと対応は、こうした北朝鮮の内部事情を知らなかった事実を物語っている。ClA工作であったと書かせなければ、北朝鮮外務省の対米外交に大きな影響を及ぼすことは、なかったであろう。CIAのやり方は、米朝関係の改善を妨害しようとしたのではないかと疑われても、しかたのないものであった。
 この結果、北朝鮮は八月末に予定されていたアメリカとの、ミサイル交渉を中断した。朝鮮問題四者会談(米国、中国と韓国、北朝鮮)の予備会談も決裂した。
 しかし、四者会談予備会談の再開はかなり難しいといっていいだろう。北朝鮮の目的は、コメ支援を獲得することだからだ。金正日書記の総書記就任と、国家主席就任の際の国民へのお祝い品として、コメが必要なのである。日本が、コメ支援を行なうことは可能だとの方針を公表すれば、事態は進展するだろう。だが、韓国とアメリカ政府から強い正式の要請がないかぎり、日本としてもそうした方針は明らかにできない。
 北朝鮮内部では、張大使亡命工作事件をきっかけに、これまでの対米関係改善推進外交にブレーキをかけはじめている。全面的な対米関係改善よりも、選択的な対米合意を選ぶ可能性が高い。たとえば、平壌とワシントンへの米朝の連絡事務所設置問題は、合意通りならすでに実現していてもいいはずなのである。北朝鮮は「資金不足」を理由に、ワシントンでの事務所さがしをやめている。このため米政府は、向こう三年はどうも連絡事務所設置は難しいとの判断に傾いている。
 北朝鮮が連絡事務所設置に消極的なのは、保安上の理由のためとアメリカ政府はみている。アメリカの連絡事務所が開設されれば、北朝鮮の内部情報が漏れるかもしれない。また、人権問題についての情報が収集され、アメリカの連絡事務所への亡命事件も起きるかもしれない。こうした判断から、連絡事務所設置で生まれる利益よりも損失のほうが大きいと、北朝鮮は判断したのではないだろうか。
強硬策へ向かうワシントン
 北朝鮮は今年春から、日本のガイドライン見直しに、非難の姿勢を強めている。軍部を中心とした勢力は、日米が共同して北朝鮮を崩壊させようとしている、との主張を強めている。その中で、香港の『ファーイースタン・エコノミック・レビュー』誌(六月二十六日号)が掲載した国防総省幹部とのインタビュー記事が、北朝鮮軍部を強く刺激したという。このインタビューでの発言が、アメリカの本音だとの主張が平壌では信じられるようになっているという。
 国防総省幹部は、このインタビューで名前を明かさないことを理由に、北朝鮮の崩壊の可能性と軍事的行動にアメリカが対応策を練りつつある事実を、明らかにしたのだった。ワシントンではいま、しだいに北朝鮮への強硬政策支持のムードが広がりつつある。国務省では、スタンリー・ロス氏が新たに国務副次官補に任命された。彼は、かつてスティーブン・ソラーズ元下院外交小委委員長の補佐官を務め、共に北朝鮮を訪問したことがある。この際に、極めて冷たい扱いを受けた経験が北朝鮮に対する厳しい姿勢につながっているようである。
 これまでのワシントンの北朝鮮政策をめぐる勢力図は、国務省が穏健派で、国防総省とCIA、ホワイトハウスが強硬派といわれてきた。国務省は、チャック・カートマン副次官補を中心に北朝鮮とは交渉を通じ、妥協を探るという政策をとってきた。カートマン副次官補は、韓国課長の後で駐韓米大使館の公使を務めるなど、韓国通として知られている。
 ところで、日本の新聞は韓国課長や日本課長を、日本部長や韓国部長と表記することがある。これは、間違いである。記事を大きくしたい日本の特派員が、課長よりは部長のほうがいいと考えて「コリア・デスク」「ジャパン・デスク」と呼ばれる役職を部長と呼んでいるに過ぎない。日本の外務省の役職に直せば「課長」である。しかし、国務省の日本課に行くと漢字で「日本部」と書いたやや大きな表札がかかっている。これは国務省の役人が、日本人に自分を少しでも大物に見せようとしたジョークである。ついでながら、次官補は日本の局長に当たる。副次官補は、局の審議官か参事官である。
 カートマン副次官補に対しては、国防総省やホワイトハウス内で「北朝鮮に甘すぎる」との批判が相次いだ。その理由は、当初四者会談実現のために北朝鮮への食糧支援を行なったが、北朝鮮は四者会談に応じなかった。だから、カートマン副次官補は北朝鮮の扱い方を知らない、というものであった。カートマン副次官補のやり方をみると、確かに北朝鮮との駆け引きにあまり慣れていないようである。
 その意味では、ワシントンの強硬派の主張にも理由はある。しかし、単に強硬な対応に出れば北朝鮮は折れるというものでもない。北朝鮮には、北朝鮮の内部事情があることを理解したうえで対応しないと、間違えてしまう。
 その意味では、カートマン副次官補の基本姿勢は決して問違いではない。ただ、北朝鮮が簡単に四者会談に応じてしまうと考えたのは、間違いであった。北朝鮮には、四者会談には応じられない事情と、彼らなりの理屈がある。こうした事情を北朝鮮自ら整理するのには、時間がかかるのである。
 ともかく、国務省内でカートマン副次官補とロス次官補の北朝鮮に対する姿勢と考え方の違いは、頂点に達しつつあるといわれる。カートマン副次官補は、国務省内でも孤立しつつあり、近く更迭されるのではないかとの観測も流れている。それに拍車をかけているのが、韓国側のカートマン批判である。北朝鮮に弱腰過ぎる、というのだ。
 韓国は当初、カートマン副次官補の就任を歓迎した。韓国勤務の外交官が、国務副次官補の職につくのは最近では異例の人事であったからだ。多くは、日本専門の外交官がそのポストを占めてきた。また、韓国勤務の経験があるから、韓国に好意的な対応をするだろうと期待した。ところが、この期待が少しでも裏切られると、すぐに批判を始めたのであった。
 これは、韓国人や韓国政府に特有の、ひいきの引き倒し的行動である。韓国勤務の経験のある外交官が、韓国の意見ばかりに耳を傾ければ、国務省の中でむしろ批判されかねないという相手の事情がわからない。相手が、完全に韓国よりの対応をしてくれないと、満足しない極めてナイーブな対応である。「韓国に勤務した時には、あんなに面倒をみたのに」という感情が、こうした対応につながる。実は、韓国側も北朝鮮の事情をわかっていないという事実に、気づいていないのだ。
 これに加え、韓国の当局者の中にはアメリカの外交対応を公の席でとうとうと非難し、アメリカは信頼できないと叫ぶ行動も見られるという。こうした韓国側の言動やナイーブさが、国務省内に韓国へのいやけを生み、米韓関係を緊張させる原因になっている。国務省の外交官の間で「日本人は、あれほどひどくないよな」という話が交わされたりもした。
 このアメリカの外交官の態度も身勝手といえば身勝手である。韓国人と日本人の行動や文化の違いも理解せずに、朝鮮半島問題に取り組もうとした。北朝鮮との交渉の際も、国務省の外交官は日本との交渉のように甘く考えて臨んだ結果、予想外の反撃を受け失敗したこともある。ここでも「日本人ならあんな対応はしないのに」という言葉が聞かれた。
 ともかく、ワシントンの穏健派も強硬派も、朝鮮人のものの考え方や行動様式を理解できずに、対応策を練ろうとしているのである。また、北朝鮮内部の事情についての把握も、極めて弱い。
平壌の内部事情
 それでは、北朝鮮内部では何が起きているのか。内部の対立と抗争は、どうなっているのだろうか。
 まず、はっきりと頭に入れておいてほしいのは、北朝鮮にはハト派とタカ派といった対立は、存在しないという事実である。存在するのは、金正日書記に対する忠誠競争である。その忠誠競争の過程で、対抗上あるときはハト派的な立場に立ち、ある時はタカ派的な言動を取っているにすぎないのである。信念や政策としての、ハト派とタカ派の対立はない、といっていい。忠誠競争の中での、極めて属人的な対立なのである。
 平壌でよく知られている対立は、まず党と政府の部門間の対立である。政府機関である外務省と、党の国際部や統一戦線部との対立がある。これは、属人的には金容淳書記支持か、アンチ金容淳書記かの対立であるといわれる。金永南外相をはじめ政府の経済関係の要人の多くは、アンチ金容淳書記の立場を取っている模様だ。
 その理由について北朝鮮の高官は、金容淳書記がすべての問題に口をはさもうとし、失敗するとすぐに逃げ出すが、成功すると自分の成果として報告するためと主張している。北朝鮮の対外経済関係の幹部は、在日朝鮮人の幹部に最近「人に苦労を押しつけて、成果だけ盗み取ろうとする党幹部がいる」と、あからさまに金容淳書記批判を語ったという。それでも、なお金容淳書記が大きな影響力を維持しているのは、金正日書記の妹の金敬姫女史に近いからだというのが、平壌の内外で流れている情報である。
 金容淳書記は、統一戦線部担当の書記である。銃一戦線部は、韓国へのスパイ工作から南北対話まで、広範な統一事業を担当している。その一環として、アメリカと日本に対する工作も、統一戦線部の担当になる。当然のことながら、対米外交と対日外交にも手も口も出すことになる。日本の政治家が、北朝鮮を訪問すると金容淳書記に会うのも、対日政策がなお統一事業の工作の一部と位置づけられているためである。
 だから、外務省の対アメリカ外交と対日外交政策に、金容淳書記が口をさしはさめることになる。というよりも、どちらが成果をあげるかの競合関係にあることになる。簡単に言えば、外務省の外交が失敗すれば金容淳書記の立場が強化され、出番が増えることになる。この結果、金永南外相とはまともに口も利かないといわれるほどの関係になっているという。
 このため、北朝鮮外務省の招待で訪問した人々は、金容淳書記など党の要人には、まず会えない。また、逆に金容淳書記が委員長を務めるアジア太平洋平和委員会の招待で平壌入りした外国人が、外務省の高官に会うのもほぼ不可能である。
 ともかく、北朝鮮の対日外交や外交政策は、一致団結しているように見えるが、実は内部ではかなり人間的な忠誠競争と対立を繰り広げているのである。その一端を露呈したのが、自民党の山崎拓政調会長と加藤紘一幹事長名指しの、激しい批判であった。二人は、自民党内で北朝鮮への食糧支援を主張し、非難もあびた政治家であった。それをなぜ、名指しで「アメリカの召使い」とまで口汚くののしったのか。
 実は、この背景にあったのも、忠誠競争の成果争いであった。北朝鮮ではいま、外国からコメと資金を導入した人物が英雄として評価される風潮がある。このため、日本からコメを引き出せば、大きな成果として認められるわけだ。今年の初めから、平壌では「日本からコメ百万トンを持って来る」と主張する人たちがいたという。そのために、与党訪朝団を呼ぶという計画が練られた。
 与党訪朝団を平壌に招き、共同声明で「百万トンのコメを支援する」と約束させるか、悪くても「与党三党はコメの継続支援に努力する」との表現を入れさせれば、大成功したことになる。この約束をとりつけた金容淳書記らは、政府機関に「約束をとりつけたから、日本政府からコメをもらえ」と、通告することになる。交渉に失敗しても、責任は交渉に当たった政府機関が取るのであり、金容淳書記らには責任はない。
 これは、日本ではおかしなことだが、北朝鮮では別に変ではないのである。北朝鮮は、党が政府を指導することになっている。だから、日本や欧米のように党が政府を指導できない制度を理解できない。この誤解を利用して、成果をあげる手法がこれまでも何度も繰り返されてきた。党が合意したのだから、政府が従うはずだという説明である。こうして、政党間の合意をまとめた人物が成果をあげたことを誇示する。誰も、民間の政党間の合意なんか意味がない、とは北朝鮮では言えないのだ。だから、交渉がまとまらなければ交渉に当たった人物の責任にされる。党の合意に政府が従うわけがないといっても、北朝鮮では説得力がないのである。
 この同じ手口を、コメ支援獲得で今年もまた使おうとしたのである。ところが、これがうまくいかなかった。理由はいろいろあるが、日本の政治と世論の変化を北朝鮮に正直に説明してあげる人がいなかったからである。
 結局、与党訪朝団の実現とコメの日本からの導入に失敗した。これでは、競争勢力に批判され責在を取らされかねない。この責任を回避するために取られたのが、山崎拓政調会長への激しい非難であったとみるべきであろう。すべては、山崎会長が悪かったという処理をしたのである。このために、山崎会長はアメリカの手先であるとの理屈を展開したのだった。その後には、ガイドラインをめぐる発言に関連して、加藤紘一幹事長も非難したのだった。
 与党訪朝団が実現しなかったのは、二重外交の危険に対する日本での批判が高まった結果である。また、統一戦線部が対日政策に乗り出すことへの批判と警戒が、広がったためでもある。はっきり言うなら、時代が変わったのである。それにもかかわらず、北朝鮮は以前と同じ対応を繰り返したのが問題であった。外交は、外務省と政府の交渉に一本化する時代を迎えたのである。これは、北朝鮮にはなお理解できない現実であるようだ。外交よりも、工作が優先する限り日朝関係の未来は暗いのである。
中国のパワーゲーム本格復帰
 北朝鮮の中での最大の圧力団体は、人民軍である。人民軍は、あくまでも主体思想と故金日成主席の教えをなお堅持する最大の集団である。そして、強い発言力が忠誠競争に大きな影響を与えている。軍部が、金正日体制を支えている最大の要素である。これを最もよく理解しているのは、中国である。このため、中国の食糧支援の多くは軍部に回されているという。北朝鮮を知る中国ならではの対応である。
 話をもう一度、遺骨捜索の米代表団に戻したい。米軍人らの代表団が、平壌で驚いたことがもう一つあった。平壌最大の高級ホテルの高麗ホテルが、中国人で一杯であったことだ。これほど多くの中国人を、平壌で見たことはなかった。観光旅行団のほかに、一見してビジネスとわかる集団がいた。声をかけると、民間の農業視察団であるという。
 しかし、どうみても民間の視察団とは思えない。さらに問いただすと、北朝鮮を刺激しないために、民間の視察団の形式を取ったという。実は、中国政府と党の代表団であった。この代表団は、北朝鮮の農業当局に主体思想の農業への適用をやめるよう、強く求めるために派遺されたという。農業政策の改革を、中国は北朝鮮に強く求めていたのである。
 農業の生産さえ回復すれば、金正日体制の安定は保障される、と中国は考えている。やがて農業生産は、回復するというのが中国の見通しである。すでに、北朝鮮も農業政策の手直しに着手しているからだ。ことしの北朝鮮の農業生産について、アメリカの農務省は偵察衛星の写真分析から、昨年と同じ二七〇万トンと推測している。だが、アメリカと中国の専門家は、来年からは生産が回復に向かう可能性があると、予測している。北朝鮮が、本格的に農業改革に乗り出しているからだ。
 ところで、アメリカの代表団と平壌で会った中国人は、衝撃的な事実をさらに明らかにした。この視察団は、北朝鮮訪問を終えて中朝国境の町の丹東に向かうという。丹東では、中国の朝鮮問題専門家が集まり「金正日体制を崩壊させないための対応策」を話し合う会議が開かれるというのであった。これは、香港返還を実現した中国が北朝鮮支援と崩壊の阻止に、本格的に乗り出したことを意味している。
 この中国人はまた、中国の食糧支援が北朝鮮の人民軍を中心に行なわれている事実を、明らかにした。この中国の対応は、みごとな計算というほかはない。北朝鮮の指導層と軍の中国への信頼を高めたはずだからだ。最後に頼れるのは中国である、との感情を生みだしただろう。
 中国のこうした対応は、日本や韓国、アメリカが食糧支援を出し渋る状況を利用し、北朝鮮への中国の影響力を拡大しようとする戦略である。
 この中国の対応と、アメリカ国防総省幹部の発言が、まったく正反対である事実に気がついただろうか。アメリカと中国は、まったく正反対の北朝鮮政策に踏み出したことになるのである。アメリカは崩壊への対応を重視し、中国は「崩壊させない」政策を推進しようとしている。中国は、一九九二年の韓国との国交正常化以来、北朝鮮との関係は悪化していた。それが、最近になってようやく回復の兆しを見せはじめている。
 四者会談の予備会談への中国の参加は、中国が北朝鮮をめぐる朝鮮半島のパワーゲームに、本格的に復帰したことを意味する。さらに、中国と北朝鮮を接近させているのは、日本のガイドラインの見直しである。
 日本の政治家が、ガイドライン見直しについて「朝鮮半島の危機に対応している」「台湾海峡も含まれる」と発言したことに、中国と北朝鮮は共に反発している。この中朝の対応は、ガイドラインに対して中国と北朝鮮が表面上は利害を一致させていることになる。こうした状況を、中国がうまく利用しないはずはないわけだ。もちろん、ガイドライン見直しに対する認識は、中国と北朝鮮でやや異なってはいる。だが、ガイドライン見直しに対する警戒の姿勢は共通している。
 とすると、ガイドラインの見直しが中国と北朝鮮の関係回復と接近を促した、といずれ歴史的には評価されることになるのではないだろうか。そして、朝鮮半島のパワーゲームに中国が本格復帰するきっかけを作った、といわれることになるだろう。これは、ガイドライン見直しが周辺の戦略関係にどのような影響を及ぼすかを十分に計算せずに、日本の政治家が国内政治の視点からの発言を繰り返したためでもある。
 ガイドライン見直しの最大の対象が、中国であるのは公然の秘密である。これは、いずれ中国が軍事大国に成長し、周辺地域への脅威になることを前提に、そのための対応を事前にはっきりしておきたいという、アメリカの強い意向が反映されている。
乱気流の朝鮮半島の国際政治
 朝鮮半島に新たなパワーゲームをもたらしたのは、(1)中朝の関係回復、(2)アメリカの強硬政策、(3)金正日書記の総書記就任、(4)韓国の大統領選挙の混迷、(5)日本のガイドライン見直し、(6)外交カードを失う北朝鮮の事情――である。
 ガイドラインの見直しは、アメリカと日本が「北朝鮮崩壊」を含む朝鮮半島有事を視野に置いたのに対し、中国に「金正日体制崩壊阻止」の反対の戦略を選ばせた。中国は、北朝鮮を崩壊させないための対応に取り組んだことになる。これについては、中国が北朝鮮崩壊の危険を憂慮しはじめたため、との指摘もある。
 しかし、中国が崩壊阻止に本格的に乗り出すのなら、北朝鮮が簡単に崩壊することはない。歴史的、地理的に中国の支持こそが、北朝鮮の運命を左右する最大の要素だからだ。また、中国の意向を無視して北朝鮮が軍事行動に出るわけにはいかないことになる。それよりも、アメリカと韓国の軍事的脅威に対抗するために、中国との協力関係を強化せざるを得なくなる。
 北朝鮮は、これまで中国への反発から、アメリカとの関係改善に力を入れてきた。経済的にも、軍事的にもアメリカの影響力を導入することで、「国体」を維持できると考えたからだ。しかし、北朝鮮国内での経済部門と軍事部門の見解の差が広がりはじめている。それに、党官僚の忠誠競争が加わる状況にある。経済を優先させれば、アメリカとの関係は不可欠だ。しかし、統一と国防問題を重視すると、中国という「戦略カード」が必要になる。
 北朝鮮にとって最大の悩みは、アメリカとの核開発の凍結合意後、「外交カード」を失ったことである。強力な「外交カード」を失った北朝鮮に、アメリカと韓国は「強硬姿勢で臨めば、譲歩する」との対応を取ろうとしている。
 これに対し、北朝鮮は中国傾斜を強めるだろうが、これにも限界がある。また、日朝正常化交渉などを進め、韓国とアメリカを牽制する外交も展開しよう。日米韓三国を競わせ、分断する戦略である。南北対話よりも、日朝正常化交渉再開を優先し、韓国とアメリカを揺さぶろうとするだろう。しかし、この戦略もかつてほど大きな効果をあげそうにはない。
 北朝鮮が外交面での主導権を握ろうとすれば、日米中韓にロシアを含めたパワーゲームを誘導するしかないだろう。特に、韓国の大統領選挙の混乱と、その後の政局混乱を予想して南北対話提案などの外交を展開しよう。韓国は、北朝鮮崩壊論と軟着陸論の間で政策が揺れている。北朝鮮は韓国の政策不安定と、世論の不一致を巧みに利用した外交を展開しようとするだろう。
 南北対話が再開され、日朝国交正常化交渉がまとまり、米朝の外交関係が正常化し、北朝鮮の農業生産が増加に向かうなどの条件がそろうまで、北朝鮮をめぐる新パワーゲームは続く。北朝鮮がそうした外交を展開し、日米中韓の政策と狙いが異なる限り避けられないのである。
 このパワーゲームの中で、日本に問われているのは、日本は朝鮮半島の当事者の信頼を獲得できるか、という課題である。中国の影響力が拡大した際には、朝鮮半島の当事者が中国と協力して日本に対抗するような戦略を取らないとは限らない。そうした選択をさせないために、朝鮮半島の人々の日本への信頼をどう勝ち取り、信頼関係を築けるかが重要な課題である。なによりも、日本は「朝鮮半島は日本にとって最も大切な戦略的隣人」との視点を基本に、一貫性ある対応を示していくべきである。
著者プロフィール
重村 智計(しげむら としみつ)
1945年生まれ。
早稲田大学卒業。
毎日新聞社ソウル特派員、ワシントン特派員、論説委員を経て拓殖大学教授。現在、早稲田大学教授。
 
 
 
 
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