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◆クリントン訪朝中止の理由
 オルブライト米国務長官の平壌訪問が失敗に終わった昨年末のワシントンでは、「金正日総書記は予想していた以上に、頭が切れる」(ビル・ドレナン)という声が聞かれた。この評価が「大統領が、軽い気持ちで訪朝したら国務長官の二の舞になる」との判断を生み、大統領の訪朝を中止に追い込んでしまった。
 何が、ワシントンの空気を変えたのか。最大の転換点は、昨年十月末であった。オルブライト国務長官が、平壌でマスゲームを金正日総書記と見物した直後から、アメリカの空気は一変したのだった。マスゲームを見た国務長官は、同行記者団に感想を求められ「amazing(驚いた、すばらしい)」と答えた。
 オルブライト長官の発言を、有力紙『ワシントン・ポスト』は激しく非難した。同紙は次のような社説を掲げたのだった(二〇〇〇年十月二十七日)。
 「訪朝した国務長官は、平壌で金正日総書記と共にマスゲームを見て『amazing』と言った。我々も、それには『amazing(驚愕)』である。だが、『amazing』の意味が国務長官とはまったく違う。
 ・・・オルブライト長官には、人権問題の専門家も同行したが、出番はなかった。・・・国務省の報告書は、北朝鮮について亡命者の射殺や拷問、不合理な長期収監などを明らかにしている。国務長官はこうした問題にまったく言及しなかった。これはアメリカの威信を損なうものである。もっと明確に人権問題について語るべきであった」
 この社説が、ワシントンの空気と政策を一変させた。『ワシントン・ポスト』の社説は、きわめて常識的な立場を強調したのである。北朝鮮に自由民主主義の重要さを伝える外交戦略を、求めたものであった。『ニューヨーク・タイムズ』や『ロサンゼルス・タイムズ』も、こぞってクリントン大統領の訪朝に反対の立場を明らかにした。これは、『ワシントン・ポスト』の社説に込められた価値観と外交戦略を、米国の新政権も受け入れざるをえないことを意味する。
 『ワシントン・ポスト』の社説の背後には、ワシントンのもうひとつの空気の変化があった。それは、南北首脳会談と金大中大統領への批判的な視点である。米マスコミは、金大中政権が李承晩大統領以来初の親米政権であることから、正面きっての批判を避けてきた。ところが、オルブライト長官の訪朝失敗直後から、金大中政権への批判的な視点や報道が見られるようになった。『ワシントン・ポスト』は、クリントン訪朝挫折を解説する記事の中で、太陽政策について「(韓国側には)ほとんど成果がない」と初めて指摘したのであった。
 オルブライト長官は、訪朝直後に朝鮮問題専門家を集め意見を求めたが、多くがクリントン訪朝に反対を表明した。また、民主党関係者に強い影響力を持つスタンフォード大学のマイケル・オクセンバーグ教授も、クリントン大統領に訪朝中止を求める書簡を送った。
 訪朝反対の理由は簡単である。オルブライト長官のマスゲーム見物は、当初の予定には入っていなかった。ところが、金正日総書記に求められ、見物にでかけたのである。そうであれば、クリントン大統領が訪朝した際にも、同じような事態が起きる可能性がある。故金日成主席と金正日総書記を称える予定外の行事に参加させられたらどうするのか。
 クリントン大統領が、なぜ北朝鮮を訪問する気になったのかについての理由は、なお明らかにされていない。中東和平の失敗が、新たな外交成果を必要としたのは間違いないとしても、それだけの理由では説得力がない。クリントン大統領の訪朝をめぐる議論の過程で、ワシントンの朝鮮問題専門家たちは金正日総書記は予想していた以上に頭が切れる人物ではないか、との評価を下した。
 
 
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