日本財団 図書館


◆マキアベリスト金正日の狙い
 ワシントンの朝鮮半島政策立案者や専門家の間で、密かに注目されている元韓国政府高官のA氏がいる。ペリー元国防長官が北朝鮮政策の見直しを明らかにした「ペリー報告書」をまとめる際に、A氏の意見も取り入れられたという。また、金正日総書記の訪中と南北首脳会談の実現、趙明禄国防副委員長の訪米を次々予言し、的中させた。アメリカ政府に、金容淳書記は実力者ではなく趙明禄国防副委員長こそ真の実力者であると進言し、趙明禄訪米を実現させた。
 米議会傘下の平和問題研究所客員研究員としてワシントンに滞在するA氏は、かつて韓国統一省の高官であったが、平和研究所のソロモン所長の要請に応じ渡米し、米国の北朝鮮政策の立案に寄与してきた。彼は、在韓米軍問題についての金正日総書記の戦略を「自主撤退論への転換」と見る報告を最近まとめている。この「自主撤退論」への転換は、マキアベリストとしての金正日総書記の思考と判断を十分に物語っている。また、クリントン訪朝をほぼ実現させかけた手腕は彼を「マキアベリスト」とみると理解できるのである。
 クリントン訪朝の可能性がマスコミをにぎわした昨年十月、ワシントンとモスクワ、それに北京の朝鮮問題専門家の間では「金正日総書記が南北首脳会談に応じた最大の目的は、クリントン訪朝の実現であった。自身の訪中も、プーチン大統領の訪朝もそのための仕掛けであった」との認識が広まった。
 ロシアの専門家によると、ロシア政府は昨年初めの金正日総書記からのプーチン大統領への度重なる訪朝要請を、朝露関係改善の強い希望と受け止めた。ところが、後になって考えてみるとクリントン大統領にプーチン訪朝をみせつけ、クリントン訪朝を促す道具に利用されたに過ぎなかったというのである。
 中国の専門家の判断は、さらに厳しい。金正日総書記の訪中も、クリントン訪朝を視野に入れたものだが、何よりもクリントン訪朝を実現し日本に「第二のニクソン・ショック」を与え、早期の日朝正常化を実現する作戦だったと指摘している。
 いろいろな「ニクソン・ショック」があるが、ここでいうのは一九七一年の米中和解のことである。これが、日中正常化を早めたとの理解だ。北朝鮮は、日本が「ニクソン・ショック」に弱いという教訓を中国から得たのか自ら判断したのかはともかく、やはり計算していたのは間違いないであろう。その証拠に、昨年末に北朝鮮を訪問した拓殖大学の同僚教授は、北朝鮮の関係者から日本の五〇万トンのコメ支援について「日本はあせっているからコメ支援をした」との発言を聞いている。ともかく、日本では「バスに乗り遅れる」との主張が生まれ、日朝早期正常化を求める声もあがったのだから、「ニクソン・ショック」外交は半ば成功したのである。こうしてみると、金正日総書記の対日政策は「ニクソン・ショック」戦略ということになる。そして、昨年の一連の北朝鮮外交は文字通り「マキアベリスト金正日」の面目躍如というべき戦略と手法の展開であった。
 「マキアベリスト」という言葉には、一般的には否定的な意味が込められている。マキアベリストには、「目的のためには手段を選ばない人」との意味がある。マキアベリがそうした記述を残しているのは間違いない。しかし、マキアベリの主張は当時の分裂したイタリアをどうしたら統一でき、外国の侵略を防げるかという問題に答えたものであった。マキアベリと金正日総書記の思いには共通するものがある。だが、庶民の悲惨な生活に心痛めたマキアベリの真意をどこまで理解しているかは、なお疑問である。マキアベリが「君主論」と「政略論」で述べた戦略を、金正日総書記の政策と照らし合わせると、あまりの類似性に驚かされる(以下『世界の名著』「マキアヴェリ」中央公論新社刊より)。
 
▼国家のなかで、または外部から、つまり、その原因が内部的であろうと、あるいは外部的な誘引によるものであろうと、非常の事態がもちあがり、それが誰の目にもはっきりと脅威と映ずるほど大きなものとなってきたばあい、それをなんでもかでも消してしまおうとあせるよりは、うまくあしらっておいて時間をかせぐほうが、ずっと確実なやり方だと思われるのである。それというのも、災いを押し殺してしまおうとすれば、たいていのばあい、かえってその勢いを燃え上がらせることになり、心配された危機を早めることになるからである。
(「政略論」二六七〜二六八ページ)
 これは、まさに金正日総書記が金日成主席死後四年間にわたり沈黙を守った理由を、十分に説明している。
 
▼君主は、戦いと軍事組織と訓練以外に、いかなる目的も、いかなる配慮も、またいかなる職務ももってはいけない。つまり、これが統治者に本来属する唯一の任務なのである。・・・これに反して、君主が武力のことより優雅な趣味に心を向けるときは、国を失うことは明きらかである。そういうわけで、あなたが国を失う第一の原因は、この職務をなおざりにすることであり、あなたが国を手に入れる基礎も、またこの職務に精通することにある。・・・こう考えてみると、君主は、かたときも軍事上の鍛錬を念頭から離してはならないのである。そして平時にあっても、戦時をしのぐ鍛錬を行なわなければならない。
(「君主論」一〇一〜一〇二ページ)
 この主張からは、金総書記がなぜ軍部隊ばかりを訪問し、軍優先の政策を推進しているかが理解できる。
 
▼愛されるより、恐れられるほうがはるかに安全である。というのは、人については一般に次のことがいえるからである。そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、偽善者で、厚かましく、身の危険は避けようとし、物欲には目のないものである、と。
(同一一〇ページ)
 
▼君主が尊敬を集めるには、なによりも大事業を行い、みずから比類のない手本を示すことである。・・・君主が国内の政治において、自分の偉大さを示すたぐいまれな実例を示しておくことも、大いに役立つものである。
(同一三三〜一三四ページ)
 
▼だれがりっぱな進言をしたとしても、よい意見は当然君主の深い思慮から生まれるものであって、よい進言から君主の深い思慮がうまれてきてはならない、と。
(同一四一ページ)
 
▼君主が他人の所有になるものを手に入れようとするばあい、状況が許すなら相手にゆっくり考える暇を与えてはならない。そして、すぐ態度を決めねばならないような気持ちに追い込まねばならない。
(「政略論」六二〇ページ)
 
 こうしたマキアベリの主張を読むと、金正日総書記の言動と文字通り二重写しになって理解できるであろう。金総書記はなお「南朝鮮統一」政策の看板を「平和共存」に書きかえてはいない。金正日総書記の戦略からすれば、統一実現には在韓米軍の撤退は不可欠である。ただ、在韓米軍の自主的撤退戦略に方向を変えたといっていいようだ。
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION