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◆経済事情と国民生活
Q26 経済は本当に破綻しているのか
 最近平壌を訪問した日本人は、通りに車が少なく、通勤の人々が黙々と歩いている光景を毎日目にしたという。また、農村ではトラクターの姿はまったく見られず、牛が多く目についたという。トラクターは、北朝鮮の農村ではこれまで輸送手段でもあった。トラクターが姿を消した事実は、石油事情の悪化と同時に、農産物の輸送がきわめて困難になっている事実を物語っている。
 北朝鮮は、旧ソ連・東欧圏の崩壊前は、東欧社会主義国との貿易・経済関係を維持してきたが、旧ソ連と東欧社会主義の崩壊で、この市場を失った。北朝鮮の貿易額は、輸出約一〇億ドル、輸入約一五億ドルとみられている。
 これは、八〇年代末の貿易額に比べ四〇パーセント以上も落ち込んでいる。このため国内経済は深刻なマイナス成長に追い込まれている、とみられる。特に旧ソ連・ロシアとの貿易の落込みは激しく、北朝鮮は必要な機械類や石油を輸入できない状況に陥っている。
 産業は全体にきわめて厳しい状況に直面しているが、軍需産業などの国策産業はかろうじて維持されているとおもわれる。また、他の産業も原料入手難に直面しながらも、なんとか回っている状況だ。
 このため北朝鮮は、西側の基準からいえば、経済は破綻状態にあるが、社会主義の基準からいえばなお維持しているということになろう。
Q27 南北経済格差はいつ顕在化したのか
 南北の経済格差が決定的になったのは、八八年のソウル・オリンピックからである。南北の経済力が逆転を始めたのは、七一、七二年頃からだ。当時韓国は、ようやく日本海側の浦項に製鉄所を完成し、重化学工業時代に入った。浦項製鉄所の運転開始で、造船業、重機械工業が本格的に始まった。
 第一次オイル・ショックの不況を韓国は中東への建設輸出で乗り切ったが、北朝鮮はこのオイル・ショックを乗り切ることができず、経済の停滞が継続した。北朝鮮が韓国との経済競争に負けた理由は、(1)重工業偏重、(2)援助経済、(3)指導者の経済への理解不足――から抜け出せなかったためである。
 韓国は当初石鹸から歯磨きまで、すべて輸入に頼る被援助経済国だった。このため、計画経済の最初はまず石鹸や衣料品などの輸入代替産業からはじめた。その次に、加工貿易など輸出優先策を取った。そして、重化学工業に手をつけた。この重工業化は、かなりの間韓国経済の足かせとなっていた。
 一方北朝鮮は、軍需産業優先の重工業化を、先に進めた。この結果、国民の生活必需品が生産されず、また輸出品も作り出せなかった。資源のない北朝鮮にとって、輸出産業を育成しなかった経済政策が、南北経済格差を一層拡大させ、経済破綻状態を招いた。
Q28 経済構造はどうなっているのか
 北朝鮮の経済は、なお完全破綻とまではいえない状態にある。西側から北朝鮮経済を見る場合には、民間経済の部分に注目しがちだ。しかし、北朝鮮の経済に占める民間経済の割合は小さい。
 北朝鮮の経済構造は、(1)金正日の経済、(2)軍の経済、(3)党と政府の経済、(4)民の経済の四段階に分かれる。それぞれが、それぞれの予算を有し、ばらばらに経済活動と政策を遂行している。ほとんどが、「官の経済」であり、「民の経済」は少ない。
 この官の経済の部分はなお回っている、と見ていい。軍部は、兵器輸出で獲得した外貨を、独自に使用できる。このため、北朝鮮からシリア、イラン、パキスタンなどへの武器輸出が問題になるのだ。武器輸出でかせいだ外貨で、石油や兵器を購入している。また、兵器と石油のバーター貿易を行なった。
 かつて李根模元首祖は、金日成に「なぜ、経済がうまくいかないのか」と聞かれ、「主席と書記、それに軍と党、政府が別々の財布を持ち、別々に買い物と投資をする非効率な経済構造になっています」と直言し、首相職を追われた。
 その李根模元首相は、金日成の葬儀委員会名簿に顔を出し、復活健在を印象づけた。また経済開放政策の失敗を問われたテクノクラートも、復活している。
Q29 北朝鮮経済のボトルネックは
 北朝鮮経済の問題としては、すでに指摘したように、(1)経済への指導者の理解力、(2)スターリン式ノルマ主義脱却、(3)輸出産業育成、(4)金正日の経済、軍の経済などの特別経済の廃止、(5)国防費の負担、(6)対外貿易部署の政治力のなさ――などがあげられる。
 これ以上に問題なのが、賄賂経済である。北朝鮮で物資の搬入や、役所の手続きを円滑に進めようとすると、必ず賄賂を必要とする。在日朝鮮人の実業家が合弁事業を試みたが、あまりの問題の多さに文句を言うと、「賄賂を使わないからだ」と政府の幹部にいわれたことがあるという。
Q30 エネルギー事情はどうなっているか
 電力と石油事情が逼迫している。
 北朝鮮の電力事情は、施設の老朽化の一方で新しい発電所の建設が進まず、慢性的な電力不足に陥っている。北朝鮮は、石油価格の安い時代に、旧ソ連などの援助で大型火力発電所を建設した。ところが、石油価格の高騰で、火力発電所の稼働率が落ちてしまった。また、水力発電所建設には膨大な費用が必要なうえ、季節によって電力生産量にバラつきがでる。
 北朝鮮は八〇年代後半の最盛期には、約三〇〇万トンの石油を輸入していた、といわれる。それでも韓国の七〇〇〇万トンに比べれば、きわめて少ない量だ。
 実は北朝鮮は、たとえ外貨があり原油を輸入できたとしても、処理能力は三五〇万トンしかない。精油所がロシア国境に近い日本海側の雄基と、中国に近い峰火の二ヵ所にしかない。しかも、それぞれの精製能力は年産二〇〇万トンと、一五〇万トンに過ぎない。また、雄基の精油所は、ロシアからの原油の供給が中断し、事実上運転中止状態にある。
 この結果、石油の供給は全面的に中国に頼っている。中国からは、最大一〇〇万トンの原油を輸入しているという。一〇〇万トンの原油では、軍事はもとより産業、電力に十分に回すことはできず、きわめて深刻なエネルギー、電力不足状態にある。
Q31 どうしたら大学に行けるか
 北朝鮮での大学進学では、幹部の子弟か革命参加者の遺族などが優先される。それ以外の人々は、まず軍隊か共同農場、工場などで働いて職場委員会の推薦を受けなければならない。北朝鮮の義務教育は、五歳から十六歳までの一一年間で、高校卒業の前に軍隊か、他の職場かにふるい分けられる。
 そのまま進学できる学生は、党の幹部の子弟か強力な縁故のある者に限られる。軍に入るのが、党員になり大学への推薦を受けられる近道だという。しかし、親戚に韓国に逃げた人や、祖先に地主階級などがいると、進学の道はまったく断たれる。
 在日朝鮮人の帰国者から不満が出たのもこうした差別待遇のためだという。また、多くの資金を党に寄付した帰国者は優遇されたが、それは例外であったという。在日の帰国者をめぐる差別問題と、権力闘争をめぐる後遺症が、帰国者の逮捕収容事件を生んだという。
Q32 泥捧やチンピラはいるか
 八〇年代末頃から、食糧難と工場の稼働率低下などで、生活が苦しくなった青年が、不良グループを形成し始めたという。また泥棒も増えた。
 不良グループは、大きな都市には必ず存在するようになり、恐喝、強盗、窃盗などを働いているという。特に、金持ちや日本からの帰国者など、富裕層を狙った「生活調整委員会」の名前を使った窃盗団が、増えているという。
 金持ちなどの家から物を持ち出した後、「生活調整委員会」と書いた紙を残して行くという。あまりにできすぎた話だが、北朝鮮の住民の感情を代表する話のようだ。一般の国民には食糧が手に入りにくくなる一方で、党の幹部や職権濫用をしている官吏などがいい暮らしをしている状況がうかがえる。
 また日本からの帰国者は、日本から金や物を送ってくるので、周りの人々からねたまれているという。このため、平均以上の暮らしをしている帰国者が狙われたりもしているようだ。かつて韓国でもみられた、在日同胞に対する一種の差別である。
Q33 休暇はあるか
 北朝鮮では、週に一度の休みを取るのが原則になっているが、地方ではほとんどの労働者は日曜日も何らかの理由で駆り出されるという。学習や作業に駆り出されることが多く、日曜も完全に休める日は少ない。ただ、電力不足で週に一度、工場などが休みになることがあり、こうした時に休みを取れる程度という。
 これももちろん、職場や職種によっても差があるようだ。また平壌では、日曜は比較的休日として利用できるという。土曜日は、平日と同じように働く日が多いという。
 面白いのは、北朝鮮外務省が米国向けの声明などを土曜日に発表することである。平壌では働いているのだろうが、ワシントンは週末で、国務省職員はお休み。このため、国務省が重要な声明を、週末の書類にまぎれて見落とすということが何度かあった。
 
 
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