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難病の子どもを持った友人のこと
 
 難病の子どもを持った友人の話を少しさせてもらおう。
 結婚して十年、不妊治療をしていた友人に、やっと赤ちゃんが生まれた。喜びに満ちた日々。けれどそのニヶ月後、赤ちゃんが先天性胆道閉鎖症と判明した。
 「一万人に一人っていう難病なんですって。放っておけば、二歳までは生きられないの」
 涙声で電話してきた彼女の言葉に、わたしまでもが闇に突き落とされたような気持ちになった。すぐに手術を受けたが、胆道は回復せず、現在、最後の手段である生体肝移植を検討しているところだという。
 どうしてこの子がこんな難病を背負って生まれてきたのか。問いかけても仕方のないことを、彼女は何度でも問わざるをえなかった。もしもこのまま死に至るとしたら、この子は一体何のために生まれてきたか。手術をして、痛い思いをして、つらいことがいっぱいなだけの赤ちゃんの人生。「心中」という言葉が、頭に浮かぶ日もあったという。黄疸を発症して皮膚が黄色くなった赤ちゃんは、けれども、強くおっぱいを吸い、必死で生きようとする。そんな赤ちゃんをみて、彼女はいった。
 「すごいと思うの。こんな小さな赤ちゃんが、一生懸命生きようとしている。わたしが絶望的な気分になっても、この子はがんばっている。あきらめちゃいけないと思った」
 日が経つにつれて、彼女の言葉はこんなふうに少しずつ変わっていった。
 「生まれてニケ月の赤ちゃんなんて、たいして注目もされないのに、この子ってすごいよね。みんなの注目の的よ。こんなにみんなに心配してもらって、しあわせ者だよね」
 「この子、生まれてきただけで、まだ何にもしていない。それなのに、きょう一日元気でいてくれたってだけで、わたしをほっとさせてくれる。みんなに、がんばったねってほめられる。ああ、生きるってこういうことなんだって、わたし、はじめて思った。理由も何にもいらない。ただ命そのものが一生懸命生きようとしている。それだけで、すごいことなんだって」
 「この子がこんなふうに生まれて、いままで考えもしなかったいろんなこと、いっぱい考えたわ。生きようとする力は、それだけですばらしいって、はじめて実感した。この子は、それをわたしに教えてくれるために生まれて来たような気がする」
 「わたしだから、この子を授かったんだと思うの。この子が、わざわざわたしを選んでやってきてくれたように思うの。わたしなら、がんばれるから。この子のために、全力でがんばれるから。強くなれるから」
 突然の衝撃。理不尽な運命。過酷な運命と向き合いながら、彼女は彼女のなかで、自分の物語を紡ぐ。小さな赤ちゃんが、突然、彼女に運んできた物語を。
 彼女は、わたしと会うと、堰を切ったようにその物語を語る。
 わたしにできるのは、耳を傾けることだけだ。なまじの慰めの言葉は、こんな時、薄っぺらで虚しい。彼女といっしょに途方に暮れながら、わたしはその物語を聞いてきた。これからも、聞いていくだろう。
 そして、聞くたびに思うのだ。慰めたくて聞いているのに、慰められているのはわたしだと。勇気をもらっているのは、わたしの方だと。
物語を介して人は世界を受けいれる
 
 障碍をもった子どもが生まれる。家族が病気になる。親が老人性痴呆になる。それは人にとって、まるで大震災にあったような強い衝撃だろう。それも、一過性ではない。日々、介護が続くのだ。来る日も来る日も、終わることのない介護の日々。回復の可能性さえ、一切ない場合もある。そこに、一体どんな意味があるのか。なぜ自分がそれを引き受けなければならないのか。重なる負荷のなかで、人はそこに自分だけの物語を見いださなければならない。
 それは、仕事として他人を介護する、ということでも同じだろう。なぜ、その仕事を選んだのか。そこに、自分なりの意味を見いだすことが、仕事をする原動力になる。
 人は常に、自分のなかの内なる宇宙に、物語を紡いでいかなければならない存在なのだ。ことに、大きな負荷がかかったときには。
 そんな時、それを語れる場があると、ずっと気が楽になるだろう。けれど、それが自分にとって深刻な問題であればあるだけ、言葉にすることもむずかしく、それを語ることもむずかしい。相手も選ぶ。誰にでも容易に語れることではない。
 「さあ、心を語り合いましょう!」などという大げさなことではなく、もっとさりげなく、心の奥にしまわれた物語を語ることができないだろうか。それができれば、みんなもっと楽になれるだろうに。
心を語るための朗読ワークショップ
 
 2001年の暮れ、「ケアする人のケア」から「ポエトリー・リーディング」のワークショップの講師をしてほしいと頼まれた。晴天の霹靂だった。1999年以来、わたしは確かに音楽家の演奏と自作の詩の朗読のセッションを重ねてきた。しかし、所詮、朗読の訓練を受けたプロではない。単に「自作を読む作家」というのが珍しがられているだけで、他人の朗読の指導なんてできるはずもない。
 お断りしようとしたのだが、主催者側と話しあっていくうちに、ひとつの方向性が見えてきた。「参加者に詩や小説の一節を読んでもらい、それを会話の糸口として、様々なことを語りあう」という形だ。それなら、わたしにも何かお手伝いできるかもしれない。そう思って、お受けすることにした。
 2002年の2月から3月にかけて、三回連続で「ケアする人のケア」ワークショップの東京会場「ポエトリー・リーディングのサロン内なる宇宙を紡ぐ」が開催されることになった。その時に、事務局の方が書いてくださったチラシの言葉が、このワークショップの趣旨を端的にあらわしていると思うので、引用させてもらう。
 
 人間はたった一人で生まれ、たった一人で死んでいきます。
 それでも生きていくために、私たちは人と人との深い交流「ケア」を必要としているのではないでしょうか。
 「ケアする人のケア」は、この交流を育むことで、一人ひとりが自らの生をより深く生きていくためのひとつの試みです。
 文学や詩、演劇といった創造的な活動は、私たちが他者との関係を結び直したり、自分の存在と関わり直すための手がかりを与えてくれます。
 このワークショップは、このような関係のなかで、自分自身の内側から新しい物語を紡いでいくためのレッスンです。
 
 「人間の心というものはそんなに狭量じゃない。矛盾したまま受けとめることができるし、矛盾したことで深く考えることもできる。さらに止揚して、より豊かな世界を築くこともできる。そういうやり方が、世界をもっと豊かなものにしていくと思う。」(寮美千子)
 宇宙、地球、生物、人間、個人……詩を読むことで他者の世界を感じとり、詩に託して私たちの内なる宇宙を語り合うサロンです。
群読から個読へ
 
 三回連続のワークショップ。初日は、わたし自身の朗読パフォーマンス。そして「声に出して読むことの意味」についての簡単なレクチャー。決まったテキストを、グループでそれぞれ工夫しながら読んでもらう群読。二日目と三日目は、好きな文章を持ち寄って、その魅力を語りあってもらった。
 「ポエトリー・リーディング」と名づけてはあるけれど、読むものは詩でなくてもいい。絵本でも、論文でも、新聞記事でも、広告でも、薬の能書きでもいい。そういったところ、みんな、驚くほどいろいろなものを持ち寄ってくれた。
 禅宗の料理番の心得を書いた難しい文章を読みながら「家族のためにとがんばってきたけれど、実はわたしはお料理を大嫌いなんです」とカミングアウトした主婦。日本国憲法前文を、香具師の口上の口調に書き換えたものを面白おかしく熱演してくれた女性経営者。ご自身が雑誌に投稿した環境問題に関する告発文章を読んで、実体験を切々と語ってくださった幼稚園の保母さん。大学院で学ぶ天文学者の卵は、星に興味を持つきっかけになった思い出の文章を読んでくれた。
 わたしがもっとも心に残ったのは、帰国子女の女子高校生の言葉だった。彼女はとある詩人の詩を読み、それをきっかけに、戻ってきた故国日本への違和感や、日本流の回りくどいコミュニケーションが苦痛であること、日本人らしからぬふるまいをする彼女への差別のことなど、心の内を一気にさらけだした。そして、自分自身を見失わずに正直に生きていきたいと、まるで決意表明のようにくっきりとした言葉で語ったのだ。カウンセリングが必要なほど傷ついている彼女が語る言葉は、痛々しかった。けれども、力強く、清冽な水のようで、心洗われる思いがした。この朗読体験が、少しでも彼女の自信に繋がり、彼女の力になってほしいと願わずにはいられなかった。








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