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二人称の救いの手
 
 生きなおし、すなわち、苦悩のなかをさまよいながら、新しい世界を獲得しなおすことは決して容易なことではない。そのときに、他者の存在、他者によるケアがとても重要になる。では、一体、他者によるどのような働きかけが、苦悩のなかにある人へのケアになるのだろうか。
 妻を介護して23年、その間に倒れた母を10年介護して看取った男性からの声が届けられた。この男性は家族の介護に直面し、生き方の改変を迫られたと言う。
 
 自分を見つめなおさざるを得ない事態になったのは、妻が倒れたときでした。今まで日の当たる平和な環境の中で会得した「(ぬるま湯的)生き方」をしてきましたが、突然、日の当たらない暗黒の社会で生活しなければならなくなった時、「生き方」の改変を迫られた。改変を迫られた当の私は、ぼう然自失金縛りの状態でした。
 
 彼は、妻の入院、転院、さまざまな危機が押し寄せるなか、仕事を退職する覚悟をするが、仕事からの「退職」は、「家庭崩壊」を意味しているという深刻な事態に直面していた。その時、在宅介護をしながら勤務しつづけられるように協力してくれるという同僚からの「救いの手」によって、在宅介護家庭を支える決心がついたと言う。この「救いの手」は、この男性が「ヨシ、ヤレルゾ、ヤリヌイテミセルゾ」という気持ちが心の底からマグマのように突き上がってくるほどの力をもたらすものだった。
 彼は、この「救いの手」について、柳田邦男の著書「犠牲(サクリファイス)─わが息子・脳死の11日」(文春文庫)の「二人称の死」の章を引用しながら説明する。この男性の引用文によると、「一人称の死」とは自分自身の死、「三人称の死」とは、自分自身の生活や精神状態に直接的な影響を受けない死であり、第三者の立場から冷静に見ることのできる死である。そして、「二人称の死」とは、連れ合い、親子、兄弟姉妹、恋人の死など、人生と生活を分かちあった人が死にゆくことに出会うことである。「二人称の死」においては、私たちはさまざまな対応を迫られ、また、精神的にも辛くきびしい試練に直面することになる。
 
 私は「○○人称の死」の「死」の文字を例えば、「病気」とか「介護」とか「見舞い」などと置きかえて、しっくりこないとか腹が立つとか言った対人関係を考えるときに参考にしている。
 私が勤務しつづけることに、すべての同僚が賛成されたわけではありません。慣例に従って退職せよと言われる方もある中で、救いの手を差し伸べてくれた同僚には、私がかつてしていた仕事のうち肩代わりできる部分の肩代わりを引き受けて貰い、反対派からの圧力を吸収して貰って私が勤務しつづけられる様になったのです。
 同僚といえば、普通三人称と思われますが、私の同僚は、三人称の立場にありながら「二人称の同僚」だったのではと思っています。
 
 地域や家族を核とした密接なつながりが希薄になってきている現代社会においては、この二人称の関係を重層的に構築していくことが、たいへん重要になってくるのではないだろうか。
障害のある子をもって世界が広がる
 
 障害のある人の家族からは、わが子に障害があるとわかって受けいれることが、最も大きな苦悩であるということが聞かれた。さまざまなショックや怒り、悲嘆を経験するなかで、「親子心中を考えた」と語る人たちは少なくない。
 障害のある子をもつある男性は次のように語る。
 
 自分の長男に障害があるとわかっても、最初はどうしたらいいのかまったくわかりませんでした。会社勤めをしていて、仕事も忙しく向きあうどころではありませんでした。
 あるとき、妻に「逃げるな」と言われました。その頃、下の子どもはおろおろしているし、妻はパニックになっているし、家庭が崩壊しかけていました。父親としてそのときどうしたらいいのかが問われました。
一家心中まで考えてはじめて、逃げてはダメだと思ったのです。
 
 しかし、こういった苦悩のなかで、障害のある人とともに生きることを引き受けた家族の顔は実に晴ればれとしていると感じることがある。その変化のなかに、一体何があるのだろうか。
 障害のある娘をもつある女性は、その時に感じたことを次のように語る。
 
 障害のある娘をもち、これまで私が教えられてきたことは全部間違っていたと気がつきました。なるべく他人の世話にならずに自立して生きていきなさい、五体満足で生まれてくることが幸せなこと、人の役に立ち社会に貢献することでその人の価値が決まる……そういうことがぜんぶ間違いだったと気がついたのです。そこに気がついてからは、自分自身がずいぶん変わりました。そして、そのことでずいぶん私の世界が広がったと思います。
 
 彼女は、「なぜそれほど変われたのですか」という私たちの問いに、「だって、みじめじゃない。変わらなかったら、自分がみじめじゃない」と笑って話した。
 また、この女性は、障害のある娘をとおして、多くの人との深い関わりを得ることができたと言う。
 
 人間は生まれながらにして、支えあうようにできています。今の社会は全部自分のところだけで解決できてしまいますが、何か困り事があるときは、人と結びつかざるをえません。弱さを抱えることは、強い結びつきができることではないでしょうか。だからこそ、支えを必要としている人がコミュニティを組織しなおすことができるはずです。
 福祉はまだまだ充分ではありません。つくらなければいけないものがたくさんあります。私たちの運動が、30年先、50年先の日本を豊かにしていると思っています。
器を広げようとすること
 
 俺たちにとって重要なのは、その大人がどれだけ大きな器をもっているかじゃなくて、器に入りきらない俺たちのような人間に、どれだけつきあおうとしてくれるかってことなんだ。
 
 これは、ある児童館に出入りしていた、いわゆる「問題をかかえた子ども」の言葉である。「ケアする人のケア」においては、何ができるか、何ができないか、ということ以上に、どのように向き合おうとしているかが、重要な意味をもつ。しかし、ケアする人にとって、答えや解決方法の見えない問題に向き合うことは、挫折と試行錯誤の連続であるといえる。
 生きにくさをかかえて行き場のない多くの子どもが出入りする児童館で、「問題をかかえた子どもたち」と向き合いつづけるある職員は、次のように言う。
 
 子どもたちと向き合うことは、何もできない自分に気づくことの繰り返し。自分の狭さ、自分の浅さ、そういうものに気づいて、自分を作りなおしていく。そうしているうちに、ふとした一瞬のなかに、彼らからもらえるエネルギーを感じたとき、自分が子どもたちに癒されていると感じる。
 
 この児童館の職員は、自分の器に入りきらない子どもたちと向き合うことで、常に自分自身の弱さに気づいて、自らを作りなおしていると言う。「自らを作りなおしていくこと」そのものが、子どもたちの生きなおしを支えることにつながっているといえるのではないだろうか。
生きなおしの物語を紡ぐ
 
 「「聴く」こととは、相手の乱れを自分の核心で受けとめること、そして、自分自身も乱れるなかで、何かに触れること」と表現するのは、大阪大学大学院教授の鷲田清一さんである。
 私たちは、他者の魂に出会って自分の魂をゆさぶられるとき、ものの見方、感じ方、考え方を新しく見出すことができる。それは、相手の側に自分自身の身を置き、寄りそいつづけることによってはじめて見出せるものなのではないだろうか。
 そして、このように相手に寄りそっていると、あるとき、逆にその相手に寄りそわれていることに気づくことがある。私たちは、自分の存在によって他者の魂がゆさぶられていると知るときにも、新しく生きなおしていく勇気を得ることができるのである。
 「ケアする人のケア」とは、お互いの存在を輝かせることができるような魂の交流、すなわち「ケア」という相互に寄りそう関係を深め、広げていくことであるといえる。そして、「ケアの文化」とは、一人ひとりが何度も生きなおしながらそれぞれの物語を紡いでいける社会であると考えている。
(ケアする人のケア・サポートシステム研究委員会)








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