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学びとしての「ケア」
 
 ケアについて考えてきましたが、少し違う視点で考えてみたいと思います。それは、「ケアは学び」であるということです。
 私の友人の連れあいで、福岡市で薬剤師をしている坂口久美子さんが、「超人バッキー──らくらく介護への道」(NECメディアプロダクツ)という本を出しました。「バッキー」というのは久美子さんの実の母親のことですが、痴ほう性になったそのおばあさんを、自分の家にひきとった暮らしぶりをまとめています。
 久美子さんのおばあさんはぼけてしまって、久美子さんのお姉さんの名前しか呼びません。「違う」と言って訂正しても、姉の名前しか呼ばないため、久美子さんはむなしくなります。しかし、カラオケ好きのおばあさん、人間というものを超えてしまった「バッキー」とつきあっていくなかで、彼女は「介護というのは学びではないか」と考えるようになりました。そう考えると、介護のなかで起こることすべてが、学びの対象となり、「介護することができてありがたい」と思えてくるのです。そして、学び上手になればなるほど、相手のペースに合わせていける心の余裕が生まれてくる、ということを書いています。
 たとえば、久美子さんは、痴ほう性の高齢者も環境しだいで個性を取り戻すことができるということを学んでいます。そして、痴ほうは自然であることに気づいて、素直な願望──お母さんの願望は愛されたいということなのですが──に気がつきます。久美子さんは、「それに比べて私はなんと意固地なんでしょうか」と書いています。
 また、痴ほうと価値観についても書いています。おばあさんのぼけが進む一方で、おばあさんの人生のなかで培われた価値観はずっと変わらない、それがまた生きる礎になっていて、それを否定してはいけない、否定することは許されないと書いています。
 さまざまな学びから、「いつも笑ってみよう、思っていることをさらけ出してみよう、こだわっていることを手放してみよう、逃げても無駄」という境地まで達観しています。
 ここで久美子さんが書いていることは、「ケアは辛くて苦しいものだ」という概念を覆しているという点で、たいへん大きな意味があると思います。そして久美子さん自身が生き生きとしているということも大切です。というのも、学びとは本来、驚き、不思議に思い、疑問を解き、感動するということだからです。
 久美子さんは母親の生に真摯に向きあい、学びとることによって、新しい発想を得ています。このような学びの姿勢から、介護とは何か、共に生きるとは何かということを、私たちも学ぶことができると思います。
「聴くこと」の意味
 
 久美子さんが到達した、相手のペースに合わせる心の余裕ということですが、このことについて、大阪大学大学院文学研究科教授の鷲田清一さんの著書「「聴く」ことの力」(TBSブリタニカ)を引用して考えていきたいと思います。
 人間は苦しいときには乱れる──これは普通のことですが、苦しいことを「聴くこと」はその「乱れを聴くこと」だと書いています。つまり、他者の乱れを、自分の核心の部分で受けとめるということは、自分も乱れるということです。乱れを受けとめ自分も乱れるなかで何に触れるかということが大事だと言います。
 また、そのときに一番いけないのが、乱れを閉じ込めたり、乱れを勝手に解釈して「こういうことで苦しいんですね」と言ってしまって、他人の言葉で覆いつくしてしまうことだということです。
 ケアする人の悩みとして多いことは「相手のことが理解できない」ということです。これは大きな悩みです。それに対して、鷲田さんは、他人を理解することは決して同じ考え、同じ思いや同じ感じ方になることではなく、自分と相手の、ものの感じ方、存在のしかたそのものが突きつけられることなのだと言います。「そういう感じ方もありうる」、「そういう存在のしかたもありうる」と認めることが大切だということです。
 坂口久美子さんは、そういうことに気づいていき、そこから余裕がでてきたのではないでしょうか。
「ケア上手」に学ぶ
 
 「ケア上手」というものがあります。多くの人が介護体験を本に書いていますが、ケアにはあまり成功話はなく、失敗談ばかりです。ケアは、挫折と試行錯誤と挫折の連続です。そのなかでケア上手の人たちの知恵が蓄積されてくるのですが、それらをここで集約してみたいと思います。
 1番目は、自分にできることとできないことを見極めて、過剰な責任を引き受けない。2番目は、自分の力で変えられるものと変えられないものの見分けをつける。3番目は物事の優先順位をつける。4番目は仕事と私生活との区切りをつける。5番目は、十分な休養や、遊ぶ時間を確保する。6番目は、自分の健康と幸福に責任をもつということです。とくに、介護する人は他人の健康と幸福にはとても配慮する一方で、自分のことは棚上げしていることが多いといえます。7番目は、自分の価値は、周囲の評価や賞賛、あるいは仕事の能力によって決まるのではなく、ありのままの自分に価値があると思うことです。
生きなおしとしてのセルフケア
 
 しかし、そうはいっても、ときには失意のどん底、絶望のなかでさまようこともあります。私たちは、そのような時の「セルフケア」に着目しています。セルフケアとは、自分自身を癒すということですが、私は「生きなおしとしてのセルフケア」を提案しています。
 挫折と試行錯誤と挫折をくり返しながら、何度も生きなおしをするということですが、私たちは、生きなおしをするために何をすればいいのでしょうか。
 これは古今東西どこでもしてきたことですが、それまでの生活を断ち切るために、ひとり旅に出ることがあります。実際に旅をする場合もありますが、心の旅路という場合もあります。たとえば、物語や本などを読みながら旅をすることもあります。旅をしていくと、自分が孤独のなかに、より深く沈んでいくように感じます。そして、自分の一番深いところを旅していくなかで、自分というものがいつしか消えてしまって、より大きな存在とひとつになったかのような経験をします。その時に、神とか仏といった大いなる存在との密やかな対話があるのですが、このような営みによって、私たちはよみがえることができます。それが「生きなおし」ということです。
 とくに、「心の旅路」が生きなおしのためには重要ではないかと思います。実際に傷ついた心をもちながら、傷心の旅(センチメンタルジャーニー)をすると、心を癒していくことができます。場所を旅するのではなくても、古典や小説を読みながら、その主人公と同じような気持ちになることで、心の旅路をさまよい、そして心のふるさとに帰っていくというセルフケアについても、これから考えていく必要があるのではないでしょうか。
 私は、基本的に人間の力はたいへん偉大だと思っています。私たちは、さまざまなことで傷ついてしまうのは確かです。他人の苦しみを引き受けて傷ついてしまうこともあります。しかし、人間はそれほど簡単にもろく崩れないというのも確かです。
 「傷つきやすい(傷つきやすさ=ヴァルネラビリティ)が、もろく(もろさ=フラジャイル)はない」という自分たちの「人間力」を信じるなかで、よみがえっていく、つまり、新しく人生をリニューアルしていくことができると思います。
 人間力を信じて、一人ひとりが生きなおしをはかっていくことが今の時代に求められているのではないでしょうか。
慈しみの文化
 
 最後に、ケアをとおして、人間の生きやすい社会をつくっていくことについて触れたいと思います。
 現代社会において、生きにくいという実感をもっている人は少なくないのではないでしょうか。たとえば、自殺による死亡者は交通事故の3倍にもふくれあがり、年間3万人以上の人が亡くなっています。今では、自殺はほとんど新聞記事にはなりません。つまり、珍しい時は騒ぎますが、今ではもう多すぎるのです。多くの人たちが生きにくさを感じて絶望して死んでいく、これはたいへん大きな問題です。
 イギリスの作家ジョージ・オーウェルが、「人間が生きやすい社会とはどういう社会か」について書いています。それは、簡単にいうと「思いやりのある態度と正義のある社会」です。
 「思いやりのある態度」とは「ケア」です。「正義」とは、平たくいえば、「人の道」と考えていいのではないでしょうか。つまり、人間的な意味で何が正義なのかを考えていくこと。痴ほうのある高齢者や、障害のある人が決して排除されない、共に生きていくことが当然だと考える社会です。このような社会に「思いやりの態度」としての「ケア」があれば、たとえ苦しい時代でも生きていくことができるのではないでしょうか。
 私たちは、「ケアする人のケア」という問題に取り組みながら、現代社会にケアの文化を構築することをめざしていますが、「ケア」は横文字でわかりにくい。「存在に根ざした関わり」といっても、それでもなお、しっくりこない人も多いと思います。そこで、私は「ケア」とは「慈しみ」と呼びたいと考えています。「慈」は、語源を調べると、「美しい」「愛おしい」からきています。つまり、人間の生きていることが美しい、あるいは、人間の存在が愛おしいと思える、そういう文化をつくっていきたいということです。あらゆる生命を慈しむ文化をどう育んでいくかということが、これからのテーマになってくるのではないでしょうか。
(講演録を編集)
 
播磨 靖夫 (財団法人たんぽぽの家理事長)
 新聞記者を経て、フリージャーナリストに。障害のある人たちの生活の場としてのたんぽぽの家づくり、および、自己主張・自己表現をしていける社会づくりを、市民運動として展開。1999年に「ケアする人のケア・サポートシステム研究」を提案、有志とともに研究委員会をたちあげ現在に至る。芸術とヘルスケア協会代表理事、日本ボランティア学会副代表。








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