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前期解剖学実習を終えて
 長谷川 大輔
 二年生になって行われた解剖実習は、自分にとっては初めての、医学を肌で感じる事ができる授業でした。人体の持つ精密さとある種の迫力は、実習書の中だけでは到底知り得ないものでした。
 もちろん、初めての事だけに最初はとまどいも大きかった事を思い出します。目の前に横たわるご遺体になかなかメスを入れられずにいました。
 私事ですが、僕は一昨年祖父を亡くし、人生で初めて人間の死というものを体験しました。自分の前に祖父の遺体が横たわるあの光景を、僕は今でも忘れる事ができません。そして同時に、祖父が生きていた頃に一緒に過ごした時間の事が思い出されます。
 前期の実習を通して思い続けていたのは、この人にはこの人の人生があったのだ、そしてこの人にも家族がいて自分と同じように共に過ごした時間があったのだ、今自分はこの人の人生を目の前にしているのだ、という事でした。そう考える時、まだ医師としてのスタートラインにすら立っていない未熟な自分達にその体を預けて下さった方々、そしてそのご家族の皆さんに感謝の念を禁じ得ません。
 実際に解剖実習を進めていくにつれ、実習書の中だけの知識がいかに危ういものであるかを実感しました。薄い皮膚一枚のその下はまさに未知の世界でした。血管が、神経が、組織が複雑に絡み合い連絡しひとつの構造を形作っているのが、実習書に書いてある図とはまるで違ったものに見えていたのが最初の正直な感想でした。その複雑極まりない構造がいくつも集まって人間という未知の物体を作り出しているのはひとつの感動です。
 「解剖で人間の腹を開いてみた時、やはり神は存在するのではないかと思った」という先人の言葉の意味を、ほんの少しながら理解できたような気もします。
 僕達はまだ医学という世界を、扉の隙間から少しだけ覗き見たに過ぎません。しかし、これからの医師になるまでの数年の基礎になるのは、まぎれもなくこの解剖実習になるだろうと思います。そして医師になった後も初めて人間に触れた体験としてずっと忘れられないものとなるでしょう。そんな時間を与えて下さった全ての方々に、改めてお礼を申し上げたいと思います。どうも有難うございました。








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