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解剖学実習を終えて
 関口 麻里
 解剖実習が始まる一年ちょっと前、まだ私が受験を控えていた二月に祖父が亡くなりました。父と兄と共に最後のお別れをするために浜松まで行く途中、医学部志望であった私に父は祖父が献体を希望していたことや、献体された遺体がどこへ行くのか話してくれました。
 浜松で祖父との最後のあいさつを終えるとすぐに連絡を受けた業者の方が祖父の体を引き取りに来ました。たったこれだけのことですが、献体や解剖について考えるきっかけになりました。
 やがて四月に秋大医学部に合格することができ、さらに一年後、今度は私自身が実習を行う立場になりました。実習を前に、どういう心構えで臨めばよいのか考えました。御本人の意志とはいえ、学生達に囲まれて体にメスを入れられることは御遺族にとってつらいことです。私自身も祖父が献体を希望していたということは尊敬していますが、いざ祖父が解剖されてしまうとなると抵抗を感じます。このような矛盾がどうして起こるのか、自身に問いかけてみました。御遺族の方と献体された御遺体との間には、生前に交わした言葉やしぐさなどの思い出があるのに対して、実習を行う私達と御遺体との間には初めは何のつながりもなかったのです。この違いは埋めようがありません。そして私達はその思い出を共有できないまま解剖してゆかなくてはならないのです。だから先に書いたような矛盾が出てくるのだろうというのが私なりの答えです。共有してきた時間の差は埋められない代わりに、この実習を通して一生心に残る体験と知識を得よう。そう決めて実習に臨みました。
 四月、実習が始まった時から三ヶ月間が駈け足で過ぎてゆきました。人間の体の複雑さに驚き、この複雑さがあたりまえのように全ての人に備わっていることに感動させられた日々の連続でした。実習を通じて、言葉を用いるのとは別の次元で御遺体と対話ができました。このような対話はおそらく一生に一度の体験だと思います。
 また、この実習で感情的な物の見方と科学的な物の見方を意識的に分けることも学びました。人への尊厳を忘れずに、かつ対象として一歩距離を置いて観察することは、医者になるために必要な視点の使い分け方です。
 実習を通して学べたことは本当に大きな財産となりました。解剖中はたくさんの人と声をかけ合い、学年全体が実習で得た知識からテスト勉強の疲れまで共有できました。これも実習を経て得られた財産の一つです。
 このような貴重な時間を与えて下さった御遺体と御遺族の皆様、適切なアドバイスを下さった先生方と影ながらこの実習を支えて下さった職員の方々、そして常に励まし合ったクラスメート、本当にありがとうございました。








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