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難しい交通
 クアラルンプールと外港ポートクランは今でこそハイウエイで短時間に行けますが、当時その半分も舗装されてないので、バスかタクシーで一時間あまり掛かりました。
 行きは身軽なためポートクランから満員のオンボロバスにしました。ガラスのない窓枠、薄い天板、堅い椅子、黒煙をあげて泣くように震える車体、熱風が汗をひかせ白い塩をふく頬、密着する肌にながれる汗が臭気とともに車内に満ちて自棄に口笛でも吹きたくなる気分です。
 三十分程静かだった車内が騒ぎはじめ、中程を占めていたインド系の若者七、八人が急に天井を叩き、車体を揺らしはじめ停車を迫りました。中国系の運転手は危険を感じ停留所のない道端に寄せて止めると、騒いでた連中が下車し、運転手は何か大声で怒鳴っています。無賃乗車です。
 運転手はとっさにハンマーを武器に草むらに続く細いあぜを二〇メートルも追い掛けたでしょうか、突然足を止めました草むらのあちこちに、雨後の竹の子が生えるように黒い頭が三つ四つ、そして七つ八つ、運転手はもう一つの木切れをそれに投げ付けて、つばを吐きながら急いで引き上げる様子にまばらながらバス内から拍手がわきました。
 クアラルンプールのタクシー溜りで、群がる白タク運転手を振りはらい、値段交渉の末現地価格の三倍もとられて急ぎ重い亜鉛板一〇数枚を積込み市中をでました。
 町はずれでなぜか急停車し、若い女性を拾い助手席に乗せベチャラベチャラ(雑談の意)始めました。格好をつけ猛スピードで走りだしたので注意すると完全無視、ますます速度をあげ左右に振りながらベタベタし始めたので、もうお手上げ、ただ心配なのは事故が起きて“トワン金子は可愛娘ちゃんと同車していた”とひそかに笑われることだ。
 心中手を合わせ家族にだけは理解を求め、仏に祈るのみ。
 ポートクランから約三キロ舗装のない田舎道をオート三輪車の荷台に乗って東に行くと九ホールのゴルフ場があり、そこからしばらくしてバツラウト(海の岩)というニッパ椰子で屋根をふいた四、五軒の民家が散らばる小さな部落に着きます。
 道から海岸まで一キロの疎道を、民家から借りたバイクの背にのって両手で二、三個づつ結わえた亜鉛板を下げ、急発進するたびにそり反るのでしがみ付きたく、若い娘がぴたりと恋人の背に張りついくのが思いやられ、もしも引っくり返ってお陀仏になったら“いい年こいて”と変な同情が集まりそうだなど考えるひまもなく、冷汗一斗、体を堅くして、“キャプテン金子ついにマラッカに消ゆ”と陶酔の気分になり結わえた綱をにぎりしめ、ジャングルの泥道を走るのでした。
 バツラウト海岸は干潮になると二キロ沖まで干上がり手漕ぎ舟がやっと通れる水路が続き、満潮時には船外機つき小舟が舷側すれすれに大きなクラゲを陸揚げし、足場板の根元にあるコンクリートの池の中に、直径四〇センチ厚さ一〇センチ程の大クラゲを敷き詰め、岩塩をかけて重ね合わせて脱水し、薄くあめ色になってから町に出すのだそうです。
 ここまで持ち込んだ大事な亜鉛板をこの反り船に積み、沖のハシケに向かうのですが、折からのスマトラス風が強くずぶ濡れになって、クラゲのチカチカがぬれ衣をとうして全身に回り、気が狂わんばかりのかゆさを我慢しなければなりません。沖のハシケ付近は大シケでわが小舟が近付いたのも知らず、呼べど叫べど返事なく、亜鉛板で幾度も外舷をたたき、やっと救いの舷梯が下りてきました。
灯標完工
 四つ脚の上にプラットフォームを据え、タワーを固定し、頂部にはり板を張りおえると内部に日本から輸入した灯具、電池など機器の取り付け調整をし、日光弁から点灯のテストをおこないます。
 海上保安庁から灯台の専門家がクアラルンプールに来られるので、ホテル予約から交通、会食、関係先のアポなど空港出迎えまでに整えます。
 ポートクランにある現地灯台部の見回り船で灯標現場に行き、マレーシア政府の担当者に灯標の操作、維持管理など引継ぎを行い、最終的に財産移管書にサインをもらって肩の荷をおろします。
 もやいを解き船がすべて灯標をはなれると夕日に真っ赤に染まるインド洋の空と海の境に小さく白い孤独なタンジョンギャバン灯標がまぶたの裏ににじみ遠退いてゆきます。
 夕日が落ち空が紫に変わるころ、水平線の一点から四秒一閃の白灯が飛び込んできた時、どっと込み上げるものがあって何も見えなくなりました。
おわりに
 あれから二十二年が過ぎて昨年十二月、二倍も大きい灯標に立て替えられ、竣工式に列席の機会を得たので見回り船で懐かしの現場に向かいました。
 大きくなったラジフ課長が代替灯標の指揮をとり、海運局次長ほか大勢の参列者の見守る中、急に小生を呼び止め、古い灯標を指して「あれは金子船長と私が作ったもので、明日撤去します」と皆に紹介してくれ大変嬉しい思いをしました。
 四分の一世紀をこの海峡を見守りながら生きてきましたが、本稿は手元に資料がなく記憶に基づいて書きましたので、小さな誤りは老兵に免じてお許しください。
 この仕事が終わり、次いでワンファゾムバンク灯標新設とシンガポール海峡のハンバット礁浚渫を担当しましたが、肩に力が入り失敗と喜びの連続でした。船乗りが世界の船乗達のために縁の下の力持ちになったことを今でも大変誇りに思っています。
 この海峡の重要性は昔と変わりなく、シンガポール、マレーシア、香港が東アジアのハブたらんとして、空に海にITに激しく競争しながら中国とインドをにらんでいます。
 北に偏っているわが国が孤立するのではないかと気が気ではありません。
 いつまでもこの海峡の波が静かでありますよう祈ってやみません。
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原稿募集
■プレジャーボートのヒヤリハット体験談■
 「海と安全」七月号ではプレジャーボート海難防止特集を企画しています。
 その記事の一つとして「プレジャーボートのヒヤリハット」の体験談の投稿を募集しています。
 字数は、 一、五〇〇〜五、五〇〇字程度とします。
 なお、参考写真など添えていただければ幸甚です。
 原稿締切りは、五月末日。
 宛て先は、海と安全の最終ページを参照。日本海難防止協会、海と安全担当宛に。採用方法は、本協会の「海と安全」編集委員会で審査決定します。
 採用分には、規定による原稿謝金をお支払いします。
 振るってのご投稿をお待ちしています。








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