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III 今後の対応
 以上に述べたとおり、マラッカ海峡の航行安全および環境保全については、これまで日本が唯一の支援国となって沿岸国に協力し、さまざまな施策を講じてきた。しかし、今日海峡の利用状況にかつてとは大きな変化が生じており、それに対応して新たな施策が必要となってきているのに加えて、海洋法条約の制定により、国際海峡について沿岸国と利用国の協力についての法的な枠組みが出来たことにより、これらの施策を実施するために、日本のみならず他の利用国を含めた協力の仕組みを作ることが今日の重要な課題となっている。そこで、以下このような情勢の変化のもとにおいてわが国がとるべき対応策について述べることとする。
1. 海峡をめぐる情勢の変化のうち通航態様の変化および海洋法条約の制定については、IIの中で述べたとおりであるが、それに加えて、今後の協力を進める上において考慮すべきこととしては、次の点が挙げられる。
[1] 海峡の利用実態が変化し利用国の範囲が広がってきていること。 その一は、石油輸送路としての利用国が増加していることで、かつては日本向けのタンカーが大半を占めていたが、近年韓国、台湾等のアジアNIES諸国の中東からの石油輸入が増え、加えて最近では中国も石油輸入国に転じ、その輸送路としてマラッカ海峡に依存する度合いが高まっていることである。
 その二は、シンガポール港がアジア地域のコンテナ輸送のハブ港として発展したことにより、アジア地域諸国の海峡への依存度が高まり、その結果、海峡の通航による受益国の範囲が広がってきたことである。
 その三は、ジュロン地区、ジョホール地区に石油精製基地の建設が進み、これらの施設から積み出される石油製品の輸送量が増え、それが新たな事故の発生による海域の汚染の原因として注目されてきており、このことは、シンガポール・マレーシアも船舶の通航による海峡の汚染の原因者となってきていることである。
[2] 安全対策面における新技術の開発が進んでおり、その導入に当たっての技術面、資金面および運用面での協力の必要性が新しい問題となっていること。
[3] 以上のようなマラッカ海峡自体についての情勢の変化に加えて、国際政治、経済情勢の変化が今後のマラッカ海峡対策を進める上で大きな影響を持ってきていること。すなわち政治面では、冷戦の終結により国家間の対立が解消し、世界的に協調のムードが広がってきていることであり、経済面では、人、物、金の流れの自由化に伴う経済のグローバル化が進んだために海峡の通航による利益が、通航船の船主国、荷主国等の直接の受益国に止まらず、広くアジア地域内の各国に及んでいることである。
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インドネシア政府職員に対する航路標識に関する講習会
2. 以上のようなマラッカ海峡をめぐる諸情勢の変化を踏まえて、同海峡に対する国際協力の進め方についての私見を述べれば、次のとおりである。
[1] 第一に、マラッカ海峡の航行安全を図ることにより国際海峡としての機能を維持するとともに、海域の環境を保全することは、国際社会の共通の利益であることを、対策の立案、遂行に当たっての基本理念とすべきである。
 さきにも述べたように、東西の冷戦構造が解消し、かつ、経済のグローバル化が進んでいる今日マラッカ海峡のような世界経済にとって重要な海峡については、関係国がパートナーとして協力し合うべきであって、沿岸国対利用国、先進国対途上国という対立の図式における従来の協力に対する考え方は改める必要がある。そして、このことは、海洋法条約の精神にも合致したものと考える。
[2] 重要なのは、海峡の安全の増進、環境の保全のためにどのような対策を講じることが必要なのか、そして、その対策を実施するについて関係国がどのように協力し合うことが必要かということであって、最近沿岸国からの声に押されて費用負担の問題だけが先行して議論されているのは、問題の本質を誤る恐れがあるので、注意すべきことである。
 すなわち、わが国がこれまでに行ってきた協力は、水路測量、海図の作成をはじめとして、航路標識の整備、維持管理、航路障害物の除去、作業用船舶、油濁防除用資器材および回転基金の贈与、油濁事故に際しての援助隊の派遣その他多岐にわたっており、その協力の方法も、資金協力の他に現物の贈与、技術指導、役務の提供等対象となるプロジェクトに応じてさまざまであることを念頭において対処する必要がある。
[3] 協力はボランタリーなものとならざるをえない。それは、対象となる事業に応じて必要となる協力の内容が異なるため、各国に一律に負担を求めることができないのに加えて、海洋法条約第四十三条は、沿岸国と利用国間の合意による協力義務を定めたものであって、協力を強制するには、別途条約の締結が必要であり、そのような条約の制定が簡単に出来ないことは、海洋法会議における条約審議の過程に照らして明かである。
 ただし、ボランタリーとはいっても、これまでの日本の協力のように、沿岸国の要請によって一国が個別に行うのでは、沿岸国からは評価されても、他の利用国の理解が得られないので、関係国が集まって協議し、その協議結果に基づいて、しかるべき国が協力を行う形を採るべきである。
[4] マラッカ海峡が沿岸三国の領海であることを考慮し、協力を進めるに当たっては、沿岸国の主権に対する慎重な配慮が必要である。この点については、近年日本国内において、マラッカ海峡の管理体制、管理機構の構築といった管理という言葉が使われる例が見られるが、日本語の管理という言葉には、組織体における上級者による支配、監督の意味合いがふくまれているので、このような意味をもつ言葉を軽軽に沿岸国に対して用いることは、無用の誤解を招くおそれがあるので注意が必要である。
[5] マラッカ海峡協議会を通じて行ってきたわが国の協力の重要性は、金銭面、技術面の協力に止まらず、沿岸三国間を取り持つ仲介者的な役割を果してきたことにある。三国の文化の違い、今日なお見られる三国間の複雑な政治的関係を考えると、このような形の協力が維持されるような仕組みが残されることが望ましい。
 この点については、以前MIMAの会議に出席した折、インドネシアの要人が小生との会話の中で、マラッカ海峡について水路測量ができたのは、日本が参加して技術面の協力だけでなく、四カ国の共同作業の取りまとめ役をしてくれたからであって、われわれ三国だけではうまく行えなかったと述べたことからもうかがわれるところである。
 以上の観点に立って望ましいと見られる協力の仕組みとしては、次のようなものが考えられる。
[1] 沿岸三国および海峡の利用国を構成メンバーとする「マラッカ海峡航行安全協力会議」(仮称)を設置する。
イ 会議は常設の機関とし、利用国の参加は自由とするが、海峡の主な利用国には極力参加を呼びかけるとともに、IMOの参加に加えて、案件によっては、海運、石油、損保等の関係業界団体の代表の出席を求める。
 その際、参加国の政府代表は実務面の責任者とし、協議が機能的に行われ、政治的な取り引きの場とならないよう配慮することが必要である。
ロ 会議では、マラッカ海峡の航行安全と事故に起因する海域の汚濁防止に必要な対策について、その実施に当たっての関係国による協力のあり方を含めて討議し、合意を得る。
ハ 会議の事務局は、沿岸三国が持ち回りでまたは合同で担当するものとし、その場合必要があれば、日本からマラッカ海峡協議会または日本海難防止協会等のマラッカ海峡に関係する業務を行う非政府組織が、事務局の業務運営を支援することも一案と考えられる。
[2] 協力会議で合意を得た施策は、その中でIMOの承認を必要とするものについては、沿岸国がIMOに提案して承認を得た後に実施に移すものとし、その他のものは、関係沿岸国が独自に実施に当たる。その際、利用国は、会議での合意に従がって資金面、技術面等における支援協力を行うものとし、その協力は、案件ごとに沿岸国と協力国との間の二国間の取り決めにより、また、多国間の協力を必要とするものについては、Memo randum of Understandingの形の行政取り決めを行い、実施に移す。
[3] 協力会議設置の方法としては、次の二案が考えられる。
イ 沿岸三国と日本が発起人となってマラッカ海峡の航行安全と汚染防止に関する国際協力の枠組みについて討議する国際会議を開催し、上記のマラッカ海峡航行安全協力会議設置について合意を得る。
ロ APEC、ASEAN等の地域会議の議題に取り上げ、メンバー国間の合意を取り付ける。
 いずれの場合でも、沿岸国のイニシアチブを尊重することは当然であるが、沿岸国の立場が強く出過ぎると、利用国側の反発を招き、会議が沿岸国対利用国という対立の関係の中で行われることになる恐れがあり、関係国がパートナーとして協力するという会議本来の目的が損なわれる可能性がある。
 その点日本は、利用国側の一員であると同時に、これまで沿岸国に協力を行ってきた唯一の国として、沿岸国側の信頼も厚いので、両者間に立って協力の枠組み作りに力を貸すことが今後日本がなすべき最大の貢献と考える次第である。
IV おわりに
 「海洋は人類の共同の財産であり、その資源の有効な活用を図り環境を保全することは、国際社会全体の責任である。」国連海洋法会議が九年の歳月に及ぶ長丁場の審議を経て、海洋法条約の採択に至ったのは、このような基本的な考え方について参加国間の合意が得られたからに他ならない。
 今、新しい世紀を迎えるに当たり、マラッカ海峡が、沿岸国、利用国を含めたすべての関係者の協力により、安全で平和な海として、世界経済の繁栄に末永く貢献することを祈念するものである。








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