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第三期 分離通航方式の導入以後
 以上のようにして、マラッカ海峡の航路環境は著しく改善され、以後十年余にわたり、分離通航方式の導入された海域においては、大規模な海難事故の発生を見ることなく経過した。
 一方運輸省は、海峡の航路整備が一段落したのを受けて、今後のマラッカ海峡問題に対するわが国の対応について検討を行い、一九八一年運輸政策審議会に諮り、その答申を得て政策を策定し、マラッカ海峡協議会をはじめ関係方面に通達した。
 この通達では、マラッカ海峡が中東からの石油輸送をはじめわが国の貿易物資の重要な輸送路であるとの認識に立って、わが国は今後同海峡の航行安全の確保のため水路測量、航路標識の整備等の面で引き続き沿岸三国に協力を行うこととし、そのうち航路標識については、さしあたり、それまでにインドネシア・マレーシア両国に寄贈した標識の維持管理と耐用年数を経過し老朽化したものの代替更新をマラッカ海峡協議会を通じて行うこととした。
 そして、そのための必要経費は、従前どおり日本船舶振興会および関係四団体から資金協力を仰ぐほか、新たに日本海事財団からの補助金により賄うこととし、その分担割合とともに、以後二十年間の必要経費額の見通しを示した。以来マラッカ海峡協議会は、この方針に従がって、毎年沿岸国と協議の上航路標識の維持管理と代替更新を行い、現在に至っている。
 しかしながら、この間においてマラッカ海峡の通航の実態は着実に変化しつつあり、新たな海難の発生の危険性は増大しつつあった。
 通航実態の変化の第一は通航隻数の増加である。マラッカ海峡を通航する船舶数が何隻かは、一言で言い表すことが困難である。それは、かつては海峡を通航する船は、そのほとんどが海峡を東西に通過通航するものであったが、海峡周辺の港の開発が進んだことによりそれらの港を基点として運航するものが増えてきたからである。
 この点については、シンガポール港に入港した船舶数をとってみると、一九八三年から一九九二年までの十年間に四三、六三三隻から九九、八八八隻へと約二・三倍増えているとのことで、同港の海峡の通航量に与える重要性を考えれば、この数字はTSSの導入後の十年間における増加の傾向を知る上では役立つものと言えよう。
 変化の第二は通航の態様の変化で、それは海峡を通過通航する船のほかに、周辺地域の港に出入りする船、海峡を横断する船が増加し、海峡内における船の流れが複雑化してきたことである。
 そして、第三は、近年先進国の海運企業がコスト削減により競争力を強化するため競って便宜置籍船の使用を増やしていること、もっぱら海峡周辺地域諸国との間の交通に従事する小型船の通航が増えてきていること等により通航船の安全水準が一般に低下してきていることである。
 私は、縁あって一九九二年にマラッカ海峡協議会の専務理事を委嘱され再度マラッカ海峡問題に取り組むこととなったが、私が着任して不思議に思ったことは、事務所で購読していた現地の新聞Straits Timesにほとんど毎日のように、海峡内での海難事故発生の記事が掲載されていることであった。
 そして、着任一カ月後に、その年しゅん工したHelen Mars灯標のインドネシア当局への引渡し式に協議会を代表して参列する機会があり、現地に出向いたのであるが、シンガポール海峡の中央部に位置する灯標の建設現場に立って周辺を見渡した私を驚かせたのは、かつて二十年ほど前に運輸省在勤中インドネシアへ出張した際シンガポールを発ってジャカルタへ向かう機上から眺めた状況に比べて、海峡の両岸特にスマトラ側の開発が進んでいることと、海峡を通航する船の量の多いことであった。
 そこで、帰国後出張報告を兼ねて運輸省に出向き、そのような海峡をとりまく情勢の変化に対応するため、早急に対策の見直しをすることの必要性について進言するとともに、理事会に諮って、マラッカ海峡協議会内に新たに「マラッカ海峡航行安全問題研究会」を設け、関係する分野の専門家を集めて、このような情勢の変化について情報の収集分析と必要な対策についての研究を行うこととした。この研究会は、一九九五年以降毎年おおむね一回のぺースで会合を持ち、その時々のトピックスについて情報交換を行い、関係者間での情報の共有と問題点の整理、検討に努めている。
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船舶衝突による損傷を受けた浮体式灯標の修繕作業
第四期 海洋法条約の制定による新時代の到来
 マラッカ海峡を取り巻く情勢の変化として通航実態の変化と並んで重要なのは、第三次国連海洋法会議において海洋法条約が成立したことで、この条約がマラッカ海峡の通航問題を扱う上で特に重要なのは、条約中に国際海峡の通航について特に一章を設けて、通航船および沿岸国のそれぞれの権利、義務を規定するとともに、第四十三条において航行安全施設の整備、維持および海峡の環境保全についての沿岸国と利用国の協力義務を明確化した点にある。
 この新条約は一九九四年に発効したが、その発効に先立って同年六月クアラルンプールにおいて、マレーシアの政府系シンクタンクであるMaritime Institute of Malaysia(MIMA)主催の国際会議が開催された。
 この会議は、その副題をMeeting the Challenges of the 21st Centuryとしているとおり、海洋法条約成立後におけるマラッカ海峡の安全確保、環境保全についての国際的取り組みについて討議することを目的としたものであって、その参加者は沿岸三国の当局者のほかに、欧、米、日、豪諸国の海事分野の学者、研究員、海事関係団体の役員、IMOの幹部職員等で、日本からは私がマラッカ海峡協議会の代表として招かれてこれに出席した。
 しかし、私は運輸省在任中の最後の時期に、わが国の領海幅を一二海里に拡大する領海法および二百海里の漁業専管水域を定めた漁業水域法の制定に関係し、海洋法会議における国際海峡に関する審議の模様についても聞き及んでいたが、退官後は全く別の分野の仕事に就いていて、その間における海洋法条約の制定等の国際情勢の変化に疎くなっていたため、マレーシアがこのような会議を招集したことの意図がよく理解できず、わが方として、どのような方針で対処すべきか、いささか不安の念をもって参加したのが偽らないところである。
 それは先にも述べたように、かつて沿岸三国特にマレーシア・インドネシア両国は、マラッカ海峡の国際化に強く反対する立場を堅持していたので、同海峡に関する問題を三国以外の国を含めた国際会議の議題に乗せることは想像のつかないことであったからである。
 ところが、この会議に出席して驚いたことは、出席したパネリストたちが異口同音にマラッカ海峡は国際海峡であるとの認識に立って意見を述べ合い、これに対し、沿岸国の代表から何ら反論がなく、むしろ、国際海峡であるが故に利用国を含めた形で協力体制を構築することの必要性が強調されたことであった。
 この会議では、国際海峡の通航に関する法律問題をはじめ、他の類似の国際海峡の通航制度等についてパネリストから報告があり、それをもとに出席者間で意見交換が行われたが、その中で、シンガポールの無任所大使で海洋法会議の議長を努め海洋法条約中の国際海峡の通航制度に関する条文の取りまとめに当たったトミー・コー教授が、それらの規定について明瞭に解説されたのが印象に残っているところである。
 この会議に続いて、MIMAは翌年の一月にマラッカ海峡の安全対策のための費用の海峡利用者による分担の問題に焦点を当てて、同様な国際会議を開いて意見交換を行ったが、その後このようなマラッカ海峡についての費用分担をテーマにした国際的な検討の場はシンガポールに移り、シンガポールの研究機関でトミー・コー教授が代表を務めるInstitute of Policy Studies(IPS)がIMOと共催の形で、一九九六年と一九九九年の二回にわたって国際会議を開き、関係者間の意見の取りまとめに努めている。
 ともあれ、このように海洋法条約が制定され、国際海峡の通航について法制度が確立したことにより、マラッカ海峡問題は新時代を迎えたことになり、海峡の通航に多大の利害関係を有するわが国として、このような情勢の変化を踏まえて、新たな対応策を打ち出す必要に迫られているわけである。








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