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第二期 日本の協力による施設整備の推進時期
 わが国が最初に着手した事業は水路測量と海図の作成で、マラッカ海峡協議会の協力のもとに、海上保安庁水路部が沿岸三国の水路当局との協議を経て一九六九年一月に予備調査を実施したのに続いて、一九七一年から一九七五年にかけて四回にわたり四カ国合同で水路調査を行い、その結果に基づいて海図を編纂し、一九八一年に作業を完了した。
 一方航路標識については、マラッカ海峡協議会がインドネシア、マレーシア両国に協力して作業を進めることとし、インドネシア海域については、一九七〇年に五基の灯浮標を寄贈したのに続いて、一九八八年までの間に合計二二基の航路標識を設置し、これをインドネシア政府に寄贈した。同様にマレーシア海域については、一九七六年以降一九八八年までの間に合計七基の標識の整備を行った。
 しかし、これらの寄贈された標識の機能を維持するためには、それらの施設が適正に維持、管理されることが必要なので、運輸省では大臣官房の原田昇左右参事官(現衆議院議員)が中心になって航路標識の国際的な管理機構の設置に関する条約案を作成し、一九七〇年十月に開かれた第一〇回N AVの会議に提出し審議を求めることとした。
 その時期、私はロンドンから帰国して海上保安庁に勤務していたが、IMCOの事務局をはじめ各国代表に知己が多く、IMCOの会議の運営に手慣れている点を買われて代表に任命され、同条約案を携えて会議に臨んだ。
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マラッカ海峡に設置されているロブロイバンク灯標
 ところでこの日本案は、同会議に先立ってサイゴンで東南アジア運輸通信調整委員会が開催された機会に沿岸三国の代表に手交されて検討を求めていたが、NAVの会議において出席した三国の代表にそれぞれの国の反応を打診したところ、いずれも日本提案の内容を熟知していないことが判明した。
 そこで会議の席では、航路標識の設置、管理について国際的な協力体制を整備することが必要であることを述べ、それを小委員会報告書に記載させるにとどめ、条約案自体については、事務局の協力を得て本会議終了後に沿岸三国のほかに米英両国の代表を集めて非公式会合を持ち、それぞれの意見を求めた。それに対し三国代表は、いずれも本国に持ち帰って検討の上回答したいと述べ、米国は、事前に在京の大使館を通じてわが方の意向が伝えられていたため賛成意見をのべたが、英国は、本件を進める上で重要なことは沿岸三国の動向であり、またコスト・スタディであると述べるにとどまった。
 この日本案については、その後三国から直接回答が寄せられないまま翌年七月に開かれた第一一回NAV会議において、インドネシア代表から「マラッカ・シンガポール海峡は沿岸国の領海の一部であり、この海峡の国際化につながる考え方や、なかでもこの海峡を管理し支配する権限を沿岸国より奪い去る方法を受け入れることは出来ない。」との発言があり、マレーシア代表もそれに同調した。
 このような沿岸国の態度表明の結果、この構想をこれ以上進めることは不可能となり、以後わが国は政府が表面に立つことはなく、マラッカ海峡協議会を通じて、個別にインドネシア・マレーシア両国と協議して、航行援助施設の整備が進められた。
 しかし、この事業が開始された当時、沿岸国は独立して未だ日が浅く、独立国家として領土保全に対する国民の関心が強く、加えて、第二次大戦の日本軍の武力進攻の悪夢が払拭されていないこともあって、これらの事業を行うについての日本の善意が必ずしも素直に理解されず、そのため、相手国との折衝に当たった担当者の苦労は想像に難くないものがあった。
 この点については、当時マラッカ海峡協議会理事長を兼務されていた船舶振興会の芥川輝孝理事長が同協議会編纂の「マラッカ・シンガポール海峡航路整備事業史」の中で、同氏が三国との話し合いを進める上で相手国の疑念を解くために「今回マラッカ海峡協議会が航路整備のために充てるお金は、競艇というギャンブルの収益金の一部で日本国民の税金ではないのですから、沿岸三国の人々も安心して使って下さい。また、マラッカ海峡協議会は政府機関の一つだと誤解されているようだが、日本の一般法律によるごくありふれた私法人なのです。」と説いて回ったところ、マレーシアの某局長から「しからば、貴殿とご一緒に外務省の方が同行されているのは何を意味するや」と質問された時には、衣の下からヨロイが出ているよといわれたような気がして気の利いた即答が出来ず、まごついたと述べておられることからもうかがわれるところである。
 また、わが国の協力を相手国に受け入れさせるに当たっての関係者のご苦労のほかに忘れてならないことは、実際に現場での作業に従事された方々が、熱帯地域の厳しい自然環境の中で、言葉の通じない異国の人々と文字どおり寝食を共にして技術指導に当たられ、そのことがそれらの国民に日本人に対する友好と信頼の気持ちを醸成するのに大きな役割を果たしたことで、真の国際協力はお金だけで行えるものではないことを如実に物語るものである。
 なお、この間にわが国が行った協力は、上記二事業の他に、潮汐、潮流の観測、沈船の除去、浅瀬の浚渫、集油船および設標船の寄贈等多岐にわたっている。また、一九七五年一月シンガポール海峡において発生した祥和丸の座礁による油流出事故を契機として沿岸国に贈与された油濁防除のための四億円の回転基金は、その本来の目的に役立てられている外に、最近、沿岸国が主張している航路施設の整備資金の利用国による負担の一例として注目されているところである。








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