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自然と文化 第68号(ぼくの日記帳は、カメラだった。)

 事業名 観光資源の調査及び保護思想の普及高揚
 団体名 日本観光振興協会 注目度注目度5


◎途絶えない信仰◎
 1979年からの改革開放政策は、祠廟にとって長い間の封印が解かれた時でもあった。壊滅的なダメージを受けた文化大革命から一転、回復の道が開けたのである。近年の都市開発のぺースが上がるにつれ、祠廟も著しい勢いで回復してきている。(写真[3])
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写真[3]近年建て替えられた祠廟
文化大革命の際に壊された装飾の類も再び設けられている祠廟の改築の多くは、大工で有名な安渓から職人が招かれる
 1949年の新中国成立以降、祠廟は手痛い仕打ちを受けてきた。迷信的な活動の温床として、繰り返し建物の破壊などが行われたのである。
 厦門において、建物の破壊に手がつけられるのは1960年前後からである。土地改革による土地の整理が一段落したこの時期、規模の大きな祠廟が大きく変化する。祠廟の建物は壊され、敷地は更地にされた。そして、国営企業の宿舎や小中学校などの建物が新たに建設された。規模の大きな祠廟は跡形もなく、消え失せてしまったのである。そして、徐々に中小規模の祠廟にも及んだ。建物はそのままに工場などに転用されていった。
 1966年から76年までの文化大革命では、徹底的な破壊が行われた。伝統的な文化や習慣、風俗が一切否定された文化大革命。当然、祠廟も対象となった。この時期、祠廟の華麗な装飾はことごとく壊されたのである。漆喰でつくられた龍などが舞っている棟の飾り、門扉の両脇に置かれた獅子、龍の彫刻が施された柱…。そして、転用されていた工場などのいくつかが、多層の鉄筋コンクリート造に建て替えられるのはこの時期である。また、祠廟に居住していた尼は姿を消した。(写真[4])
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写真[4]鉄筋コンクリート造の工場となった祠廟
文化大革命の時に工場となり、鉄筋コンクリート造に建て替えられた。現在では、一階が祠廟として回復し、二階が工場の宿舎となっている
 こうした破壊の傷跡はきわめて大きい。なにせ、神々たちは住まいを失ってしまったのだから。
 しかし、この時期に人々の信仰が消え失せてしまったわけではない。それまで神々のご加護の恩恵にあずかっていた人々は、今度は神々を手厚く保護する番であった。祠廟で最も重要なのは神々の神像である。たとえ、神々の住まいが破壊されようとも、住まいの主であった神々の像は近隣住民の手によって、大事に守られていたのである。なかには、冬眠のごとく、近隣住民の家の地中に埋蔵されていた神もいる。住まいを失った神々は居候していたのである。(写真[5]図[3])
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写真[5]近隣住民の家に祀られた神像
住まいを失った神は仮住まいをしながら、住まいが回復する日を待ち望んでいる
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図[3]かつての福茂宮
写真[5]の神像がかつて祀られていた祠廟。彼は清水祖師といい、名医であったといわれる。そのため、病人から信仰を集めていた(呉友如著、孫継林編「晩清社会風俗百図」学林出版社1996より引用)
 そして、当事者たちは当時を振り返りこう語る。
「あの時は、秘密裏に拝んでいたわよ」と。ある日を境に、人々の篤い信仰が途絶えてしまうことはなかったのだ。実は、祠廟に対する弾圧は、決してここ最近になってはじまったわけではない。
 民間信仰から生じた祠廟を表す淫祠という言葉がある。正式な儀礼を執り行わない祠廟を指す。つまり、邪道な祠廟ということだ。この言葉、「地方志」などにもしばしば登場する。たいてい、次のように書かれている。「官吏のだれそれが淫祠を廃した」と。「地方志」を編纂するような立場にあった当時の知識人たちの間では迷信的な信仰が否定され、排除の対象となっていたのである。裏返せば、当時から熱烈な民間信仰が存在していたともいえよう。
 しかし、矛盾も多い。淫祠とされていた祠廟であっても災いを沈めたとなれば、時の朝廷から認められ扁額などが賜れたのだ。例えば、媽祖。清代には「天后」という名前を清朝から授かっている。結局、御上からの体裁がどうあれ、人々の篤い信仰に変わりはなく、脈々と信仰が受け継がれてきたのである。








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更新日: 2017年10月21日

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