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新老人の会から次世代へ
子ども問題を考える
第1回のお集まりから
 
 この日お集まりいただいた方は男性3名女性7名。こじんまりした会ではありましたが、ボランティアで地域の乳幼児を預かる現場からの切迫した報告、孫の育児、父親不在の家庭教育に対する疑念など子どもの問題からは、日本社会の問題点が浮かび上がってきました。
竹田きぬ子さんのお話から
 高齢社会という中で、高齢者の役割が重要になってきます。その中で私が提案したいことは、子どもの教育、あるいは育て方に多少なりとも関わっていくということです。
 各国の子どもたちをみますと、日本の場合は少し違います。それがどこからきてるのか一生懸命模索しているところですが、社会的な側面、宗教的な問題、歴史的な問題、いろいろ含めてやはり日本は少し特殊な状態にあると考えます。1967年10月SOSキンダードルフの日本事務局を閉鎖し、翌年事務整理を終えて18年ぶりに私の第二の故郷ローマへ旅行にまいりました。そこで見た子どもたちは、18年前と変わらない姿でした。時間とともに知的な面はもちろん進んでいるのですが、羨ましいくらい家族を中心とした生活環境が残っていました。
 ところで日本の子どもたちを取り巻く状況はどうでしょうか。学校の問題、テレビの影響、それから核家族が広まって、家の中に祖父母がいるという環境が本当に少なくなっています。そのほかにも難しい問題をいくつも抱えています。両親だけでは抱えきれない問題を補佐する人が必要です。それを新老人が担って、さまざまな問題を解決できる場を提供したいというのが私の考えです。それができれば、新老人は素晴らしい役割を果たせるのではないかと思います。
 ドルフ(子ども村)が日本にできなかった最大の理由は、お母さんになる人材がいなかったことです。ドルフは現在130カ国ほどにあり、どの国にも選ばれたお母さんがいます。本部のオーストリアでは、理想的な子どもの養育の場という考えがあり、そのための人材探しの基準があります。理想のお母さんは、日本の昔のお母さんといったタイプです。本部ではあらゆる調査をして、それだけのプロセスが育つまで10年間日本での活動をストップしましようということにしました。ところが世の中のことを見ていると、これは10年たっても再開できないということが分かったのです。お母さんになる人材を育成するには、20〜30年はかかるのです。しかし子どもの幸せのためにはどうしても必要なことです。
 子どもが一番に求めることは、自分が愛されているという確信です。しかもお母さんに愛されているという確信です。お互いの信頼関係が日常生活のすべてに働くのです。子どもが求めているものは今も昔も変わりません。2〜3歳の子どもの遊びは今も昔もそんなに変わりはありません。それがもう少したつと行動からやることから全部違ってきます。それが何に影響されているのかということです。必ずしも昔のままの生活を残すというのではなくて、進歩した環境を与えなくてはならないと思いますが、残しておかなければならないものがあります。それに大人が目覚めて、子どもにそういう環境を与えなくてはならないと思います。
 
子ども問題に関心のある方ぜひお集まり下さい
 次回は3月19(火)13:30〜15:30
 お電話でお申し込みください
 LPC健康教育サービスセンター (03)3265-1907
 
 
新老人の生き方に学ぶ [16]
還暦・古希・傘寿そして白寿の夢“ソフトボール”
関東古希ソフトボール連盟会長
金 子  孝 (80歳)
 
 「年輪ピックに参加して優勝しませんか」平成元年春、市の広報の片隅のこの見出しが私の生活を大きく変えました。昔から、単独あるいは友人とともに山を歩き集団活動に無縁の私が、はじめてソフトボール(SB)を手にし、年輪ピック横浜代表チームの一員として参加しました。全国から参集した1万人を超える高齢者の集団の中でスポーツの醍醐味を満喫しました。すでに社会の第一線から引退している高齢者に向けられた地元行政、その他の方々の温かい愛情と理解あるもてなし、他県チームとの交流、友情。そして佐藤宗幸さんが作詞作曲したテーマ曲「旅の途上で」の大合唱。感激にみちた素晴らしい歌声。
 あの感激を私は今でも忘れない。私たちを先輩と敬愛してくれる人たち。仲間としてガッチリ肩を組む人がこんなにもいるとは。よし、私もこれからの人生を周囲から喜ばれ、自らも喜びをもって美しい時間を築いていこうではないか。友の手を握りしめながら、新しい私の人生はこうして始まりました。
古希ソフトボールチーム設立へ
 その後、高齢化が進むにつれシニアソフトボール(SSB)チーム人口も増加、組織も各地に設立され、地元や近県、時にはハワイ遠征も楽しむなど数年間は楽しく「休日は球日」として心身ともに健やかな日を送っていました。その間、SSBの普及は加速度的に広がり、広範な地域間の対戦が組まれるようになりました。そうなると優勝を目指す各チームは、若い時代の活動そのままに次第に経験、年齢、体力に優れた選手を登用し、劣る選手は必然的に失意のうちに挫折、チームから姿を消して、暗い空気が漂ってきました。
 平成7年、有志を募り「健康と親睦」を強く打ち出し加入年齢は70歳以上とした古希SBチームを結成しました。平均年齢72歳、総員10名で発足。練習を重ね近県に連絡したところ、群馬、栃木、茨城3県から反応があり、早速群馬県で対抗交流試合を実施しました。その反響は大きく、関東1都6県1市8地区による連合体として関東古希SB連盟が設立されることになり、その代表による第1回大会が横浜スタジアムにおいて行われました。参加者一同夢の芝生を踏み、電光掲示板の所属チーム名を仰ぎつつ、秋晴れの一日快哉の声をあげたのでした。
 この関東古希大会は、第5回にはチーム数16と倍増し、待機チームをあわせると20を超えるほどに成長しました。
 ところがこの成長に比例して、かつて古希チームの設立を検討し始めた頃の動機となった挫折感が、より複雑な内容をはらんで浮上しはじめました。それは、シニアから古希の年代に入って、はるかに衰えやすくなり、故障の出やすくなった肉体の実感と、練習時などに受ける叱咤激励の強い語調から受ける心の傷が相俟って、新たな自信の喪失へとつながっていきました。
 これでは設立当初掲げた「健康と親睦」の域への安住を妨げていると考えられ、適度な運動、親睦への環境づくりをいかにして実現するかが課題となったのです。さらに、ゲノムの解析進展によって急速に近づいている、より長寿化する社会への適切な健康づくりをいかにして達成するかと協議を重ね、米国で以前から行われているスローピッチ(SP)方式への移行を前提として、検討に入りました。
 SP方式は、ルール上各種の制約があり、“盗塁”、“バント打法の禁止”、“ストライクは一定の高度を通過し、アーチを画いてゾーンに到着する必要がある”などスピード感、緊張感、積極性などをさまざまな角度で否定しているため、ゲーム上の興味が半減され、過去における日本での評判は良好とはいえません。しかし、米国では特に高齢者間で広範に行われており、利点は必ずあるはずです。その実態を知りたい。
 そんな時、(財)日本健康スポーツ連盟から、ラスベガスにおけるシニアソフトボール世界選手権大会へ、高齢者代表として参加しませんかと呼びかけをいただいたのでした。
(次号につづく)








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