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LPクリニクだより
健康管理担当者セミナーから
菊池さんの一周忌にあたって
―LPCのボランティアのパイオニア―
 
LPC理事長  日野原 重明
 
 財団法人ライフプランニングセンターは昭和49年に公益法人として発足しました。人々の健康を生涯を通して守るためには、医学を提供する側のレベルをあげるための卒後教育だけではなく、一般の人が自分の健康を自らが守るための知識や技を学ぶことであると考え、双方の教育の場を提供したのです。この財団の主旨に賛同し、発足当時から大勢のボランティアの協力を得ることが出来ました。
身体の障害を超えて
 菊池幸子さんは多くの病気を経験し、戦争中の劣悪な環境の中でも病気の管理をしながらよく耐えてこられました。私が初めて診察したのは1976年12月、ある医師から高血圧症と診断されての受診でした。私の診察の結果は大動脈弁閉鎖不全症というリウマチ性の弁膜症による高血圧症でした。菊池さんにこの診断をつげ、上手に日常生活を送る注意点を伝えました。何度目かの診察の時、彼女は「私は先生の本を読んで大変感動しました。何か先生のお手伝いをしたいのですが、具合の悪い私にでもできるでしょうか」といわれました。以降逝去されるまでの25年間、自分のできるボランティア活動を模索し実行されたのです。
自分にできるボランティア活動は…
 それからは都内近郊であれば、必ず私の講演会を聞きに来て、周辺の参加者に私の活動やLPCの活動を宣伝してくださるようになりました。また健康に興味のある方には電話や手紙によって、LPCの活動や講演会などの情報を伝達するという情報ボランティアも自らかってでてくださいました。
 日本の模擬患者のパイオニアとして、自らの心臓病という疾患を生かして、医療職・医学生の診断学のために自分の心音を聴かせてくださることもありました。血圧測定に際しては、測定者に最低血圧の血管音がどのように消滅するのかを聴かせるためのモデルにもなってくださいました。
 さらに私の敬愛するオスラー博士を学ぶ日本オスラー協会の普及にもご尽力いただきました。
 菊池さんは、三田のLPクリニクへ通院するほか聖路加国際病院やその他の医療施設へ22年間に17回の入院をされましたが、その間、入院先の病院や施設の医療従事者へ私の著書や私が翻訳したオスラーの著書を寄贈するなどして、患者さんを大事にする医療が普及することを心から願っておられました。またご自宅で臥床されていても、電話によるネットワークの発信起点としてのボランティア活動を続けられました。そしてその死後も、ご自分の遺体を病理解剖のために捧げられました。
 
 菊池さんほどLPCの活動に深く関心をもち、医療者と患者の間にたって、教育的健康活動に全精力を捧げてくださった方は他にいません。彼女のようなボランティアがおられたからこそ、LPCの30年の歴史が建設的に築かれたのだと思います。この菊池さんと菊池さんを支えてくださった一人娘のきよみさんに心から感謝の意を表したいと思います。
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納骨式にて








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