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「これまでのスポーツ観」から「これからのスポーツ観」へ
山口 ありがとうございました。新鮮だったのは、最近、スポーツ選手がどんどん競技年齢が高くなるといいますか、中年スポーツ選手が頑張っていますね。たとえばランディ・ジョンソン投手は38歳ですけれども、彼は、自分の家にトレーニングルームを置いている。要するに、競技年齢が伸びているのは、ウエートトレーニングによる効果というのはよく知っていたのですけれども、中・高校生にもアメリカ式のトレーニングするとうまく効果があるというのは、とても興味深いテーマです。ディスカッションで、そのあたりのことを詳しくお聞きしたいと思います。それでは次に「補欠ゼロのリーグ」を創設された中塚さんにお話し願いたいと思います。
中塚 私は高校で体育教師をつとめ、サッカー部の顧問をやっています。
 私自身、中学・高校・大学とサッカー部に属し、学校運動部の中で育ってきたのですが、その中で感じ続けてきた問題意識がありました。また、大学でスポーツ社会学に触れ、スポーツの本来の在り方、あるいは、社会状況に合わせたスポーツの在り方などの研究を通じていろいろな方のお話を聞く機会を得ました。そして大学院を出て、自分が教壇に立ち、高校のサッカー部の現状を見た時に、「おや、おかしいぞ」と思うことがいっぱいあったわけです。
 最初の基調講演で大八木さんから、「大人が今、何をなすべきか」という問題提起がなされました。私の話は、高校教師が高校の現場でどんなことをやっているのか、という実践報告になると思います。本日のテーマは「子どものスポーツライフ」です。これまでのお話は、どちらかというと小・中学生のスポーツライフに焦点が当てられていたかと思います。私の場合は、高校生のスポーツライフに関係する話です。
 お手元に3枚ほど資料をお渡ししました。「ユース年代にリーグ戦を」、「DUOリーグのあゆみ」そして、「スポーツの側から学校運動部を見直そう」。この3点を中心に話を進めていきたいと思います。

学校運動部が抱える問題点
 
 まず、どういうところに問題を感じたのか。たとえば高校生活は3年間です。けれども、部活を必ずしも丸々3年間やっているわけではありません。大八木さんのように入学前からラグビーに取り組む方も中にはいらっしゃるかもしれませんが、大多数の高校生は、4月に入学してから、どこの部で何をやろうかとまず迷います。そして実際に入部するのは5月、本格的に活動するのが5月中旬ぐらいからです。運動部の場合ですと、それから大体補欠の1年間というのがあって、ようやく2年生くらいからゲームに出られるようになるわけです。そして、丸1年間ゲームが定期的に入ってくる。定期的といってもトーナメント方式の大会がほとんどですので、1回戦で負けると公式戦はすぐに終わってしまいます。
 そういう単発的なスポーツライフをしながら、3年生になると、インターハイ予選か夏前の大会で大体「引退」していきます。実質3年間のうち、部に所属して活動しているのは2年間で、しかも、その中でゲームにかかわっているのは1年間だけ。これが実際の中・高校生のスポーツライフです。しかも、そもそもアマチュアなのになぜ「引退」などという言葉が出てくるのか。このこと自体非常に不思議です。「引退」して、そのあと「OB」や「OG」になっていく。つまり、15歳や18歳の男女がオールドボーイ、オールドガールになっていく姿は、異常ではないかというのが一つの出発点でした。
 なかにはゲームに出ないで「引退」していく生徒もいます。たとえば50人、100人の部員がいれば、公式戦に出られるのは1チームだけ。これは今の仕組みがどこかおかしいのだと思いました。
 仕組みを見直していこう、しかし、どういうふうに変えていくべきなのか。「これまでのスポーツ観」から、「これからのスポーツ観」へとシフトチェンジしなければならない、そう考えました。
リーグ制という新たな仕組み
 
 チーム単位で勝った負けたを競うことばかりやっていたのが、これまでのスポーツだったのではないでしょうか。チームはゲームを行う単位です。たとえばサッカーなら11人プラスアルファがチームの人数です。100人のチームはあり得ません。それが、高体連の掲げる「1校1チーム制」によって、現実に起きて補欠だらけになっている。本来は、100人もいればレベルやニーズに合わせたチームをいくつかつくって、全体を「クラブ」として運営するべきではないか。「チーム」単位で勝ち負けを競うだけのスポーツから多様な人材の受け皿である「クラブ」を育てるべきでないか。そもそも「選手」という言葉自体「選ばれた者」というニュアンスがあって、そこから変えていく必要があるのではないか。主体的に「プレーする者」という意味の「プレーヤー」を育てていくべきであって、そうすれば、補欠を生むこともないのではないか。そうした疑問点をつなぎ合わせていけば、そこから新たな仕組みが浮上してくるのではなかろうか、と。
 そこでこれまでのスポーツ観と、これからのスポーツ観を整理してみました。
 学校の運動部でやっているのは競技志向であり、大会中心であり、その大会は大体トーナメントの一発勝負が多い。そのトーナメントの一発勝負のイベントが巨大になればなるほど、引退を促しやすい。
 しかし、スポーツには、遊び、運動、競技といったいろいろな在り方が本当はある。そして、大会中心、非日常的なイベント中心ではなくて、日常生活の中に、歯磨き感覚でスポーツをやるような、そういう仕組みがあってもいいではないか。それは、トーナメントでは実現できない、できるとすればリーグである。1週間練習をし、週末にゲームを行う。このサイクルを学校の中で、あるいは学校以外の地域の中で、ユースやジュニアの年代から経験させていくことが必要ではないか一そう考えたのです。こうした理念のもとで、東京都の文京区・豊島区の高校運動部、それから地域のクラブユースに声をかけてリーグ戦を始めたのが1996年のことです。
あゆみのなかで蓄積されたノウハウ
 
 1996年、近隣の指導者に声をかけてリーグを発足しました。最初は10チーム1リーグ制です。10チームということは9節あります。1節5試合で9週間。つまり、9回だけグラウンドを終日確保できればこれはできる。こういう計算でスタートしました。シーズンにもこだわりました。学校でいう1学期、2学期、この間にリーグをやろう。3学期は、サッカーのオフシーズン。こういうかたちで、リーグをべ一スにして1年間のサイクルをつくっていこう、と考えました。
 初年度の10チームのうち、昭和一高から3チーム、筑波大附属高からは3年生中心の筑波Aと1・2年中心の筑波Bが参加というように、一つの学校・クラブから複数チームの参加を認めています。一番燃えたのは筑波A対筑波Bのダービーマッチでした。高体連の大会も、もちろん並行して行われるので、その大会には筑波A、筑波Bの連合軍がナショナルチームをつくって出る。すると、何となく強くなったような気がするわけです(笑)。
 そんな感じで、初年度の前期リーグをやってみたところ、最初はみなさん半信半疑だったのですが、始めてみると、えらく面白いことに気づくのです。特に今までゲームの出番がなかった子どもたち、高校生たちのモチベーションがものすごく上がりました。以降は年々、「入れてくれ、入れてくれ」と希望が殺到するなか、交通整理をしながら進めていきました。条件は、文京区と豊島区を本拠地にすること。足立区の学校も「入れてくれ」と言ってきたのですけれども、「あんたら、足立区だからあかん。やりたいなら自分らでリーグつくれ」と突き放していたのですが(笑)、本当にリーグをつくってしまいました。こんなかたちで、近隣にも少しずつこの動きが広まりつつあります。
 初年度の後期リーグからは、中学の先生にも相談して中学生の選抜も入ってもらいました。あるいは、複数校の連合軍として、筑波大附属と京華高校の合同チームの参加も認め、さらにアトランタオリンピックで採用された「23歳以上3名の特別枠制度」を当リーグでも採用し、19歳以上も1チーム3名まで認めることにしました。このルールによって、私も高校生に混じって、時々試合に出場することができるようになりました(笑)。さらに、うれしい副産物として、浪人生やOBたちがこの枠を使ってプレーするようになったことです。
 さて、大会参加費をどうするか。やはり無償のサービス活動ではなくて、スポーツであるかぎり、ある種、消費的なレジャー活動だという認識が必要です。学校の中で教育的活動の一環として行われていたこれまでのスポーツでは、「スポーツやってお金取るなんて」、あるいは「スポーツでお金をもらうなんて」という感覚に陥りがちですが、スポーツをするには、支えてくれている人がいるわけで、時間と労力を割いてくれているわけです。その人たちにそれなりの対価を支払うのは当然だろうということで、この時は1チーム当たり1万5千円を徴収することにしました。要は、1人千円払って7試合楽しめる。こういう発想です。そして、審判をやってくれた人とか、グラウンド整備をしてくれた人とか、もちろん高校生ですのでほんのちょっとしたお小遣いにしかなりませんが、ペイバックすることにしたのです。
 こんなかたちで年々展開を続け、98年からはレベル別の1部・2部制を導入、99年からは入れ替え制度も始まりました。そしてこれを東京都全域に広げていこうということで、2000年度からは「東京都ユースサッカーリーグ」を創設すべく行動を開始しています。
子どもたちの可能性を広げるのが大人の役目
 
 今、「FC-DUO」構想の可能性もさぐり始めています。つまり、DUOリーグの仲間たちで、高校を卒業してもやりたいという動きが出てきて、卒業生で大人のチームを一つ作ったらどうか、という構想です。トップ志向のチームもあれば、お楽しみ志向のチームもあり、レベルやニーズに合ったサッカーの受け皿があってもいいと思うのです。もしも、それができれば今のDUOリーグは、「FC-DUO」のユースリーグという構図になります。
 実は、サッカー界ではユース年代の地域リーグ化が進行していまして、2002年度から関東ユースリーグがスタートします。末端で始めたわれわれは、関東ユースリーグとどうリンクするかも視野に入れているところです。
 最後に学校運動部の見直しについてお話ししたいと思います。
 サッカー好きで技術も秀でたA君は、高校でもサッカー中心に活動していけばいい。しかし、大多数の子どもは、自分に適したスポーツが何であるかさえ知らずに入学してくるのです。なんとなく入ったサッカー部ですが、3年間、そこに捧げなければならない、という気持ちにもなってくる。退部、入部を繰り返すには勇気がいるし、そもそもそれを許すような環境にありません。それこそが、いまの学校運動部が抱える問題状況なのです。先程倉俣さんが言われたような、シーズンごとに種目を変えられるような環境、それこそが子どもたちにとって健全なスポーツライフといえるのではないでしょうか。
 サッカーにDUOリーグという見本があるように、ほかのスポーツにもリーグはできます。そういう裾野が広がれば、たとえば4月からのシーズンは、主にサッカーに取り組んでDUOリーグで活動する。オフシーズンの冬休みはバスケットボールをやってみたいなと思ったら、バスケットボールのリーグにかかわることができる。こういう仕組み、受け皿を作ってあげることが、子どものスポーツライフを形づくるうえで非常に大事なことだと思います。今、総合型の地域スポーツクラブづくりが提唱されています。クラブをつくるのも大事な目標だと思うのですが、では、そのクラブで何をするのかといえば、スポーツをするわけでしょう。誰もが自由にスポーツができる仕組みがなければ、クラブだけがあっても仕方がありません。そういう仕組みの一例としてご紹介させていただきました。ご静聴ありがとうございました。
山口 昨今、若者のスポーツ離れが激しくなっています。大学生でも、同好会の数が減ってきたり、バーンアウト=燃え尽きたり、あるいは組織に拘束されるのを非常に嫌うという子どもたちも増えてきています。これは、中塚さんのご指摘の通り、現在の仕組みに問題があるのだと思います。これからのスポーツ観を打ち立てられ仕組みを変えてみせられた、中塚さんの勇気と行動力に感服しております。
 さて3名の方からさまざまな提言をいただきました。基調講演でお話しいただいた大八木さんから、ひとことコメントをいただきたいと思います。
大八木 私は同志社大学を5年かけて見事に卒業できたのですが、1シーズン、ニュージーランドに留学していたことがあります。ニュージーランドはラグビー中心の国ですが、一つのクラブチームの中にシニアAというのがあり、シニアBがあり、アンダー23、アンダー19というように、年齢や階層別のチームが存在しています。もちろんジュニアのラグビーチームもあり、それがとても新鮮にうつりました。
 中塚さんの発想にあった「補欠ゼロ」にしても、シニアAに出られないプレーヤーはシニアBのメンバーだし、Bに出られないプレーヤーは次のソーシャルのラグビーチームがあるというふうに、「補欠」というものが存在していませんでした。日本でも、ああいう組織ができればいいと思っていましたが、具体的にDUOリーグというかたちで実際に起ち上がっているというのを今日初めてお伺いして、たいへん心強く感じました。
山口 ありがとうございました。私もニュージーランドヘ行ってびっくりしましたが、日本では今、総合型地域スポーツクラブ=多種目多世代と言っていますが、ニュージーランドはほとんどが単一種目です。ラグビーならラグビーだけ、水泳なら水泳だけのクラブがあります。ただ、ジュニアチームから様々なクラスというか、レベルのチームがあり、いわば、単一種目・多世代型です。クラスごとに専門指導者もいて、とても印象深かったのを覚えています。
 それでは、ディスカッションに移らせていただきます。今日のメインテーマの一つの「スポーツ好きの子どもを増やすにはどうしたらよいのか」について話し合っていきたいと思います。









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