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報告 VI
損傷時復原性要件の調和作業
大阪大学大学院工学研究科 梅田直哉
1.はじめに
 船舶の海難事故のなかでは衝突が最も多く発生しており、衝突による浸水から転覆、沈没へ至らないように設計することは重要である。このためSOLAS条約には、区画損傷時復原性要件が定められている。II-1章B部の旅客船についての規定、同B-1部の貨物船についての規定がそれである。ところが前者はある一定の損傷の大きさを仮定する決定論的要件であるのに対して、後者はある区画の浸水の発生、それによる転覆、沈没の発生を確率論的に扱っている。すなわち客船と貨物船では基準の思想が異なっていることになる。さらにSOLAS条約では客船についてB部の決定論的要件に代えて、IMCO決議A.265(VIII)という確率論的基準を用いてもよいと定められている。このように、現在SOLAS条約の枠組みのなかに、3つの損傷時復原性基準、2つの思想が混在している状況である。そこでIMOでは、これらを合理的に調和させて客船、貨物船を扱うひとつの確率論的基準に統一する方針が打ち出された。この具体化が「損傷時復原性要件の調和」であり、将来的にはタンカー、バルクキャリア、大型漁船など別途の損傷時復原性要件を持つ船種にもその対象を拡大していくことになっている。その作業は、1994年のSLF38から本格的に開始され、現在2003年に改正案作成、2004年のMSCで承認、2006年発効というスケジュールで進行中である。1)この調和により、1992年に発効したSOLAS条約II-1章B-1部の貨物船への要件(以下、現行貨物船規則と呼ぶ)が変更される可能性があり、その場合我が国の造船業にとっても大きな影響がでることになる。本講演では、そのような認識から、現在まさにSLFにおいて進行中のこの調和作業とそれを取り巻く研究の状況についてご報告することとしたい。
2.確率論的基準とは
 一般的な確率論の立場で衝突しても船が生存する確率はどのように計算されるだろうか。まず、船の衝突する確率Pcを考える必要があろう。これは、海上交通の混雑度、船固有の操縦性、操船者の技能などに左右されるであろうが、1年当たり1隻当たりでみるとそれほど大きな値とはなりえないであろう。次に、衝突が発生したときにある(i番目の)区画(または区画群)が浸水する、条件付き確率(PfIC)iに着目することとなる。よってある区画に浸水する確率はPc×(PfIC)Iである。またいずれかの区画に浸水する条件付き確率は
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となる。ここでNはすべての区画の組み合わせの数である。さらに、ある区画が浸水したときに船が転覆も沈没もせず生存する条件付き確率PSIfを考慮する必要がある。極端な場合には静的平衡のみにてこの値は決まるが、そうでない場合は船体運動や海象の影響も受けるであろう。以上を踏まえると、衝突して船が生存する確率PSUは次のように計算される。
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当然ながら衝突して転覆または沈没する確率は1-PSUである。この値を1年、1隻当たりで示すとき、10-6 10-8 が社会的に許容される範囲ともいわれ、原子力発電所や航空機の安全性においてしばしば言及される。船が転覆あるいは沈没すると乗員、乗客、積み荷、船舶などに被害が生じる。このような被害の金額を1-PSUに乗じたものがリスクとなる。このようなリスクが一定値以下とすることは経済と安全のトレードオフを考えるうえで意味がある。
 さて、SOLAS条約に含まれている確率論的損傷時復原性要件、あるいはSLFで議論されているその改正案は上記の一般的な考え方をいくらか変えて扱っている。まず、衝突の確率は考えない。つまり何らかの衝突が発生したときに船が生存できる条件付き確率のみを扱うということである。この結果、最終的な値は0.2とか0.7とか1以下でかなり大きなものとなる。そしてこの値を到達区画指数(Attained Subdivision Index)Aと呼ぶ。すなわち、
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をAと読み替えたことになる。
またここで、(PfIC)iに代わりPi、(PSIf)i、に代わりSiが用いられる。次にリスクではなく、この条件付き確率がある許容できるレベル以下となるように基準は要求する。この値を要求区画指数(Required Subdivision Ihdex)Rと呼び、船の大きさや乗員数など社会的経済的価値に依存する。すなわち、許容リスク/被害額がRとみることもできる。そして最終的に、
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であれば、損傷時復原性要件に合格したと判定される。このような基本的な考え方は、A.265 2), SOLAS条約II-1章B-1部 3)、そしてSLFで審議中のドラフトでも変わっていない。すなわち、調和作業とは、PiSi、Rをいかに計算するかを客船、貨物船について統一していくことといってもよいだろう。
3.SLFでの審議の動き
 まずSLF38(1994年)において、北欧諸国より、まず客船の確率論的基準の新提案があり、具体的な検討が始まった。以下Aを計算するための要素ごとに議論をまとめてみたい。
 
(1)喫水の数
現行貨物船規則では2喫水についてAを計算することが求められているのに対し、A.265では3喫水である。これについては、貨物船と客船ともに3喫水とすることが多数意見にまとまった。日本は貨物船について2喫水を主張したが、韓国、ギリシャの支持を得たにとどまった。
 
(2)トリムの影響
英国は、トリムの影響は大きいとしてその考慮を払ってAを計算することを継続して主張している。しかしながら現在まで合意が得られる案はまとまっていない。
 
(3)損傷高さの影響
現行貨物船規則のAの計算手順には、垂直方向の損傷破口の範囲について、水面からある高さまでに損傷が限定される条件付き確率vが損傷統計にもとづき導入されている。この考え方を客船にも適用するとともにvの計算式自体も米国の提案による新しいものとする方向に議論が動いた。これに対して我が国は損傷の高さが過大に評価されているとして反対した。その結果、SLFではさらに損傷データを集めて検討されるべきであるということとなった。
 
(4)浸水率
現行貨物船規則の浸水率は、乾貨物倉はすべて0.7とされているが、これを喫水によって変化させるとともに、コンテナ倉、RoRo区画、木材区画などには別の浸水率を与える方向が現在の多数意見となっている。
 
(5)生存確率
SLF40(1996年)では、北西欧州グループからRoRo船の研究成果にもとづくSiの提案があった。そこでは、甲板滞留水の影響を表わすswと従来のSi(saと呼ぶ)の積を新しいSiとするものである。このうち前者は、波による動的影響によって船内甲板上の滞留水位が外部水面よりも平均的に高くなり、それによる静的傾斜てこが最大復原てこを上回るとき静的つり合いを失って転覆すると判定するものである。この考え方はSEM(Static Equivalent Method)と呼ばれ、Vassalosら4)の提案であり、模型実験との対応もよいと報告されている。しかしながら、ロシア、ギリシャなど反対も強く、調和作業の進展を図るためドラフトには含めず今後の課題として残されている。またsaも、現行貨物船規則と異なり、旅客移動、救命ボート操作、風圧力による傾斜モーメントを考慮して最大復原てこ、復原力範囲、動復原てこの関数としての計算式が新たに提案されている。このsaについては現在のドラフト案に取り入れられている。
 
(6)マイナーダメージ
横隔壁付近では、たとえ軽微な損傷が生じても2区画に浸水することになり、船の生存にかかわる。これまでの損傷確率Piは比較的大きな損傷の統計から決定されているため、このような軽微な損傷の確率は見落とされている。そこで直径3m、深さ0.75mの損傷がどこに生じてもSi=1を要求する、マイナーダメージの要件が導入された。もちろん損傷確率が完全であれば確率論の枠組みで自動的にこの影響は反映されるはずであるが、現在のPiでは不十分と認識されたわけである。ただしこの規定は訓練されていない人の多くの命をあずかる客船についてのみ適用することでSLF44(2001年)において合意に達した。すなわち客船については2区画可浸を要求することになり、このマイナーダメージという決定論的要件が確率論的要件よりもむしろメジャーなものに客船ではなりうることとなった。
 
 このようにSLFでまとまりつつある調和案は、貨物船について現行規則からの大きな変更が広範囲に含まれている。この点について我が国は、SLF41(1998年)において、1992年の現行規則発効より日も浅く大幅な改正の必要は見当たらないと強く主張し、ギリシャと韓国の支持を得た。これについて、貨物船規則の強化への疑念を排除するため、SLFは、「調和された規則は確率論の統一された方法論にもとづき、客船、貨物船ともに現行規則とほぼ同じ安全レベル(A/Rの値)となること」という方針を合意により決定した。これより貨物船規則の強化は原則としてないこととなったが、その替わりA/Rを現行どおりとしていかにAやRの計算式を定めるかという技術的問題が浮上した。そこでSLFでは各国に対してできるだけ多くのサンプル船に対する試計算を行うよう要請がなされた。
 これに対して、我が国ではRR71部会において試計算を直ちに実施した。欧州では、HARDER(Harmonisation of Rules and Design Rationale)という大型研究プロジェクトが2003年を完了予定に立ち上がった。そしてSLFでは、このHARDERの結果がでるまで調和作業の審議を一時中断し、SLFでの作業完了予定もSLF46に延長することとなった。
4.我が国RR71部会での対応
 SLF41での試計算の要請を受け、日本造船研究協会RR71部会(藤野正隆部会長)損傷時復原性ワーキンググループ(池田良穂主査)では、国内造船各社の協力を得て、PCC3隻、コンテナ船4隻、バルクキャリア5隻、チップ船1隻などについて、現行規則およびSLF調和案の両方によりAを計算した。その結果が図1である。当然ながら現行規則によるAはすべて現行のRを上回っている。しかし調和案によるAは、大きくばらつきしかも現行Rよりも小さいものが目立つ。特にPCC、バルクキャリア、チップ船においてA<Rとなっている。すなわちこれらの船種については調和案では不合格となるわけで、調和案は現行貨物船規則の強化になっていることがわかる。
 そこでこの原因を探るため、調和案のうちvファクターのみを現行規則の式に戻した計算を行った。その結果が図2である。ここではPCCのAが増加してRよりも大きくなった。これは水面上に水平隔壁をもつPCCにおいて、調和案ではその損傷の確率が現行よりも高く評価されるためである。
 さらに調和案のうち浸水率も現行規則に戻した計算結果が図3である。ここではバルクキャリアやチップ船のAもほぼRより大きくなった。その一方、コンテナ船、PCCでは現行よりもAが大きくなる例があり、現行のA/Rを保つという原則を満足しているといいがたい。
 我が国はこれらの計算結果をもとに、SLF42(1999年)において、vと浸水率を現行規則に戻すことを提案した。5)しかしながら、vの調和案の式は現行よりも新しい統計にもとづいていること、浸水率は本来喫水や貨物の種類に依存するという理由で合意に至らず継続して審議されることになった。
 RR71部会ではこのほか、3喫水の重み付けの検討(海技研)、数値シミュレーションによるSiの検討(大阪大)、浸水中間段階についての実験的検討(大阪府大)などもこの調和作業に貢献するため実施中である。
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図1 現行規則(Present)と調和案(SDSWG)によるAの比較
 
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図2 現行規則と調和案(vは現行通り)によるAの比較
 
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図3 現行規則と調和案(vと浸水率は現行通り)によるAの比較
5.欧州における対応
 欧州では、前述のように、4億円の予算規模で3年間の大型研究プロジェクトHARDERが立ち上がった。参加機関は船級協会、大学、研究所、造船設計会社など19機関であり、DNVがその統括を行っている。そして7つのワークパッケージにより、損傷統計、損傷確率、生存確率、Aの検証、Rの決定、設計への応用、規則化がカバーされる。
 調和作業のなかで焦点のひとつとなっているvについては、アテネエ科大が船首高さの統計から、Tagg らが実際の損傷高さの統計から、デンマークエ科大が構造解析を含むシミュレーションから、それぞれ独立にvに相当する確率を求めた。6) その結果が図4であるが、3者は比較的まとまっていることが見て取れる。損傷統計の結果が負の船首高さの領域まで分布しているのは水面下の球状船首による損傷を表わしており、現在の目的には関連しない。HARDERではこの結果を区分線形あるいは指数関数近似したvの計算式を図5のように提案している。その結果、PCCの水平隔壁の高さである36mでみると、HARDERの計算式は現行規則(B−1)にむしろ近い。例えば4mでみると、HARDERや現行ではv=0.5という確率で水平隔壁が生存するのに対して、調和案ではv=0.2まで下がる。すなわちここでのHARDERの式が採用されればPCCが調和により不合格になる事態は避けられる見通しである。
 次にSiについては、RoRo旅客船2隻、RoRo貨物船、クルーズ客船、コンテナ船、バルクキャリア各1隻について、不規則波中転覆模型実験が欧州各水槽で行われている。その結果、非RoRo船についてもRoRo船と同様に、甲板上の滞留水位上昇による静的釣り合いの喪失として転覆限界が説明できたとTaggら7)は報告している。このため欧州からswファクターを全船種に適用するよう提案が行われるとも予想される。しかしながら、同じ欧州でもdeKat8) のように、区画された船ではむしろ急峻な波の群による動的な転覆となりRoRo船の静的な転覆とは異なるという実験的研究もある。
 Aの妥当性については、Vassalosら9) が、SOLAS90の決定論的2区画基準を満たすRoRo船16隻について、A.265、調和案、swを含めた北西欧州案、模型実験の比較を報告した。その結果では、A.265は、Aが小さくまた模型実験の傾向と逆になるなど適当でないとしている。そしてswを含めるかどうかはあまり影響せず、調和案、北西欧州案によるAの値は0.75程度となると結論づけた。
 Rを決定するための試計算は、まだデータ収集の段階であるが、現在の世界のフリートの船種構成比を保つよう合計200隻のサンプル船収集を目標としている。ただし現在のところ、一般貨物船、冷蔵船、バルクキャリア、純客船などのデータが不足しているようである。10)
 このように、HARDERでは膨大な統計データ、実験に裏付けられた研究成果が着実に産み出されており、そこからの提案の説得力は無視できないため我が国としても十分な関心を払っていく必要があろう。
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図4 水面よりの船首高さの確率分布
 
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図5 vの計算式の比較
6.あとがき
 1994年から始まった損傷時復原性要件の調和作業であるが、2003年3月のHARDER完了をもって一挙に進展決着することが予想される。我が国としては、乾貨物船について現行規則より安全レベルが不必要に強化されることのないよう対応していくことが重要であろう。我が国の試計算で問題となっているPCCやバルクキャリアはHARDERでは比較的手薄な船種であり、この点では日本独自の貢献が欠かせないであろう。また欧州でRoRo旅客船で甲板滞留水の影響を考慮する地域基準の適用地域の拡大の動きがあり、SLFでは10万トン、4千人乗りといった巨大クルーズ船の損傷後生存時間の推定の検討が始まっている。調和作業の結果、方法はこれらの動きに直接、間接に波及し、また逆も考えられるなど、損傷時復原性にかかわる問題には当分注目していく必要があると思われる。
参考文献
1)池田良穂、瀬崎良明、高橋俊次郎、損傷時復原性基準とその理論的背景、試験水槽委員会シンポジウム、日本造船学会、2000年12月
2)森田知治、奥山孝志、船舶の損傷時復原性規則の動向、運動性能研究委員会第3回シンポジウム、日本造船学会、1986年9月
3)関根隆、田中清隆ほか、乾貨物船の浸水計算について、日本造船学会誌、746号、1991年8月
4)Vassalos, D., M. Pawlowski, O.Turan,Criteria for Survival in Damaged Condition, Proceedings of the International Conference on the Safety of Passengers in RO-RO Vessels, RINA, 1996年6月
5)Japan, Comments on the Report of the Correspondence Group for Revised SOLAS Chapter II-1,SLF43/3/3,2000年6月
6)Denmark, Germany, Norway and the United Kingdom, Updated Statistics for Extent of Damage, SLF44/INF.11,2001年7月
7)Tagg,R.,C.Tuzcu, et al., Damage Survivability of Non-RO/RO Ships, Proceedings of the 5thInternational Workshop on Stability and Operational Safety of ships, University of Trieste, 2001年9月
8)de Kat,J.O.,R.van’t Veer, Mechanisms and Physics Leading to the Capsize of Damaged Ships, Proceedings of the 5thInternational Workshop on Stability and Operational Safety of Ships, University of Trieste, 2001年9月
9)Vassalos, D. and C.Tuzcu,Safety Equivalence -Meaning and Implementation, Proceedings of the 5thinternational Workshop on Stability and Operational Safety of ships, University of Trieste, 2001年9月
10)Denmark, Germany, Norway and the United Kingdom, Selection of Sample Ships for Evaluation of required Index R,SLF44/INF.10,2001年7月








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