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報告 V
衝突事故に係る総合的安全評価(中間報告)
海上技術安全研究所  松岡 猛
1.総合的安全評価とは
 海難事故に対する安全対策は、事故が発生した後で事故原因を究明し、必要とされる要件を規則化するという手順をとるのが従来からの方法となっている。しかしこの方法では、発生した事故に特化した対策で対症療法的となってしまう、社会的に影響の大きかった事故に対して過剰規制となってしまう、種々の安全対策間の整合性がとれているかがはっきりしないという問題点が出てくる。
 総合的安全評価とはこれらの問題点を解決することを目的に検討されている評価法で、確率論的方法を基盤として事故要因・シナリオを体系的に整理し、リスク評価、対策案のリストアップを行い、最終的に費用便益評価に基づく適正な安全対策(規制)の策定を目指すものである。
 1993年に英国がこの総合的安全評価(FSA:Formal Safety Assessment)の導入をIMOに提案し、1997年にFSA暫定指針として採択された。1998年には純旅客船HLA規制の改正についてFSAを基にノルウエー等が提案し、純旅客船への義務付けを廃止する条約改正が採択された。さらに、同年にはバルクキヤリアーの安全性向上についてFSAの適用が開始されている。2001年にはIM0においてFSA指針が採択された。
 このような動きのなか、平成11年には国土交通省海上技術安全局(現海事局)安全基準課に安全評価室が設置され、(社)日本造船研究協会RR49基準研究部会「船舶の総合的安全評価に関する調査研究」も設置された。RR49委員会では安全評価手法(ETA、FTA等)の調査・研究、事故データ等各種データの調査・入手方法の検討、データベースの構築着手を平成11年度に実施し、昨年度は内航貨物船(499型)を対象とし、事故の発生頻度の高い「衝突事故」について、安全評価を試行した。平成13年度は機関室火災、座礁・乗り揚げについての安全評価を実施している。さらに平成14年度以降は、これらの成果をもとにして浸水、転覆等の各種事故についてのET作成、データベース整備をすすめ、船舶分野における確率論的安全評価方法実施手順としてまとめていく予定である。また、開発・整備した評価手法・データベースを用いて個別のテーマについての評価をタイムリーに実施していく。
 本講演では、昨年度までに実施した研究内容の紹介としてイベント・ツリー(ET)手法を用いた衝突事故発生頻度の評価について報告する。イベント・ツリーの定量的評価に必要な人間行動の過誤率等についてはアンケート調査を船長・航海士に対して実施して船舶航行の分野における貴重なデータを得た。さらに、衝突事故低減のための対策(リスクコントロールオプション:RCO)の評価を行い、安全対策についての検討も行った。
2.衝突事故発生頻度評価手順
 衝突事故発生頻度評価は以下の手順に沿って実施した。まず、衝突事故の発生状況を検討し衝突事故を引き起こす要因を調べ上げ、この結果をもとに衝突事故発生に至る筋道を一般化してモデル化し、ET形式で表現した。ET中に現れる事象(ETのヘディング)の発生確率を算定するため、それぞれのヘディングについてフォールト・ツリー(FT)を作成し、基本事象(ベイシックイベント)の発生確率を与えFTの頂上事象発生確率を求めた。ヒューマンファクターに関する事象発生確率は適切なデータがないため、人間行動の過誤率等について船長等の航行経験者にアンケート調査を実施し推定した。得られたデータを用いてETの定量解析を実施し、船舶衝突事故発生頻度を評価した。
3.イベント・ツリーの作成
 衝突事故発生要因の抽出のために、海難審判庁より出された報告書(1),(2)の事例記述から衝突事故に関連する要因を調べ上げた。その結果、船舶間の衝突事故を引き起こす発端(いわゆる起因事象)として、通常最も多く発生していると考えられる{双方の船舶の航路がそのままでは衝突する方向となった(見合い関係発生)}を取り上げ、衝突に至るまでの要因を一般化して記述し、以下の様な連鎖を得た。
 
見合い関係発生 →環境条件→航行条件→ 観測機器不全→観測の誤り→認知誤り→2船間のコミュニケーション不適切→避航計画の誤り→避航実行誤り→航行機器不全・操船環境不良→衝突発生
 
上記の諸要因の連なりをもとに、図―1〜3のETを作成した。このETではA船、B船毎にそれぞれ「観測機器不全」、「観測の誤り」、「認知誤り」、の要因を置いてある。また、環境条件(霧、島陰等)、航行条件については一般的な状況を想定し、ツリー中には記述していない。
 ツリー中のシーケンスをたどって行った場合の衝突が発生するか否かの判定を以下の基準に基づいて行った。
 
[1]A(あるいはB)船が状況を正しく判定(観測機器正常+観測正しく実行+認知正常)した場合でAB船間のコミュニケーションが成功している場合は、B(あるいはA)船の状況判断によらず衝突は起こらないとする。
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図―1 衝突事故発生に至るイベント・ツリー(前半部分)
 
[2]A(B)船が状況を正しく判定(観測機器正常+観測正しく実行+認知正常)した場合でAB船間のコミュニケーションが成功していない場合は、B(A)船も状況を正しく判定(観測機器正常+観測正しく実行+認知正常)している場合、双方衝突回避の努力を行う。(図―1のET中におけるABに続くET(図―2))
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図―2 衝突事故発生に至るイベント・ツリー(後半部分その1)
 
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図―3衝突事故発生に至るイベント・ツリー(後半部分その2、3)
 
[3]A(B)船が状況を正しく判定(観測機器正常+観測正しく実行+認知正常)した場合でAB船間のコミュニケーションが成功していない場合でB(A)船は状況を正しく判定していない場合、正しく判定した側の船舶のみが衝突回避の努力を行う。(図―1のET中におけるAあるいはBに続く図―2のAあるいはBのETで表現されたシーケンス)
 
[4]A,B船とも状況を正しく判断していない場合は両船間のコミュニケーションは考慮せず衝突発生と する。(図―1のETにおける×印のついたシーケンス)
 図−1〜3のET中で、×印がついたシーケンスは衝突発生、○印は衝突しないシーケンスを表している。→AB、→A、→Bのシーケンスは図―2、図―3中のAB、A、Bで始まる後半のツリーへとそれぞれ続くことを意味している。分岐していった結果シケーンス数は90となり、そのうち衝突事故にいたるシーケンスは63となった。
4.FTによる分岐確率の検討
 このETのヘディングはやや概略的な項目となっており、ETの定量的評価のためには各ヘディングをより詳細’具体的な要因に分解する必要がある。前述の海難審判庁の報告書の事例記述から調べ上げた要因をもとにFTを作成した。それらのFTの各基本事象の発生確率を各種データ、工学的判断により推定し積み上げることにより各FTの頂上事象発生確率が求まる。この頂上事象発生確率値がすなわちET中における分岐確率となる。
 例えば、図―1のET中の初認時の観測誤りを頂上事象とするFTは図―4の様になる。FTの表記方法としてはAND,ORゲートを記号ではなく枠で囲んだ文字(AND、OR)で表し、中間事象、基本事象等を横書きの文字で表示した このFTを構成する各要因の発生確率を検討した結果を各項目の脇に記載してある。“THERP”(3)は原子力分野で開発された人間信頼性解析手法で、この方法を参考に人間過誤率を推定した。最終的に頂上事象発生確率を0.06009+αと評価した。
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図―4 観測誤りのフォールトツリー(FT)
5.専門家判断による人間行動過誤率等の推定
 FTを作成しイベントの分岐確率の検討を行うが、特に航行環境に関する項目及び人間が関わる項目について、既存のデータベースから統計的にその発生確率を求めることが困難な場合が多い。見合い関係の成立や遭遇隻数といった航行環境に関する頻度は、統計的に議論するだけの観測記録は採られていない。一方、人間に関わる項目であるヒューマンエラーの生起確率についても、原子カプラント等で検討されデータベース化が進められているものの、プラントの運転に特化しており、直接操船の評価には使えない。そのため、操船状況に対応した事象発生確率、人間誤操作確率を求める必要がある。
 今回、航行環境及びヒューマンエラーに関する生起確率を、アンケートにより求めた。作成したETのヘディング中ヒューマンファクターに関係する項目について定量的な値を答えてもらう形式のアンケートを作成した。
 アンケートは国土交通省海事局安全評価室から地方運輸局に依頼し(11ヶ所*50部)、管内の関係会社へ配布・要請した。また、造船研究協会から日本旅客船協会、全国内航タンカー海運組合、日本航海海運組合総連合会へ協力依頼文書を送付した。さらに、海上技術安全研究所からも直接、日本船主協会、航海訓練所ヘアンケート依頼を行い、346件の回答を得た。各質問項目毎に回答者の答えを確率値に変換し、横軸を確率値、縦軸を回答数の累積確率値としたグラフに表現した。各回答者が全ての質問に答えているわけではないので、質問項目毎に回答数は異なっている。
 図―5に集計結果の一例を示す。回答数の累積が50%に対応する確率値を図中に示してある。この値が専門家意見による事象の発生確率(ヒューマンエラー率等)の判断値と言える。また、回答者による答えの散らばり具合から、図中に示す様に5%下限、95%上限値も推定できる。
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図−5 動静判断を誤る確率
6.衝突事故ETの定量化
 以上の検討の結果、ETの各ヘデイング事象の発生確率が表―1の様にまとめられた。これらの数値を用い、海上技術安全研究所で開発したGFES(GO-FLOWイベントシーケンス解析プログラム)(4)によりET定量解析を実施した。人間行動に関する項目はアンケート結果の値を用い、アンケートでは得られなかった機器故障に関する値はFTの評価により得られた値を用いた。
表−1 各事象発生頻度及び確率
項目番号 事象 FTによる評価結果 アンケート結果 修正評価値
1 見合い関係成立頻度 - 0.653 0.653/h
2 観測機器不全 1.4×10-4 - 1.4×10-4
3 観測誤り(初認) 0.06009+α 0.062 0.0038
4 誤認 0.009 0.046 0.0021
5 2船間て連絡を取る確率 0.124 0.124
6 連絡失敗確率 1.44×-4 0.544 0.544
7 運航環境良好 0.9975 0.9 0.9
8 避航計画失敗 0.0047、0.0064 0.052、0.077 0.0052、0.0077
9 避航実行失敗 0.03 0.03 0..003
10 航行機器不全 5.4×10-4 - 5.4×10-4

 その結果、衝突発生頻度として 2.05x10-2/h という結果が得られた。内航船であるため、一航海約12時間とすると、衝突発生頻度は 2.46x10-1/航海 となり、造研第46基準部会(5)で評価した値、“軽微損傷事故も含めた衝突発生頻度 1.33x10-3/航海”に比較しても大きく、衝突事故件数のデータから推定される値からの不一致は大きいと思われる。
 ここで得られた値はニアミス発生件数に相当していると考えられる。ETでは一定のミス、機器故障の結果必ず衝突に至るシナリオとなっているが、現実には、かなり危険な状態になった場合でも、臨機応変の対処、リカバリー等で衝突を免れて衝突発生件数が小となっていると思われる。
 アンケートにより得られた値をET解析に使用するに当たり、検討を行ってみる。
 アンケートの結果、観測誤り(初認)として0.062が得られているが、これは一度相手船を視認したときに誤りを犯す確率として回答していると考えられる。ETのシーケンスの展開においては、初認の誤りを犯してもさらに双方の船が接近する過程において、2度、3度と観測を繰り返す余裕時間は考えられる。この全てにおいて誤りを犯す確率は、単純な積を取れば相当に低いものとなる。
 しかし、同じ状況に置かれた場合同様の誤りを犯す確率は高くなると言われ、また、一度思いこんだ事を修正するのは人間かなり難しい。それ故、ここでは観測誤り(初認)の値として 0.062x0.062=0.0038を修正評価値として採用する。つまり二重のチェックを行うという仮定の値を用いる事とする。
 認知誤りの確率も同様の理由により、0.046x0.046=0.0021を修正評価値として採用する。
 避航実行失敗としては0.03の値がアンケート結果として得られている。衝突に至る過程で一度避航の実行に失敗しても、操船者は次善の何らかの策を再度取り、ぎりぎりの所で衝突を免れているであろう。このリカバリーの失敗確率を0.1程度と見積もると、ET中での避航失敗確率は 0.03x0.1=0.003となる。この値を修正評価値として用いる。
 避航計画失敗についても、計画に基づき航行中に異常に気づき、再度別の避航方法を考えることは行われているであろう。避航実行と同様リカバリーがあるとして、ET中での避航計画失敗確率を0.052x0.1=0.0052、0.077x0.1=0.0077とした修正評価値を採用する。
 以上の修正を行った評価値でETの定量解析を行うと、衝突発生頻度としては1.39x10-4/hという値が得られる。
 一航海約12時間とすると、衝突発生頻度は1.67x10-3/航海 となる。浦賀航路のデータに基づいて算出された衝突事故発生確率値との比較も行った。その結果、矛盾のない値となっていることがわかり、次章の事故低減のための対策(RCO:リスクコントロールオプション)の考察においては、修正評価値を用いたETを使用した。
7.RCO(リスク・コントロール・オプション)の検討
 衝突に至る筋道がETにより表現され、定量的評価が可能となると、ETを用いRCO(衝突事故低減のための対策)の評価および安全対策の検討ができる。
 RCOを実施したときの効果として対応するETの構成項目(ヘディング)の分岐確率値が改善される割合を与えると、最終的な衝突事故発生頻度の減少割合が計算される。安全対策に要するコストと効果(衝突事故発生頻度の減少率)とを勘案して、推奨されるべき安全対策が求まる。
 例えば、RCOとして現在導入が検討されているAIS:Automatic Identification Systemの情報を表示するとともにARPA機能により衝突危険領域を判定するシステムを装備した場合の衝突発生頻度の減少割合を評価してみよう。まず、AIS(ARPA)を装備する事により、図1,2,3のイベント・ツリー中のヘッディング(事象)の項目の中で効果のあるものを拾い出すと、[3]観測誤り(初認)、[4]誤認、[8]避航計画失敗が挙がってくる。これらの事象の発生確率がAIS(ARPA)装傭により減少する程度は、操船者に対して能動的に働きかける装置ということで、大きな効果が期待できる。そこで、事象発生確率がそれぞれ25%減少するとして、イベント・ツリーの定量解析を実施すると、衝突発生頻度は0.917x10-4/hと算出できる。これはAIS(ARPA)導入前の発生頻度1.39x10-4/hから約34%の減少と評価できる。このようにRCOの効果が定量的に評価可能となる。ただし、ここで得られた値34%はあくまでも試算であり、イベント・ツリーに展開しておくと定量的な評価が可能であることを示した例として捉えて頂きたい。今後より詳細・現実的な評価を実施するためには、AISが義務化されない500トン未満船舶の装備率の考慮、視界制限状態と視界良好時での効果の違い、AIS導入に伴う新たな要因(主として人的要因)のイベント・ツリー、フォールト・ツリーへの追加等を実施していく必要がある。
 総合的安全評価の解析結果は意思決定支援のための情報として使用すべきと考える。イベント・ツリーで考慮されていない事象・項目があるか、事象発生間の論理的・実際的な整合性がとれているか、各事象発生確率値が妥当なものであるかが解析において常に検討されなければならない。特に人的要因に関する値は個人差、置かれた状況の依存性、値の不確実さが大きい等の特徴がある。更にRCO評価では、安全対策(RCOに関する装置、規制等)の効果が定量的にどれだけ正確に評価できているかも結果に大きく影響してくる。これらの解析における条件を常に念頭に置きながら得られた定量的な解析結果を解釈する必要がある。
 衝突事故に対する他のRCO候補についても発生頻度の減少割合が同様に評価できるので、相互の比較が容易に実施でき整合性のある安全対策(規制)の策定にとり有用な情報が得られる。現在RCOとして、就労監視装置、IBS(統合ブリッジシステム)等具体的な機器類について検討中である。
8.まとめ
 今回、(社)日本造船研究協会の船舶の総合的安全評価に関する調査研究(RR49)で実施した研究内容を中間報告という形で述べた。平成13年度は機関室火災、座礁・乗り揚げについての安全評価を実施している。さらに平成14年度以降は、これらの成果をもとにして浸水、転覆等の各種事故についてのET作成、データベース整備をすすめ、船舶分野における確率論的安全評価方法実施手順としてまとめていく予定である。また、開発・整備した評価手法・データベースを用いて個別のテーマについての評価をタイムリーに実施していく。
 今後個別テーマ評価の実績を積むことにより総合的安全評価が広く社会の中で認知されるようになれば、海難事故安全対策の検討にあたり各分野間共通のコミュニケーション手段として活用されていくであろう。
 本研究は日本財団の助成事業として実施されているものである。本成果は、第49基準研究部会の主査である東大大和裕幸教授をはじめとする部会委員・参加者全員の努力の結果である。各位に感謝の意を表する。
9.参考文献
1.海難審判庁、「構内及びその付近における船舶間衝突の実態」(平成2年12月)
2.海難審判庁、「狭水道における船舶間衝突の実態」(平成4年3月)
3.A.D.Swain,H.E.Guttmann,Handbook of Human Reliability Analysis with Emphasis on Nuclear Power Plant Applications,NUREG/CR-1278,1983
4.T.Matsuoka,et al.,Safety Analysis System using Thermo-Hydrodynamic Simulation of Accident Sequencesin Event Tree/GO-FLOW,PSA'99,Washington D.C. August 22-26,1999
5.日本造船研究協会第46基準部会報告書、「放射性物質の海上輸送の安全に関する調査研究」(平成10年度報告書p.198)
6.日本造船研究協会第49基準部会報告書、「船舶の総合的安全評価に関する調査研究(分冊:内航船の確率論的安全評価に関する研究)」(平成12年度報告書)








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