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(IV) 内航旅客船の避難経路安全解析手法
船舶艤装品研究所 村山雅己
 
1.はじめに
 IMOにおいて、1994年9月のエストニア号の事故を契機としてRO-R0旅客船の安全性について審議が行われ、1999年7月1日以降に建造される国際航海に従事するR0-R0旅客船においては設計の段階で避難経路についてその有効性を検証することが義務づけられた。これを国内に対して適用するにはきわめて曖昧な規定であることから、その具体的な手順を本委員会で検討し、実務家に対して手法を周知させる目的で1年間のWGが設置された。その後、1999年1月にIMOのガイドラインがすでに発効していることから、現時点で国内適用規則を新たに設定することは、法制や技術施策の安定性から見て適当ではないこと、短期間で具体的手順を設定することは困難であることから審議期間が3年間に変更され、十分に科学的な検討を行ったのち、今後何らかのタイミングを見て法制化することとなった。
 
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 避難経路安全解析の手法には、多くの提案があり、そのほとんどがコンピュータを使用した解析法である。手法によっては解析プロセスが複雑であり理解しにくい面もあることから各手法についての特徴を把握し且つ妥当性と解析結果に関する相互の関係を検討するため、次の4つの手法について比較調査検討を行った。すなわち、コンピュータによる人体移動シミュレーション解析である群体、個体モデルの二つ、さらに、電卓等でも計算可能な建築防災計画指針の手法、そしてIMOガイドラインの各方法について、同じ船体の避難経路安全解析を行うことによりその優劣特徴を探ると共に、避難経路が動揺・傾斜している場合の歩行特性についても実験を行い、最終的な評価方法の草案を提案、今後の検討の基礎とした。
 
2. 避難経路安全解析に関する現行規則
 現在、国際航海に従事する旅客船は、SOLAS条約決議A.757(18)に基づき、避難経路となる階段の幅や踊り場の面積を規定値以上に確保することが義務付けられている。決議A.757(18)では、当該階段を通過する各階からの避難者の人数を求め、これに適当な係数を掛けることにより階段を同時に通過するであろう人数を推定し、この人数に対して一人当たり1cmの幅(最低90cm)を持たせることを要求している。そして、国際航海に従事するro-ro旅客船については、設計の初期段階で避難経路の解析を実施し、実行可能な限り混雑(congestion)が排除されていること及び充分な柔軟性が確保されていることを示すことが新SOLAS条約第II-2章第13規則第7.4項において義務付けられた。この規則で要求される解析を統一的に実施するため、IMOは暫定ガイドラインを作成し、このガイドラインについては、現在もIMOで検討されている。
 
3. IMO暫定ガイドライン
 IMOにおいて発行された「ro-ro旅客船のための簡易的避難解析のための暫定ガイドライン」(以下ガイドラインと言う)には、総避難時間の計算法、混雑の定義などが示されている。
 総避難時間の計算は、「知覚時間:Awareness time(A)」「経路通過時間:Travel time(T)」「搭乗時間:Embarkation time(E)」「進水時間:Launching time(L)」の4変数からなる次式により示された。
     A+T+2/3(E+L)≦60min      (1)
     (E+L)≦30min             (2)
また、混雑状態の定義として、避難の経路又は空間における最大許容人密度を3.5人/m2としている。ガイドラインのAppendixには、経路通過時間の計算方法と共に人の移動速度と流動係数、および避難経路の実際の幅から人の動作のための隙間を差し引いた実効幅などが表として示されている。
 
4. 避難経路安全解析でなにを評価するか?
 新SOLAS条約第II-2章第13規則第7.4項において要求していることは、次の「混雑の排除」と「柔軟性の確保」の2点である。
 ○実行可能な限り混雑(congestion)が排除されていること。
 ○充分な柔軟性(flexibility)が確保されていること。
ここで、充分な柔軟性とは、決められた避難経路が一部使用不能となっても、代替の経路を柔軟に選定、使用することにより混乱なく速やかに避難集合場所に集合することができることをいう。
 コンピュータ等の計算による避難経路の安全解析手法において、「混雑の排除」と「柔軟性の確保」解析する概略手順例は次の通りである。
 
(1) 乗員乗客の人員配置、避難経路など想定されたシナリオを作成する。
(2) 想定されたシナリオに従い、設計図面から判定できる通路の長さと幅、開口部の幅に関係する人体移動に関する係数(歩行速度、流出係数等)を使用して、避難開始場所から避難集合場所までの人体移動計算を行う。
(3) 計算結果から、避難者が集合場所に全員到着するまでの時間、各通路、開口部における混雑(滞留)の状況などを数値化する。
(4) 避難経路の柔軟性を検討するには、使用できない通路などを想定し、シナリオの避難経路を変更するなどにより、人体移動の再計算を行う。
 
計算による解析法において、数値化が可能な基本項目は以下の通りである。
 ○避難集合場所に全員到達するまでの時間。
 ○部屋の出口、階段入口、通路の合流点など設定されたノードにおける滞留者数。
 基本的には、避難開始から終了までの各ノードにおける滞留者の時間変化等をみることにより、混雑の度合いを判断し、シナリオを変えて比較することにより避難経路の柔軟性を判断することになる。
 
5. いろいろな解析手法と評価結果の比較
 各計算手法についての特徴を表1に示す。
 ガイドラインと防災指針は、避難経路における計算を、部屋の出口、合流点、階段等の代表となるノード間で一度に計算を行うことから、「代表ノード間解析法」と分類し、群体モデルと個体モデルは、人の移動を時系列に沿って移動させる解析法であることから「人体移動シミュレーション法」と分類した。
 ガイドラインによる解析手法は、通路の有効幅、人密度に応じた歩行速度、流動係数の使用など、詳細な設定があるものの、防火隔壁に囲まれた階段室に逃げ込むことのみを想定したシナリオになっており、その他船種等への融通性がない。また、総避難時間の計算も、式がシンプルな割にはわかりにくい設定であり、経路配置のフレキシビリティ、船員逆流の対処等も安全係数で大まかに処理されている傾向がある。
 防災指針は、基本的には群体モデルによるシミュレーションを代表ノードで行っている方式である。基本として、通路の面積は使用しないが、通路距離と歩行速度からノード到達時間を計算し、ノードの開口幅による流動係数により流出時間を計算する。
 各ノードにおいて、滞留者数、滞留時間が得られ、各グループ毎に避難の完了時間も計算できるとともに、コンピュータなどの特別な道具も必要とせず簡易的に解析できる手法である。
 人体移動シミュレーション法は、コンピュータを使用し、実際の人体移動を模擬することから、詳細な解析が可能となる。代表ノード間解析法との大きな違いは、滞留の取り扱いなどにある。人の移動をシミュレーションすることから、代表ノード間計算法より細かく人の移動を計算することになる。このため、実際の人の移動と同様に、人の移動停止状態(滞留状態)は合流点、階段入口等だけでなく、通路途中においても発生する。このため、代表ノード点における最大滞留者数は、代表ノード間計算方法に比して小さい値になる。同様の理由により、総避難時間は若干大きくなる傾向にある。シミュレーション解析の方が解析としてはより精密であるが、反面、手法としては複雑になる。
 
表1 各計算手法の特徴










IMO
ガイド
ライン
 人の初期配置人数を部屋に接続する1通路の面積で除した人密度を最大3.5人/m2以下と設定する。
流動係数は、人の密度で変化させる。
 ノードは合流点と階段入口のみ、甲板毎に区切って計算し、階段による合流の計算はない。
 国際航海の旅客船を想定していることから、階段室に逃げ込むことを想定した解析法となっている。
建築防災計画指針  同一の経路を用いる避難者グループ毎に1シリーズの計算を行う。
計算区切りとなるノードは室出口、合流点、階段出入り口などとする。但し、同通路の室出口間の計算は行わない。
 各ノード間において、経路の距離と歩行速度からノード到達時間を計算し、ノードの流入、流出の開始、完了時間を計算する。但し、通路の面積は計算に使用しない。
代表ノード間で計算することから、手計算で行えること、各ノードにおける最大滞留人数と最大滞留時間も算出できる。













群体モデル  群衆を流体に例えて人体移動をシミュレーションし、すべての出入り口、合流点をノードとする。但し人の移動計算はノード間ではなく、歩行速度による単位時間移動距離に分割して行われる。
 人の移動をシミュレーションすることから、代表ノード間計算法より細かく人の移動を計算する。このため、実際の人の移動と同様に、人の移動停止状態(滞留状態)は合流点、階段入口等だけでなく、通路途中においても発生する。このため、代表ノード点における最大滞留者数は、代表ノード間計算方法に比して小さい値になる。同様の理由により、総避難時間は若干大きくなる傾向にある。
シミュレーション解析の方が解析としてはより精密であるが、反面、手法としては複雑になる。
個体モデル  個々人の歩行速度等の属性のみならず人の心理モデル等を自由に設定できる。抽象度が少なく実際の人の行動にもっとも近い解析法。
 設定された避難経路の改善や設計変更の評価、および最適避難経路設計ができ、滞留・避難時間とも正確に計算できる。
 シミュレーションは画像に1人1人表示され、流出速度限界・密度限界もカラーで表示し、滞留人数・避難場所への到達人数なども円や棒で表示されるので、全体を視覚的に把握できる。プログラムの構造はシンプルである。機能追加も容易である。ただし、入力ファイルが大きくなるので、アルバイト労力が必要である。また、大きなメモリーとハードディスクが必要である。
 
6. 避難経路の動揺と傾斜
 人の歩行速度、流動係数は避難解析において基本の係数である。船舶の場合には、避難者が船員に誘導されて移動する群衆流であることに加え、通路・階段の傾斜時、動揺時について解析する必要がある。文献資料において、陸上等における通路・階段が水平である場合の資料は多くみられるが、船舶に対応した資料は見あたらないことから傾斜、動揺時における群衆流の歩行速度、流動係数の測定実験を行い、傾斜時における避難の影響を検討した。
6.1 経路傾斜時の歩行実験
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 通路等経路の傾斜時歩行実験は、船員に導かれて歩く群衆流を想定し、男女約20名の被験者により行った。歩行速度、流動係数は個々人ではなく群衆全体を対象として解析した。また、種々の避難条件において多様な人体移動係数を使用する場合を考慮し、船体が水平である場合を基準とし、傾斜した場合に使用する人体移動係数の傾斜補正係数を求めた。傾斜歩行実験における模擬通路は、足場用鋼製パイプで構成し、通路の長さは約6m、通路幅(手すりの内側間隔)は1.2mとし、床は木製でカーペットを張り、手すりは0.9mの高さに設置した。模擬階段は、階段傾斜角度は45度、段数は10段として、水平面への投影寸法2mとした。その他、ステップ面はカーペット張りとし、手すりは左右共に0.9mの高さに取り付けた。群集を対象とした歩行速度と船体傾斜時の補正係数を表2、流動係数と船体傾斜時の補正係数を表3に示す。
 
表2 船体傾斜時の歩行速度と傾斜補正係数

[m]
傾斜
角度
[度]
通路の
歩行速度
階段の歩行速度
のぼり くだり
[m/s] 傾斜
補正
係数
[m/s] 傾斜
補正
係数
[m/s] 傾斜
補正
係数
通路幅 1.2 0 1.23 1.0 0.42 1.0 0.56 1.0
0.9 0 1.28 -- 0.39 -- 0.58 --
0.6 0 1.25 -- 0.41 -- 0.60 --
縦傾斜 1.2 +20 0.82 0.7 0.31 0.7 0.39 0.7
1.2 +10 1.09 0.9 0.36 0.9 0.49 0.9
1.2 0 1.23 1.0 0.42 1.0 0.56 1.0
1.2 -10 1.37 1.1 0.40 1.0 0.46 0.8
1.2 -20 1.38 1.1 0.52 1.2 0.46 0.8
横傾斜 1.2 0 1.23 1.0 0.42 1.0 0.56 1.0
1.2 10 1.31 1.1 0.38 0.9 0.48 0.9
1.2 20 1.23 1.0 0.35 0.8 0.43 0.8
表3 船体傾斜時の流動係数と傾斜補正係数





[度]
通路の
流動系
階段の流動係数
のぼり くだり
[P/m/s] 傾斜
補正
係数
[P/m/s] 傾斜
補正
係数
[P/m/s] 傾斜
補正
係数


+20 2.02 0.8 0.65 0.6 0.56 0.5
+10 2.50 1.0 0.82 0.8 0.86 0.7
0 2.43 1.0 1.01 1.0 1.19 1.0
-10 2.71 1.1 1.13 1.1 1.05 0.9
-20 2.39 1.0 1.08 1.1 1.08 0.9


0 2.16 1.0 1.01 1.0 1.19 1.0
10 2.10 0.9 1.02 1.0 1.04 0.9
20 1.63 0.7 0.97 1.0 0.82 0.7
6.2 船舶避難経路におけるその他の係教
 船舶の避難経路において、考慮すべき条件の中に、避難群集に対向して移動する乗員の影響、甲板に出る開口部におけるコーミングの存在、船体動揺の影響などがある。
 通路の歩行実験において、群衆先頭者が中央に来た時点で対向者1名が反対方向から歩行開始をする実験を行った。ただし、通路長さが限られているために、対抗者が通路を通過した後に通路に入って来て、対向者とすれ違わないまま歩行を終える歩行者も存在する。そのため歩行速度については、対向者とすれ違う部分を含む歩行速度(1m間)を測定し、流動係数については、対向者が模擬通路を歩行中に通路中央部を通過した人数について測定した。対向者が存在する場合の歩行速度と流動係数を表4に示す。対向者とすれ違うときのみ歩行速度が減少するものの、群集としての歩行速度は変化せず、通路幅が0.9m以上であれば流動係数にも影響がない。
 通路中央に開口部を設け、23cm高さのコーミングの有無による流動係数の比較を行った実験結果を表5に示す。コーミングがある場合には、通路幅(1.2m及び0.9m)及びドア開口幅(0.9m及び0.6m)にかかわらず流動係数は2割減少する。
 船体動揺時における人体移動係数の影響については、単独歩行者の歩行速度のみ実験を行った。動揺時における単独歩行者の歩行速度を表6に示す。通路においては、動揺がある場合には歩行速度は2割減少する。階段においては、のぼりは影響なく、くだりにおいて1割減少する。
 
表4 対向者が存在する場合の歩行速度と流動係数
通路幅 集団歩行者 (群衆)
すれ違い者の
歩行速度
流動係数
m m/s 傾斜補
正係数
人/m/s 傾斜補
正係数
0.6 0.78 0.6 1.86 0.9
0.9 0.60 0.5 2.13 1.0
1.2 0.93 0.8 2.22 1.0
表5 コーミングがある場合の開口部の流出係数
コーミング
の有無
通路幅
[m]
開口幅
[m]
流動係数
[人/m/s] 傾斜補
正係数
なし 1.2 0.9 2.43 1.0
1.2 0.6 2.37 1.0
0.9 0.6 2.57 1.0
あり 1.2 0.9 2.04 0.8
1.2 0.6 1.97 0.8
0.9 0.6 1.93 0.8
表6 動揺時における単独歩行者の歩行速度
項目 通路の
歩行速度
階段の歩行速度
のぼり くだり
[m/s] 傾斜補
正係数
[m/s] 傾斜補
正係数
[m/s] 傾斜補
正係数
水平静止 0.90 1.0 0.41 1.0 0.43 1.0
前後方向
10度
周期10秒 0.73 0.8 0.44 1.1 0.42 1.0
周期 5秒 0.71 0.8 0.40 1.0 0.39 0.9
左右方向
10度
周期10秒 0.77 0.9 0.41 1.0 0.40 0.9
周期 5秒 0.72 0.8 0.41 1.0 0.40 0.9
7. 結言
 現在のコンピュータの発達状況からいって、今後の避難経路安全解析はコンピュータによる人体移動シミュレーションによる解析が主流となるのは間違いない。IMOにおいても簡易解析手法から始めて、コンピュータ解析に移行するべく討論をしている最中である。
 本委員会では、同じ船舶の避難経路図を使用して各解析手法の相互の結果比較を行うことにより理解がしにくくブラックボックスが発生しやすいコンピュータ解析を含めて、計算による解析手法の信頼性と限界について検討した。
 その結果、避難経路と避難開始時間が固定であるとして、次の結論を得た。
○人体の移動係数(歩行速度、流動係数)が同じであれば、避難完了時間に大差はない。
○混雑(滞留)についても、発生場所はおおよそ同じ場所である。
○ただし、各グループ(又は各個人)の避難開始時間は、混雑の発生に大きな影響を与える。
 また、船舶の特有条件である避難経路の動揺・傾斜における人体移動係数についても実験を行い必要なデータを得られた。そしてその結果を具体的な評価シナリオとその評価指標の草案に反映させた。
 ご支援賜った関係各位に深甚なる敬意と謝意を表する。








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