6 みんなでつくりみんなで住むまちへ
─トイレからの出発
小滝一正
横浜国立大学教授
●みんなでつくるまち
都市計画というと、一般の市民には手の届かない世界のことだと思われているきらいがあります。それには、かつて町づくりが為政者の思惑のみによって行われたことも影響しているでしょう。例えば、平安京は天皇の住まいを中心に貴族の館や寺院をまわりに置いていたし、江戸の城下町は城を中心に重臣たちの屋敷をそのまわりに配置して、いくさの時に城を守りやすい町割りをしました。平安京でも江戸でも、庶民の住む場所は極めて限られた狭い地域でしかありませんでした。そのような町づくりには、市民の生活者としての視点が欠けていたとしても不思議ではありません。
近代の都市計画は、さすがに市民の立場に立ったものになってきましたが、それでもどちらかといえば官庁街や工業地や商業地の計画に重きを置いていました。住宅地の計画は軽んじられてきたといってもよく、住宅地計画が現れるのは戦後の集合住宅団地計画やニュータウンにおいてでした。近代の都市計画とは道路や鉄道を作ることであったといっても言い過ぎではありません。
しかし今や、都市計画は「まちづくり」と言い換えられていて、住民参加のまちづくりが推進されるようになってきました。まちづくりや公共施設を計画する際に行政が住民の意見を聞くことは常態であり、時にそれが行政に免罪符として利用されることがなくはないものの、欠くことのできない重要なプロセスとなっています。
さらに、ボランティアグループやNPO・NGOなどによる環境づくりへの取り組みも盛んになってきました。そのような形で、市民みんなが知恵を出し合ってつくりあげる「まち」は、人々の肌に合う人間的なまちになるに違いなく、また物理的なまちだけでなく、コミュニティの再生にもつながるものと期待されています。
市民が自分たちのまちの環境を良くするためには、市民みんなが環境に対する見識を持たなければならないのも事実です。そのための住環境教育が学校教育の場や社会教育の場に用意され、市民の常識として環境問題が位置づけられることが望まれています。
まちづくりの方針に沿って作られた公共トイレ。障害のある人、高齢者、幼児連れの母親などにも配慮されている。…高山市の事例
●みんなで住むまち
みんなで住むという場合に「みんな」とは誰を指すのでしょうか。市民誰でもを指すことはもちろんですが、もう少し具体的に中身を見てみましょう。
・老若男女誰でもである。
―特に高齢者にとっては住み続けられるまちの環境が必要であり、子供が健やかに育つ環境が大切です。
・貧富貴賎にかかわらず誰でもである。
―低所得階層にとって住みやすいまちでなければなりません。
・身体障害や精神障害など障害の有無にかかわらず誰でもである。
―障害はすべての人が持つわけではありませんが、障害を持つ人々の視点は重要な意味を持っているといえるでしょう。