専門家といえども間違うことはあります。ただ、同じ間違いを繰り返さないようにしようという姿勢を忘れてはなりません。そうした視点に立ち、それなら、そのことを実現するためにはどのような手順が必要か、それを考えることが何より重要なのではないでしょうか。
より多くの人にとってもっと使いやすいトイレが、具体的にどんなものなのかは、誰にもわかりません。従来のマニュアルに頼っていればそれらしいものができていたのに、私たちはやっかいな道に踏み込もうとしているのかもしれません。しかし、同じ作るなら、より多くの人に好まれるものであってほしいと思うし、それはいつまでたっても終わりのない努力を続けることによってのみもたらされるものだと思います。
●ユニバーサル・デザインは目的ではなく道具
ユニバーサル・デザインの言葉が広まるにつれ、それの意味するものを知りたいという声も強くなっています。しかし、この考え方ですべての問題を解決できるのかどうかは、よくわかりません。私たちが忘れてはならないのは、ユニバーサル・デザインは目的ではなく道具である、ということだと思います。
ユニバーサルと付こうが付くまいが、言葉自体に本質的な意味はありません。重要なのは、より多くの人にとって安心で快適な状況を作り出していこうとする試みを絶えず続けることです。今のところ、その試みを説明するのに最も適した言葉として、ユニバーサル・デザインがあるとみなされているに過ぎません。
そうした本来の目標を目指すのだという合意がなされるなら、ユニバーサル・デザインという言葉はもはやいらないでしょう。なぜなら、その本来の目標を目指したものは、単に「グッド・デザイン」なのですから。
そういう意味からすると、あえてユニバーサルという名前を付ける必要がなくなる状況を作り出すことこそ、私たちが本来目指すべき方向なのだと思います。