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先ほど、日野原先生と柏木先生の非常に若々しくてユーモアに富んだお話を聞きまして、私も感じたのですけれども、お2人一度にお話を聞けるということは、私たち本当につきがあるなあというふうに思っております。私はお話するようなことはなくて、先生方のお話で尽きるんのではないかというふうにも思ったりしますが、できるだけ実際的なお話で皆さんに少しでもお役に立つことができればと思っております。

私自身は七栗サナトリウムへ10年ほど前に行きました。ちょうどその前に母親を胃ガンで亡くしまして、胃ガンで亡くなる母を看取りながら、モルヒネを使いますと母親が母親でなくなってしまうのではないかなという、まだ非常に誤解の多い一介の医師のままでして、母をずいぶん苦しい思いで亡くしたという経験がありました。

七栗サナトリウムに緩和ケア病棟があるということでしたので、早速緩和ケア病棟を少し責任をもってみようと。私自身は胃ガンとか大腸ガンの外科医なのですけれども、胃ガン、大腸ガンはだいたい6割5分ぐらいは治るのです。治るために働く外科医というのは非常に多いのですが、治らないあと3割5分の方のために尽くす医者というのは、非常に少ないものですから、その一握りの医者の1人になってみようという思いと、それからその当時、地域でホスピス運動なども非常に盛んになってまいりましたので、市民や国民の要求もあるということもありまして、現在の道に入ってやっております。

 

松島:ありがとうございました。早速ユーモアを発揮してくださいましたが、このように日々患者さんを前にしても、ユーモアを連発しておられるそうです。それでは久保山さん、よろしくお願いいたします。

 

久保山:はい。久保山千鶴です。看護歴は結構あります。自分の自慢なのですけど、皆さんが思っていらっしゃるより年齢いっているかなと思います。六甲病院の緩和ケア病棟は今から7年前の平成6年の10月にオープンしました。前医院長が六甲病院に緩和ケア病棟を作りたいのだけど、手伝ってもらえないだろうかということで、他の病院から移ってまいりました。そのときは私自身も看護婦として仕事に行き詰まりと言うのでしょうか、だれもが抱くことではありますが、本当に今のやっているこの仕事でいいんだろうかとか、毎日、朝出勤して、夜遅く、そして月火水木金、何も習うことができないような、こんな生活でいいんだろうかとか、いろんな迷いがありました。その前医院長からお話いただいたときは40代の後半でしたけど、もう数えたら分かりますよね、自分のライフワークとして、やってみたいなという気持ちがありました。私も小学校のときに父親を亡くしまして、そのとき子供ながらに死ということがよく分かっていなくって、本当は何か娘に対して言いたいこともあっただろうなと思う父親に、私自身は何もすることができなかったのですね。そういった思いがずっと自分の気持ちの中に残っていたと思います。

松島:ありがとうございました。今日はたくさんの看護婦さんもおいでかと思いますので、具体的な看護のお話はまた後ほど伺いたいと思います。それでは磯崎さん、よろしくお願いいたします。

 

磯崎:私、埼玉県からまいりました。上尾市というのは埼玉県にあります。上尾甦生病院ホスピスで働いております磯崎と申します。よろしくお願い申し上げます。私はもともと教育畑の人間だったのですが、この10年あまりホスピスの相談員として仕事をさせていただいています。人生は偶然の積み重ねであると言いますが、きっかけをしゃべれと言われて、ちょっと振り返ってみますと、本当に人の出会いの不思議さを思わずにはいられません。

 

 

 

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