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それをまとめたのが、それを聞いておられたこの人のご主人。「先生、私もトロい亭主ですが、トロぐらいだったら買いにいけますよ」と言って本当にトロを買ってこられた。三切れ入ったのです。本当にトロトロトロと入ったですね。で、私はもうびっくりしまして、「末期の食道狭窄がトロでトロけた一例について」という論文を書こうかなと思ったのですが、ちょっと忙しくなってやめました。この方、それ以後また入らなくなって亡くなったのですけれども、まだはっきりその場面を思い出すことができるのですね。「トロぐらいだったら、トロトロと入るかもわかりませんね」、これを大上段に振りかぶっていえば、「愛といたわりの現実的な表現」なのですね。そして患者さんが私に「一日中トロトロと寝いてないで、トロぐらいに挑戦しましょうか」と言ってくれたのも、これは私に対する「愛と思いやりの現実的な表現」なのです。「トロい亭主ですけれども、トロぐらい買いにいけますよ」と言ったこのご主人も、この全体の中ではやはり「愛と思いやりの現実的な表現」をしたわけです。そういうユーモアのセンスというのは、すごく大切な人間の生きる証みたいなものを持っている。最近、アメリカやカナダでユーモアの研究が非常に重要になってきていまして、ホスピスのケアの中にユーモアをどのように生かすかという、そういうふうな研究をしているところがあります。20年ほど前にカナダで国際学会があったときに、患者のユーモアが医者を助けた例ということで、これはアイルランドの女医さんが発表された例なのですけれども、非常に私感動いたしました。87歳の膵臓がんの末期のおばあさんが、だんだん弱ってこられて、この女医さんはずっと訪問に行っておられて、ちょうど亡くなる1週間ぐらい前に患者さんに死期をさとられた。それで「先生、どうも1週間ぐらいであの世の感じがします」と言われたんですって。そうしたら女医さんは「ああ、そうですか。やはり天国ですよね」というふうに言ったら、「いやいや、私、天国でも地獄でもどちらでもいいのです。きっとどちらにもたくさん友達いると思います」と言ったのです。これはすごいですね。亡くなる1週間ぐらい前にそういうことが言える。それはやはりある意味で医師に対する思いやりということなんですね。感謝を持って生きる、それからユーモアのセンスを持って生きる。

それから三番目に、やはり最終的には何らかの使命を持って生きてきた人、これは先ほどの日野原先生のお話にもありましたけれども、その使命というのは何も大きな大それた使命ではなくてもいいわけです。先ほど五人の子どもを立派に育てた主婦の話をしました。矢先症候群、温泉の話ですけれども、あの方の使命はきちんと五人の子どもを育てるという立派な使命です。その使命をまっとうされて生きてこられたのですね。これ立派な使命ですよね。なんか一つの分野で活躍し、極めるというそういう使命ではなくても、一人ひとりに与えられている使命をしっかり自覚して、それをはたしながら生き切るということができれば非常に素晴らしいのではないかと思うのんです。数年前に亡くなられた三浦綾子さんがテレビに出られて話をしておられときに、もうそのときかなり弱っておられたのですが、「私は小説を書くことが私の使命だと思っています。使命というのは『命を使う』と書くでしょう」と言われたのです。確かにそうですね。使命というのは命を使う。「1冊小説を書き上げると、私はくたくたに疲れます。そして本当に命を使ったなと思うのです。しかし、私は死ぬまで小説を書き続けたいと思っています。それが私の使命ですから」というふうに言われた。で、その言葉どおり、書けなくなったときにご主人に口述筆記をしてもらいながら、最後まで小説を書きながら、小説をしゃべりながらというほうが正しいかもわかりませんが、あの人は生をまっとうされました。

 

 

 

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