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そして、どんな生き方がよき死につながるだろうかなということ、これは私の非常に大きなテーマでして、できれば私自身もよき生を生きて、よき死を死したいと思っています。それを患者さんから学びたい。どういう生き方をしてきた人が、いい亡くなり方をするのかなということをずっと多くの方を見ながら、これは少し距離を置いてというか、最終的には自分のものにしたいわけですけれども、少し距離を置いてみていきますと、いろんな要素はあると思うのですが、私はどうも三つぐらいの要素に分かれるのではないかというふうに思うのです。第一は、やはり周りに感謝して生きてきた人というのがいいですね。「いいですね」というのは表現が悪いですが、看取る側としてはとても看取りやすい。それから家族も、患者さんが家族に感謝をし、そしてスタッフに感謝をして亡くなっていかれるのが、見ていて非常にケアしやすいですね。患者さん自身も幸せなようです。ちょっと考えてみると、私たち、たとえば私自身が今現在ここで61歳の私が皆さんの前でお話をさせていただいている、このためにはものすごく多くの人たちにお世話になっていますね。他の人たちのさまざまな援助とかお世話がなければ現在の私というのは存在しないわけで、そういう意味では多くの方々にやはり感謝しないといけない。で、感謝というのは自然にできる場合もあるし、決断の部分もあると私思うのです。決断の部分というのはどういうことかというと、「よし、私は周りの人に感謝しながら生きてやるぞ」、ちょっと変な表現ですが、何か感謝をしようという決断みたいなものを日々持ちながら生きていくというようなことが必要なのではないかなというふうにすごく思うのですね。それが一番目です。

それから二番目は、少し飛躍があるかもわかりませんけれども、多くの患者さんをみていて、ユーモアのセンスを持っておられるかた、ユーモアのセンスというのは非常に重要だと思うのですね。ユーモアというのは、ラテン語のフモールという言葉からきているのですね。フモールというのはhumorと、それをフモールと発音しますけれども、ユーモアと全く同じスペルなのです。フモールというのは体液という意味なのですね。体液というのは血液とかリンパ液とか脳脊髄膜液とか、人間の命を維持していくためにどうしても必要な、エッセンシャルな、本質的なものなのですね。それとユーモアというのが同じ語源であるというのはとても重要で、ユーモアなしに我々はある意味では生きていけない。で、ユーモアというのはいろんな定義がありますけれども、ユーモアの研究を一生懸命しておられる上智大学のデーケン先生は、「ユーモアというのは愛と思いやりの現実的な表現である」というふうに言われているのです。愛と思いやりの現実的な表現である。末期の患者さんとの間に、本当にこちらのユーモアのセンス、患者さんのユーモアのセンスが一致したときに、なんか素晴らしい関係が生まれることがあります。小さな例ですけれども、数年前に食道がんの末期の患者さんを看取ったことがあります。中年の主婦の方でしたけれども、だんだん食べ物が通らなくなってきて、食べたいのだけれども、もう食道が狭くなって通らない。私は何とかこの方に食べてもらいたいのだけれども、どうしたらいいものかなかなかその工夫がなかったのですね。もちろん医学的にはそれはもうちょっと無理なのですけれども。で、ある日の回診のときに、本当につまらない駄洒落なんですが、この方に「ひょっとしたらトロぐらいだったら、トロトロと入るかもわかりませんね」って、こう言ったのですね。そうするとこの患者さんが「先生、トロね。私も一日中トロトロ寝てないで、トロ、挑戦してみましょうか」と、こう言われたんですね。私の小さなユーモアにユーモアのセンスで返してくれた。

 

 

 

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